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“自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません](使20章24節)”と告白した使徒パウロのような福音熱情を胸に抱いてジンギスカンの後裔たちが住んでいる所、モンゴルウランバートルに第一歩を踏み出してから1年4ヶ月という時間があっという間に経ちました。
ここモンゴルは福音の種が撤かれて少ししか経っていませんが神様の御力によって日々に成長勢を繰り返しています。私は何の能力もありませんが、全宇宙を一言で動かされる神様が成し遂げられる福音だから不可能なものはありません。御自ら権能の右手を伸ばしてモンゴル福音を導かれる神様にまことに感謝いたします。
虹が浮かぶ国、ソルロングゴスから来た宣教師 モンゴルは本来‘勇敢だ'という意味の部族名だったがジンギスカンが統一国家を立てた後民族と国の名になったと言います。シオンのあるウランバ-トルは‘赤い英雄'という意味だと言います。たぶん民族的性向が‘勇気'を最善と思っているようです。そのためかモンゴル人たちは子供から大人まで勇ましくて戦士的気風が流れています。
ここモンゴル人たちは韓国をꡐコリアꡑではないꡐソルロングゴスꡑと呼びます。ꡐソルロングゴꡑはモンゴル語で虹という言葉で、ソルロングゴスはꡐ虹が浮かぶ国ꡑという意味です。13世紀高麗を征服しに来て、美しい虹を見た後韓国をꡐ虹の国ꡑと呼び始めたと言いますが、正確な語源はわかりませんが、モンゴル人たちが韓国人たちに特別な親近感を持っていることは明らかです。
モンゴル現地人たちの顔付も韓国人と非常に似ています。そのままじっとしていれば韓国人なのか、モンゴル人なのか見分けがつかない位です。モンゴル人と韓国人に等しくある蒙古斑も二つの民族の間の密接な連関性を現わすと見られます。
また蒙古斑だけではなくても二つの民族は性分も似ています。特有の根気が生活で覗き見られます。モンゴル人たちは広闊な草原地帯で住む遊牧民族ですから性分が純朴で情が多いです。自立心も強いです。特に子供たちは甘える年である八歳位になれば自分より幼い弟たちの面倒を見たり、洗濯、掃除、煮炊き、井で水を汲むなど家事を手伝いながら大人の分け前も十分にやりこなします。大人たちがしなければならないことまで不平不満なしに黙々とやりこなす子供達の姿を見れば、靈的子供である私たちも早く物心がついて天の兩親を嬉しくして上げなくちゃいけないと思うようになります。
私たちのシオンのあるウランバートルはソウルの約2.2倍の面積にモンゴル全体人口の3分の1に近い80万名の人口が集まって住む都市です。都心にはトル川が流れてビルと現代式アパートが多いが、少し郊外に出ると草原と丘陵、低い山が繰り返されてモンゴル伝統家屋である‘ゲル'があちこちに位置づいているのが見られます。
私は去る2004年9月15日、角笛祭の一日前に現地へ来ました。知人が一人もいない不慣れな地で言語や現地情報のようなものを準備する暇もなしに急に来るようになってしばらく面くらいました。
2003年夏季ユニバ-シア-ド大会の時モンゴル選手団サポ-タ-ズ副会長を歴任したことと、モンゴル柔道選手ムンクバタルが負傷治療のため韓国へ来た時、近くで手助けしてあげたことが縁になって、モンゴルにも速かに福音が伝わったらとよいという切なる望みを持っていたが、このように急に私が来るようになることは夢にも思いませんでした。
急に不慣れな地へ来るようになって瞬間的にあわて恐ろしさも生じました。一番基本的なモンゴル語の子母音も区分することができないモンゴル語文盲人だったからもっとそうでした。それでも神様が“行きなさい”と言われた時ためらうことなしに“はい”と答えてからは喜ぶ心に胸が大変どんどん轟いたのですが、そのときめく感じはまだ忘れていないです。
初めて到着した日ウランバ-トル空港には雪が降りました。現地は9月から始めて翌年4月まで約 6~7ヶ月の間長しい冬が続くのですが、当時9月は冬が始まっていました。零れ落ちる雪のために前がよく見えなかったが、不慣れな地に第一歩を踏み出してからは本当に前がまっ暗でした。
それにウランバ-トル空港は小さな小都市のバスタ-ミナルのようにとても荒涼としていました。弱り目に崇り目都心に進入する間広い地帯では家一軒も見られませんでした。果てしなく開かれた草原のように、果てしない自分との戦いが始まっているという感じに自然に心を強く持たなくちゃいけないという覚悟を新しくしました。‘神様が足りない私を選ばれてここに行かせたことには大きな御旨があるでしょう。モンゴル語が全然分からない私を韓国の30倍もなる広闊な地に行かせた御旨は果して何だろう。'
何も分からなくて何もできなかったからより神様に頼るようになりました。神様が何のとりえもない私を道具として、その御力を現わすためだと思って、神様がしなさいと言われたままに行って福音を伝えるようと堅く決心しました。
手酷くて残酷な寒さのように冷酷な現実に勝って そしてそれなりに大きくて遠大な旨を抱くようになりました。それはモンゴルの大統領に真理を伝えて見ようということでした。使徒パウロがアグリッパ王に神様の真理を伝えたように、聞いても聞かなくても伝えることによって神様の栄光を異邦の王に伝える預言を成し遂げようという大きな旨を抱きました。一旦そのような大き旨を抱いたら小さな大変さは易しく勝つことができました。
韓国で真理を迎えた夫婦の家庭に十日の間とどまって角笛祭の祭りを始まりにモンゴル福音を始めました。その家の兄弟は警察で姉妹は保育園の先生でした。現地に到着した翌日、角笛祭に兄弟と姉妹は家族を導いて 5人が一緒に祭りの祝福を受けることができました。
モンゴル語が分からなくて意思疎通に深刻な障害を経験した私は、その方たちを通じて言語を学び始めました。難しかったが韓国語と語順が同じで、少しは易しく学ぶことができました。そして身振り、手真似、目つきで交感して言語より大事なものをたくさん感じることができました。
しかし私は韓国のように思いきり真理を伝えることができないのがいつまでも息苦しくて切なかったです。それにモンゴルは国民の90%が仏教を信じていて、神様の存在が分からない人も多かったです。言葉とおり靈的貧土だったのです。
基礎真理もまともに伝えることができないそのいらいらというのは本当に胸が真黒く焦げるようでした。そのようにもどかしさで信じない人たちを眺める時、神様は私に大きな悟りを持つようにしてくださいました。
神様がこの地へ来られた時は真理が消えて信仰がある者が見られなかった時でした。靈的貧土になったこの地へ来られて聖書を持って証しをしても信じない者たち、悟ることができない子供たちのため息苦しくて切ない御父様の心がこのようではなかっただろうかと思ったら自然に目頭が熱くなりました。
そして御父様・御母様の果てしない愛に感謝が出るだけでした。韓国に生まれて御父様・御母様の心を少しでも易しく理解できるようにしてくださったことも感謝しました。このような方法で悟ることができなかった私に、あなたの愛を悟るようにしてくださったことも感謝しました。
御父様・御母様の愛を悟ってから、モンゴル福音のために切に祈るようになりました。そしてシオンの家族たちにも言語ではなく心で御父様・御母様の愛を伝えるために努力しました。
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大贖罪日の祭りの時はこの地へ来られて苦労された御父様の生涯を言葉で表現することができなくて、いくつかの単語と身振りで重いかばんを担いで深い谷と山を上り下りしながら福音を伝えた御父様の愛を感動で再現しました。そのような姿を見たシオンの家族たちは心に感動を受けて罪人たちのために犠牲の道を歩まれた御父様の愛に感謝して熱い涙を流しました。
モンゴルでの福音はすなわち残酷な寒さとの戦いと言っても過言ではありません。9月から翌年4月まで6~7ヶ月以上が冬のうえ、概して昼の平均気温が零下25~30度にのぼって、夜には零下40度まで下がる厳しい寒さが続きます。靴下2足、下着2枚、毛の靴は基本です。家外に出る時は完全武装をしなければすぐにインフルエンザにかかって少なくとも 2~3週は苦労をします。
シオンの家族たちが主に住む家は韓国の在来村を連想すれば良いでしょう。共同井戸で水を汲んで、石炭煖炉で生活するのですが、冬になると石炭をたくさん焚いて空気が混濁します。道には街灯がなくて夜道が危険でバスもあまり通いません。30~40分か一時間間隔でバスが通うバス村もありますが大部分歩いて通います。
大概は丘の上や山の下に村が形成されていますが、雪が40~50センチメ-トル以上降る時は道が消えてない時もあります。丘の上にある村へ行くには、雪を片付けながら道を作って行くのに途中で道に迷ってずいぶんさ迷った時もありました。
わずか30分位だけ外にいただけでも、耳が凍って落ちるかと思うほどになって眉毛には霜がくすぶります。そのように外にいてから暖かい部屋に入って来れば凍った身がとけながら、全身がひりひりしたりします。
しかし私たちは、より高くて大変な山道を歩いて通って、膝まで積もった雪道をかきわけながら一人で福音を伝えられた天の御父様を思って、‘それでも私たちには一緒に歩くシオンの家族でもいるから幸せだ'と言いながら神様の愛と犠牲にもう一度感謝いたします。
このように残酷な寒さと不便な交通はむしろ御父様・御母様が歩いて行った道を思わせることによって私たちに多くの慰めと力をこめています。
速かに成し遂げられた拡張と倍加 私と執事、そして現地へ来ていた兄弟夫婦、このように四人の人員でこぎれいに始めた家庭礼拝は数日後保育園の先生として働く姉妹の保育園教室を借りてそこで献げました。しかしその所では新しい歌も思いきり歌うことができませんでした。法的な制限があったからです。既成教会に通う先生や隣人たちが福がうまくいくことを嫉んで申告をして警察に何回か警告を受けたりしました。
自由に礼拝を献ることができる空間を許して下さいという切なるシオンの家族の祈りによって結局2005年8月、神様が準備された良い建物に拡張移転ができました。四人で始まった福音が移転をする時は完全に掟を守る家族が100人に増えていました。そして拡張移転してから三ヶ月過ぎた時には160余名の実でシオンの倉が満たされるようになりました。
神様を迎えたシオンの家族は400人にのぼるが、いまだに悟ることができず勉強を要するシオンの家族たちも多いです。大部分の現地人たちは真理が確かで正しいから、神様を迎えますが貧しい生活状況のため信仰をよく続けて行くことができません。心はいつもシオンを描いているが生活のため神様によく出て来ることができませんでした。
しかし拡張移転した後現地家族たちの信仰はとても堅くなりました。現地の働き手も多く排出されています。火のように熱い心で真理を伝えて今回の3分期に宣教の実の賞を受賞した家族たちも多いです。
オユンエルデン姉妹もその中の一人です。姉妹は主人である兄弟と一緒に改新教信仰を持っていた方です。家族が皆同じ教会に通っていたから、主人と姉妹も一緒に通ったのです。しかし真理はなく奇跡を先立たせて人たちを熱狂させる姿にがっかりするところに、変質されなかった初代教会の純粋な教理を行う私たちの教会の真理を接してからは夫と一緒に感謝することによってまことの神様の子供になりました。
姉妹と兄弟は今まで安息日礼拝や祭りの早朝礼拝まで一度も抜けずに、手まめに掟を守りました。真理を迎えてから一月後には大きな悟りを得て日々に神様の御言葉を勉強したし、弟と義妹と母親などすべての家族たちを神様の懐に導きました。一ヶ月がまた経った時には新しい家族たちに御言葉の勉強を教えたりしました。
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兄弟と姉妹の家族たちは金細工業に携わっていて生活にちょっと余裕があります。兄弟はアメリカに家族がいるからそこへ行ってお金をたくさん儲けて豊かに暮らすのが生涯の唯一の望みだったが、真理を悟ってからは世の富貴栄華に対する考えを折って、神様が施してくださった恵みに感謝して預言者になりたいという望みを育てています。また兄弟は姉妹と一緒 に家族を導いてシオンで模範になる一方、仕事が終わればいつもシオンに立ち寄って熱心に聖書を勉強して御言葉を発表しています。また祝福にあずかることなら他人より先にしようと努力しながら奉仕する事を自ら探してしようと努力して手まめに天の賞を積んでいます。
兄弟の弟は、10月頃に兄弟を通じて真理を迎えましたが、その枝にその実というように、やっぱり福音熱情が特別です。この方はすぐ開局するある放送社のカメラマンなのにいちじくの木の秘密を通じて大きな悟りを得て喜びと感動で真理を迎えました。真理を悟った兄弟は忽ち職場仲間たちに 真理を伝えました。放送社の演出者とアナウンサー、そして取材記者など多くの仲間たちを神様に導きました。この家族たちだけで放送社一つを別に調えても良いほどです。
この方たちは今自分たちの専門性をいかして韓国で製作された福音映像物を自国語でダビング作業して神様の栄光を現わそうと手まめに準備しています。
今回実の賞を受賞したある大学生姉妹は聖霊と花嫁を悟って、熱情的に真理を証ししています。韓国語通訳を専攻する姉妹は真理を悟って、2ヶ月で11人の友達を神様に導きました。ビデオを見ながら涙を流しながら御母様にお会いしたがるこの姉妹シオンの家族たちを管理しながら常に御母様の心を先に思って愛を伝えるきれいな心を持っています。
また他のある大学生も去る初秋に神様を迎えましたが学校が授業を終わるとまっすぐにシオンに駆けて来て日々に聖書を勉強して神様に感謝を献げます。この青年は家が貧しくて常に現実を悲観しながら暮して来ましたが真理を迎えた後はいつも与えられた現実に感謝を献げ、喜びでシオンに出て来ています。家から教会までバスに乗って1時間30分程かかる距離にありますが初めの月から掟を完全に守りながらもう友達3人を神様の懐に導きました。今は聖書勉強を熱心にしながら自分の家族たちを神様に導くために努力しています。
このようなシオンの家族たちの熱情で多くの家族を捜して、来る3月頃には御父様御母様の御旨にしたがって、より大きくて広い神殿を建築するために準備しています。そして神様の許しにしたがってウランバートルの次に大きな都市であるダルハンにも福音を伝える予定です。
神様の中ではなんでもすべてできます 1年4ヶ月の時間を振り返れば、すべてのものがただ御父様御母様の御恵みがあふれた時間でした。異邦の偶像も多く、祭りも多くて青年たちやシオンの家族たちがたまに困難にあう時も多かったが、その時ごとに神様が知恵を賜り、いつも勝利することができました。
福音がうまくいく秘訣は他にないようです。神様が喜ぶ事が何か、それだけ思って 実践すればうまくいきます。説教の御言葉のように神様が成し遂げるから私たちの福音は成功がもう決まっています。ただ私たちは成功が決まった事業の協力者で神様の使者に過ぎないのです。使者が自分の考えを持って働くようになれば、経営は失敗するが、主人の御旨どおり行ってみると良い結果だけ現われるようになっています。
働き手が寒いから、暑いから、遠いから、近いからといって状況を計算して仕事をしたら成功するはずがないでしょう。それで私と私たちのモンゴル家族たちは神様の使者として神様が歩まれたその道に付いて愛と犠牲の心で福音の仕事だけ手まめにする蟻みたいな働き手になろうと努力しています。
現在モンゴルは働き手があまりにも不足しています。神様を迎えて御言葉の糧を待つ家族が400名を越えるのに、手不足で惜しい点が多いです。ここウランバートルは日刊紙に‘宣教の新大陸'と表現されながら韓国から来た多くの教派の宣教師が300人ないし400人位になると言います。私たちがより熱心にしなければなりません。
海外福音はすべてのものが完璧に用意ができて、個人的知識がすぐれているからうまくいくものではないと思います。“わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です(フィリ4章13節)”と言われた聖書の御言葉のように天国福音は私たちの能力でする福音ではなく、神様が御自ら導かれます。ですから神様の中でしようという望みと覚悟を抱けば世界は私たちの手の内にあります。
13世紀ロシアとイスラム世界まで皆征腹して東西方不敗の神話を記録したジンギスカンのように、この時代福音の軍士としてモンゴル全域はもちろん、全世界に大胆に福音を伝えようという覚悟でより熱心に福音を伝えます。神様が私たちと共におられるから私たちはなんでもよくすることができます。御父様御母様感謝いたします。