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テキスト説教は、印刷及び配布を禁じています。受けた恵みは、心に刻んでシオンの香りを放ってください。

大きくて強い者

神様の新しい契約の福音の光が言葉では言い尽くしえぬほど速やかに展開されているので、敵であるサタンたちがほえたける獅子のように福音の光彩を撹乱させるためにさまざまな妨害と権謀を企みてています。
しかし私たちは神様に対した絶対的な信仰、救いの望み、本物の真理の内にいて真理を守護するんだという力強い熱意で神様の武具を身に着けて平安の福音の靴を履いて、宣教することで悪霊との戦いに勝利することができます。敵であるサタンが世のすべてのものを動員して私たちに敵対するにせよ、私たちは充分勝利することができるという確信をもって福音に臨むので福音の光が一層明るく輝いてもっと多くの命を救っているのです。

神様に絶対的に頼る者は強い

みなさまはこの世で誰が一番大きくて強い者だと思いますか。聖書によれば、神様を絶対的に頼る人とあります。
諸葛孔明がいくら頭がすぐれているにせよ三国統一の業績を果たすことはできませんでしたし、今まで偉人と称えられる多くの人々が一世を風靡しながら生きていましたが、結局一握りの灰になって土に帰ったことを見ると、この世には自分が偉大な人物だと自負できる人も、強いと自負できる人もいないようです。
エレミヤ書の御言葉を見ながら、私たちが大きく強い者になるためにはどうすべきか調べてみます。

エレ9:22-23 『主はこう言われる。知恵ある者は、その知恵を誇るな。力ある者は、その力を誇るな。富ある者は、その富を誇るな。むしろ、誇る者は、この事を誇るがよい/目覚めてわたしを知ることを。わたしこそ主。この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事/その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。』

罪人の体でこの地に生まれた者たちが、何を誇ることができるでしょうか。富も、勇猛さも、知恵も、土に帰ってしまえばそのすべてのものが消え去ってしまいます。
わが人生で誇るべきものは唯一神様を知って悟ったという事実そのものです。人間は自分の存在を誇る時、権力者や有名な人と知り合いだということを誇らしげに自慢しています。
では私たちはどうですか。天と地を創造されて人間の生殺与奪の権利を握っておられる神様を知っているということと、その偉大で、聖なる方に私たちが仕えているということ、そして私たちが、"霊"と花嫁としておられる神様の息子と娘だということより、もっと大きな自負心と自慢の種はこの世にはありません。

詩121:1-2 『目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。』

切に助けを請う状況で誰が私を助けてくださいますか。側にいる親しい友人も、一緖にいて私の味方になってくれるだろうと思っていた友人も、私の味方に立つよりも敵の側に立つ場合があります。しかし、ひとえに神様は変わりなく私の味方になって下さいます。私たちが知恵を求めて思い煩い、眠れず食べられないほど心配したとしても、人間の力ではどうしようもできない状況がたびたび発生はしませんか。あります。人間は皆か弱い草葉のように、瞬く間に消え去る朝露のような存在でありますが、天地万物を創造された神様を絶対的に信じて頼る者たちは、一番大きくて強い者として聖書の英雄になり、今の我々の信仰の鏡になっています。

神様に頼ったダビデの信仰

聖書の勇士ダビデは、神様に絶対的に頼る信仰があったのでゴリアトに勝ち抜いて、イスラエルの王になることができたのです。少年だった彼が、昔、ペリシテの猛将ゴリアトに敵対して戦った時、多くの人々が一緖にいましたが、誰も彼を助けることができませんでした。ただ彼は、神様が助けて下さることを信じていたので、ひたすら神様に頼り進み出てゴリアトに勝ち勝利を得ることができたのです。
神様が助けて下さり、支援して下さるのに、この世の誰がこのような人に立ち向かうことができるでしょうか。世でいくら権力が大きいにせよ、世の権勢がいくら高いにせよ、神様が助けられる人に果たして誰が勝つことができるでしょうか、神様が護っている人を、誰が敢えて妨害することができるでしょうか。

詩20:7-8 『今、わたしは知った/主は油注がれた方に勝利を授け/聖なる天から彼に答えて/右の御手による救いの力を示されることを、戦車を誇る者もあり、馬を誇る者もあるが/我らは、我らの神、主の御名を唱える。』
人に頼って、物質と権力に頼るとしたら、いつか滅されてしまいます。人の一生は大同小異です。いくら強く権力の大きい人でも、神様の御前では似たり寄ったりなのに、朝露のように消えてしまう人間に頼って何ができるというのでしょうか。
人間は何もできない存在であることを悟らなければなりません。人の体格とか出身、顔立ちの良し悪しと貧しいか富んでいるかなどが問題なのではなくどれだけ神様を絶対的に信じて、どれだけ神様に頼っているかが、最も大きく強者になる第一の条件になるのです。
ダビデがゴリアトに勝つ背景を調べてみながら、神様を絶対的に信じて頼った結果がどうなったのか調べてみます。

サム上17:32-54 『・・・「お前が出てあのペリシテ人と戦うことなどできはしまい。お前は少年だし、向こうは少年のときから戦士だ。」・・・わたしは獅子も熊も倒してきたのですから、あの無割礼のペリシテ人もそれらの獣の一匹のようにしてみせましょう。彼は生ける神の戦列に挑戦したのですから。」ダビデは更に言った。「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません。」・・・だが、ダビデもこのペリシテ人に言った。「お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう・・・主は救いを賜るのに剣や槍を必要とはされないことを、ここに集まったすべての者は知るだろう。この戦いは主のものだ。主はお前たちを我々の手に渡される。」・・・ダビデも急ぎ、ペリシテ人に立ち向かうため戦いの場に走った。ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。』

ダビデとゴリアト、二人の中で誰が大きくて強い者ですか。外見だけ見ると、ゴリアトがはるかに大きくて強い者のように見ましたが、少年ダビデによって慘めにその命を失ってしまったのでダビデこそ本当に大きくて強い者なのではないでしょうか。
ゴリアトは、自分の刀と槍を信じて戦ったのです。しかし、ダビデは刀と槍、盾とよろいで身を固めて戦ったのではなく、神様と共におられるという事実を信じて万軍の神様であるエホバの御名に頼り小さい石投げ紐を持って堂々と進み出ました。サウルからもらったよろいを捨てて、神様の守護をよろいに、神様の御力を武器にして神様が救って下さることを絶対的に信じ戦いに臨んだのです。戦いの勝敗はすでに決まっていました。偉大なる神様を頼って出るダビデに誰が勝てるでしょうか。
その結果、すべてのペリシテ人たちとイスラエルの民までも彼を恐れて神様が共におられることをうらやむようになりました。神様がいつも共におられ、助けて下さることでダビデの歩みには常に勝利の旗を高く掲げることができました。

サム上18:7-12 『女たちは楽を奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち/ダビデは万を討った。」・・・主はダビデと共におられ、サウルを離れ去られたので、サウルはダビデを恐れ、』

百戦老将として戦場を数限りなく渡って歩いたサウルが、なぜダビデを恐れたのでしょうか。ダビデという人を恐れたのではなく、行うすべてのことに神様がいつも共におられるのを見て恐れたのです。また民も、当時のイスラエルの王であったサウルよりも、神様が共におられ、神様を絶対的に頼って勝利したダビデをもっと誉め称えたのです。
サウルも一時は、神様を絶対的に頼って大いなる名声を得、強者として誉め称えられました。しかし、王になって多くの人々がサウルの一言に屈服し、ひれ伏す位置にあがってからは心が高ぶり高慢になって神様を信じて頼るよりも自分の権勢と力、多くの人数にもっと頼るようになり、ペリシテ人との戦闘でも勝利できず続けて悪戦苦闘するようになったのです。
神様に頼る信仰が、ダビデにだけ必要だったのではありません。今日最後の時代を生きながら悪霊との戦いで勝利しなければならない私たちにも、必ず必要なのがこのような信仰です。学識のなさをとがめるのでなく、か弱い肉身を責めずに、ただ大きくて強い神様のみを絶対的に信じて頼れば、私たちもダビデのように大きくて強い者になり、行くところどころで勝利して多くの魂を正しい道に導くことができるのです。

神様を頼る者が強国を成す

弱い者が集まって強国を成し、小さな者が集まって千を成すと言われましたから、これは間違いなく成就される預言です。このような預言が神様のみ絶対的に頼る信仰によって成就されるという事実を、絶対に忘れてはなりません。
私たちが持っているものは何にもありません。敵対する者が私たちの鬨の声を恐れたのは、私たちの数を見て恐れたのではなく、正に全知全能なる神様が共におられる人々であることを知って肝を冷したのです。また他の御業を調べて見ながら、弱い者がいかに強国を成すか調べて見ることにします。

ヨシュ8:1 『主はヨシュアに言われた。「恐れてはならない。おののいてはならない。全軍隊を引き連れてアイに攻め上りなさい。アイの王も民も町も周辺の土地もあなたの手に渡す。』

神様のこのような激励の御言葉一言によって、艱難苦闘の極みであったアイ城の攻略はイスラエルの大勝利に終わりました。エリコ城を征服する時も、神様が共におられたので、いなごのようなヨシュアとその軍隊が大きくて壮大な彼らをかげろうのように見做して勝利を得ることができたのです。
そのため、ヨシュアとイスラエルの軍隊が登場すれば、世がぶるぶる震えたのです。エジプトの軍人を屈服させて、葦の海を搔き分け、イスラエルの民を救い出し、四十年間の荒れ野生活でイスラエルの多くの人たちを食べさせ着させた神様の大いなる御力を見聞きして来たので、その神様と一緖にいる彼等を恐れたのです。
私たちはまた、ギデオンの名声についてもよく聞いて知っています。彼が三百人の軍隊で十三万五千人と戦う時、果たして群衆の数に頼って戦争に臨んだでしょうか。人間の知恵と智略に頼って戦争に勝利することができたでしょうか。神様が下さった力と知恵を通して神様の仰せの御言葉に従順に聞き従い、神様にのみ頼って進んだので、とてつもない御業を成就することができ、世界の万民から誉め称えられ恐れをもたらすことができたのです。
ダビデとヨシュア、ギデオンのような聖書の英雄には、共通点があります。一様に自分たちが持っているものや目に見えるものに頼るのでなく、ひたすら天地万物を造られた神様にのみ絶対的に頼って、その助けを信じたのでした。大きくて強い神様にのみ頼ったから世を驚かすほど大きくて強い力が顕現され、聖書の英雄として記録される位置と立場にまで立つことができたのです。
また私たちの信仰の先輩として尊ばれる使徒パウロやペテロなど殉教までしながらキリストの新しい契約の福音を伝えた多くの真理の勇士たちがそうでした。人間に聞き従うより神様の御言葉に聞き従う方がもっと正しいと強調しながらとても大胆に自分たちが知っている真理とキリストを伝えて、奸悪な妨害者たちを退けたのです。
神様は、私たちが正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと言える勇気と真実の眼をもって、この世の迫害と苦しみ、妨げに勝ち抜き勝利するよう願っておられるのです。
おきあがりこぼしは中心錘があるので、いくら揺れてもまた起き上がります。私たちもそのように、心の中に神様という中心錘をおいて、いかなる外部の圧力が作用しても再び起き上がって、勝利を得られるようなければなりません。

大きくて強い神様に頼る子になりましょう

私たちに敵対する宿敵サタンが、福音を妨げようと世の支配者たちと権威者たちを動員して、あらゆる呪いとわなをかけようとしても、大きくて強い神様が私たちと共におられ、私たちの前途を導かれるゆえ、何が恐ろしいことがありますか。神様が御自ら私たちの心強い砦の塔と盾になって下さるのです。あまりにも大きな力を後ろ盾にして福音を伝えているという事実に対して、自負心と誇りを常に感じていなければなりません。
有能な船長である神様が運転され導かれるシオンという船は、航海中いくら大きい台風が来て風にふきまかれても小さな搖れはあるにせよ、絶対に沈没せず目的地である天国に向かってより速く前進し続けるでしょう。

使1:8 『・・・エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』

神様を絶対的に信じ頼る私たちは、この終わりの時代の救い主であるイエス様の新しい名の証人です。神様の降臨なさるその日まで、キリストを証しする使命を完全に果たさねばならない私たちです。生活の土台を福音の基にして闇の世を福音の光で輝かせる光の子としての役目を果たさなければなりません。

マタ28:16-20 『・・・あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい・・・あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』

神様を伝えるにおいて、私たちの能力と知恵では何にもできないということを福音を伝えて見た方なら、誰でも悟ることができます。私の知識と知恵を誇るための宣教の実はすぐ落ちてしまい、私が結んだと誇る瞬間神様の魂は離れ去ってしまうのです。
ヨシュアとカレブ、ダビデとパウロのような信仰を教訓にして、神様が共におられる福音であることを悟って、世のいかなる迫害とそしりにも屈せずに、むしろ、そうであればあるほど没薬のようなキリストの香りを全土になびかせる、この世が相対できないほどの信仰にならなければなりません。
異端を作るのにあくせくしていて、自分たちと違うことならいくら正しいものでも受け入れようとしない彼らに対して、多くの聖霊の実を結ぶことで勝利を得、シオンで愛を分かち合い、神様の御言葉どおり生きて行く姿を見せることで、勝利する福音の御業を作って行きましょう。
風が激しく吹くほど、たこはその風に乗って高く飛びます。このような摂理で迫害の風が荒れりば荒れるほど福音の熱は募って行くのです。
良い環境と祝福を恵みとして悟れずに乾いた砂漠や荒れ野のように見做す愚かさを犯さず、少し堪え難い環境だとしてもエデンのように思いながら感謝することができる福音の勇士になってみましょう。福音の花をぱっと咲かせて実を刈り入れた使徒パウロのように、天国で聖書の英雄として記録される私たちになるよう願います。
常に開拓する福音の生涯を生きたパウロは、行く所々で「初めから始めよう。始めるにはここはとても良い所だ。」といった心構えで福音を伝えました。彼が行く所はいつも福音の復興をもたらし、多くの人を弟子にして、キリストの御言葉を守るように教え多くの祝福と御恵みに与ったのです。
私たちも常に初めだという心構えで始めましょう。大きくて強い神様に頼って進む所なら、どこでも神様の御言葉を伝えるにふさわしい所です。
目覚まし時計がたとえ私たちをわずらわしくしても結局は私たちを起こすように、私たちの前を塞ぐ艱難、迫害はかえって、眠っている心霊を覚まし、福音を加速化させます。神様のみ絶対的に信じ頼って、大きく強い者として、福音の善なる戦いに全力を尽くして勝利を得る皆さまになれるよう願います。