언어
ようこそ
申し訳ございません
パスワードを忘れましたか? / 加入
IDを保存
検索結果
259 span>の検索に一致する結果。
ページ »
13の13
今日キリストの御姿を描写した聖画を見ると、人たちが想像しているキリストの神性に対する姿が大変神々しく描かれています。しかし「イエス・キリストが来られた当時の人たちはイエス・キリストをどんな方だと思ったのだろうか」、「イエス・キリストが立てられた教会をどう見たのだろうか」、「イエス・キリストが伝えられた天国福音をどう考えたのだろうか」といった問題を考えずには、私たちが心からキリストを悟ったと自負することはできません。 キリストは神様の身分でありながら(フィリ2:5-6)嬰児として生まれる前は驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、即ち全能で、いらっしゃる父...
神様は滅亡の道を駆けていた魂たちを天国へ導く、やりがいのある福音事業の協力者として私たちをお召し下さりました。これによって私たちは神様が許された祝福にあずかるために、モ-セの杖を持って世を分け進み出る中にいます。それでは、真理の勇士たちを召される時の、神様の選択基準は果たして何でしょうか。 ギデオン勇士を選り抜く神様の御旨 まずギデオン勇士の選抜過程が記録された聖書の内容を通して真理の勇士を選り抜く神様の御旨を調べてみることにします。 士7:1-8 『…主はギデオンに言われた。「あなたの率いる民は多すぎるの...
神様は私たちを愛されるゆえ、この地に来られました。私たちを愛されるゆえにその絶え難い苦難も拒まれず、ゴルゴダの苦痛の中で最後の呼吸が苦しくなられた時にも、私たちのために堪え忍ばれ、私たちのことを気遣われ、私たちのために祈られました。 聖書66巻の中「神様は愛なり」という内容が数限りなく強調されています。神様に先に召され真理の中にいるようになった私たちはこのような神様の愛を悟って自ら実践し、神様の愛を現さなければなりません。 神様が私たちを福音の御業に参加させられた御旨も、先になった私たちが悟った分だけ、神様の愛を世に告げよとの御旨です。神様の愛...
昔、中国の漢の時代に全軍を統率した大将軍の韓信という人がいました。軍士統率においては、立派な将軍でしたが漢の高祖皇帝にお呼びを受ける以前は彼もただの町の無賴漢にすぎませんでした。 そのような彼が漢の高祖にお呼びを受けてから華やかな大将軍に変身し、故郷に錦を飾ったのです。漢の高祖のお呼びがなかったなら韓信は長い間歴史に残る英雄ではなく、市中の無賴の徒として無名の生を終えたでしょう。 聖書の中の多くの人物も神様がお召し下さることで、時には王にもなり、預言者にもなり、使徒にもなり、真理の勇士になって聖書に名が記録され天国に行く約束を授かりました。 ...
私たちが聖書66巻を調べてみる時、一番難しい問題はキリストを悟って、その上に私たちの信仰を定立して行くことだといえるでしょう。ですから聖書ではキリストを悟ることが、聖書の最大の秘密であると言いました。 2000余年前イエス・キリストがこの地に来られた時、当時イスラエルの民はロ-マの暴政と圧制に苦しんでいました。彼らには聖書に預言されてあるメシアが来られて、自分たちを苦痛から解放して下さるという唯一なる希望が、彼らの生活を堪え抜く原動力でした。長い年月の間彼らはメシアを希い待ちわびながら、ロ-マの圧制に堪え忍んで来ました。しかしメシア即ちキリストなるイ...
私たちは神様を信じて永遠の命のある天国に入ることを切に願っています。その永遠の命を得るためには自分なりに努力して苦労する行為がなければなりません。なんの努力もなしに命の冠がただ得られるのではありません。神様に最後まで忠実に尽くそうと覚悟し、守り行う信仰のみ命の冠が得られるのです。 世には敬虔の姿はありますが敬虔の内容のない人々がたくさんいます。彼らは上辺は信仰深く見えますが、実際は信仰がなく、容易に崩れてしまう人々です。彼らは洪水が起きて暴風雨吹きまくる信仰の試練に遭えば、まるで砂の上に建てた家のように崩れてしまいます。 しかし、「神様に最後ま...
私たちは神様に正しいと認められた福音の働き手として神様の大きな御業に参加しています。しかし、どのような心構えで福音に臨んでいるかという点は、本当に重大な問題であります。 福音の種を蒔いて麦を取り入れなければならない取り入れの働き手の使命にあずかったみなさんは、果たして子の精神で励んでいますか。でなければ庭ばかり踏んで歩く僕の精神で励んでいますか。僕と子としての精神は根本から全く違うのです。 栄光にあずかるために苦難も一緖にあずかる子の精神 5千坪ほどの田畑を持っている農家で働いている僕を考えてみましょう。僕は種を蒔いて...
この世には多くの人々が住んでいます。また、海の砂のように多くの人々が神様を信じていると言っています。しかし、神様は人間を御覧になって正しい者は一人もいない、神様を探し求める者もいない、善を行う者はただの一人もいないと仰せになりました。 ロ-マ3:10-12 『次のように書いてあるとおりです。「正しい者はいない。一人もいない・・・神を探し求める者もいない・・・善を行う者はいない。ただの一人もいない。』 だとすれば神様が認められる正しい者はどんな人でしょうか。聖書の教えからみると、正しい者でなくては決して神様を求め、神様に近づくことが...
私たちは天の故郷で罪を犯して逃れの町の地球に追いやられた存在であるため故郷を慕い憧れるのはとても当然なことだと思います。しかし天国に帰りたい心は切実でも私たちが天で罪を犯した罪人だということを忘却して生きて行く時があまりにも多いようです。天国に行くシオンの家族になるために悔い改めなければならない罪人として私たちの本分を振り返ってみることにします。 罪人だということを悟って自ら目覚めるよう願います 人々はこの世に生きて行きながら自分の存在に対して考えたり悟れずに過ごす場合が多いです。自分がなぜこの地上の世界に降りて来るようになっ...
神様の刻印を押す御業が東方の朝日が昇るところから始まって、豊かなる取り入れの結実を導いているこの時、神様の預言の御言葉どおり諸国の民族が集まって来て、シオンから出る真理の御言葉を切に慕っているという恵ましい便りを聞いております。 国内で福音活動が活発に熱くなって、海外福音を物心両面で助け合い五大洋六大陸どの一個所なり欠けるところなく、初臨当時より七倍も勝る真理の光が速やかに宣教されているようです。神様の福音の息吹がすみずみまで届いたことをみると「サマリアの全土と地の果てまで」という御言葉に実感が湧きます。 マタ24:14 『そして...
「ピロ-セ」という言葉は新約聖書の原語であるギリシア語で、イエス・キリストが復活なさってから、愛する弟子のペトロに「あなたはわたしを愛しているか」と三度問われた時、ペトロが「ピロ-セ(わたしがあなたを愛しています)」と答えた言葉です。 あなたはわたしを愛しているか 今日この世は過去よりももっと残忍で凶悪な犯罪がたくさん起こっています。人間性を失った基本倫理すらも見捨てた犯罪が蔓延するのは、自分に対する愛ばかりでなく隣人に対する愛、また周囲の人たちに対する愛が冷めてきたからです。また多くのキリスト教徒すらも神様を喜ばせてさしあげ...
シオンの家族の方々は日に日に聖なる神様に似ていきます。私たちが各自の姿を振り返ってみれば、初めて信仰生活を始めた時より、神様の中で霊的成長を繰り返した今の姿の方が、神様にもっと似てきていることを見いだせることと思われます。すべてのシオンの家族が神様の御姿に完全に似るようになるその日が一刻も早く臨むように願います。 子が父母に似るように創造された神様の御旨 みなさんに肉身の子がいたら、今その子のあちこちをよく見てみてください。また子をもっていない方なら自分の両親を思い出してみてください。子の姿形と性格が父母に似ていませんか。「血...
神様がすでに予定されたとおり成し遂げられる福音の御業の中に離散していた多くの天の家族が、全国と海外からシオンに向かって続々と帰って来ています。麗しい便りを伝える人々の足取りが地軸をゆるがせながら神様の聖なる御名を世界万国に伝えているので本当に喜びと感謝に堪えません。 シオンの家族なら誰でも福音の宣教が生活化しておりますが、果たしてどうするのが福音にふさわしい生活であるかもう一度調べて、神様の教訓を繰り返し、改めて定立してみる時間をもつことにしましょう。 与える方が、受けるより幸いである 私たちは祈りの生活と御言葉の勉強、...
私たちはこの地で天の故郷をしのびつつ旅人の年月を生きています。しかし肉体をまとい目に見える限定的な世界に閉じ込められていれば、時に私たちの心と精神は表面的で肉身的なことに没頭して、霊的世界を眺めることができない時があります。そのような時には決して信仰が育たないばかりでなく、神様の摂理も悟り得ず、また持っていた信仰さえ徐々に崩れてしまいます。 ですから信仰の先駆者たちは私たちの完全な信仰のために見えない世界の存在に対して悟らせ、見えない世界が永遠なる世界だと悟らせています。 二コリ4:18 『わたしたちは見えるものではなく、見えない...
神様が私たちに何かを委ねられる時には必ず祝福を下さるための神様の御旨が隠されています。神様から福音の宣教を委ねられた私たちは、これが他人の魂のためであるばかりでなく、何よりも私たち自身の救いのための神様の祝福だということを悟って信仰の道を歩まなければなりません。 三千人「滅亡の歴史」と三千人「宣教の御業」 昔モ-セ当時、イスラエルの民は神様のお導きにより、奴隷生活をしていたエジプトから解放され、カナンの地に向かって進みました。荒れ野生活をしている間、彼らはモ-セが十戒をいただきにシナイ山に上っている間、肉身的考えに耽って、つい...
始まりは微弱でも行く行くは神様の御恵みで成就されるべき非常に大いなる終わりを待ち望みながら私たちは信仰生活をしています。ですから神様は世の人々には約束なさらずに、ひとえに約束の子孫なる私たちにのみ神様の御恵みにそう祝福の御言葉を賜りました。 ヨブ8:7 『過去のあなたは小さなものであったが/未来のあなたは非常に大きくなるであろう。』 世のすべての業には始まりがあり、その始めた事には必ず終わりを成す結果があります。福音の御業も同じです。私たちの福音がごく小さく、微弱に始まっても、前に進めば進むほどその終わりは非常に大きくなります。過...
今日地球のあちこちでは幾多の災い等(国家間の戦争と民族紛争、テロ、飢饉、地震そして異常気候現象による殺人的寒波と酷暑、洪水等)が起こっていて、このような災いが起こる度に人々は落ち着くことができず不安に震えています。聖書は今後臨むべき災いとその災いの時、人々が取る行動に対してずっと前からすでに預言しています。 アモ9:2-9 『たとえ、彼らが陰府に潜り込んでも/わたしは、そこからこの手で引き出す。たとえ天に上っても・・・カルメルの頂に身を隠しても・・・わたしの目を逃れて、海の底に隠れても・・・』 預言の御言葉を調べてみれば人間はどこ...
農夫が春に種を蒔く時、一番先にする仕事は冬の間休んだ畑を鋤で耕して木の根や雜草等を取り除き、地均しをしてから良い種を蒔くことです。そして真心を込めて芽を出させ、良い肥しをやって、草取りをし、田んぼが乾かないようにし穂の世話をして、秋には立派な実りの収穫に励むのです。 このような事柄から推してみるに、信仰の世界で福音の実を結ぶのも同じことであると思います。聖書に次のような御言葉があります。 ホセ10:12 『恵みの業をもたらす種を蒔け/愛の実りを刈り入れよ。新しい土地を耕せ。主を求める時が来た。ついに主が訪れて/恵みの雨を注いでくだ...
聖書の中に現れた過ぎし日の御業を通して、私たちは神様が御自ら御自分の子らを召され、また彼らを通じて大いなる御業を成就される御力の息を感じることができます。天地万物を創造された神様は各時代ごとにヨシュア、サムエル、ダビデ、ペトロ、ヨハネなどの信仰の先進達を召されて、神様の御言葉のともし火が消えないようにし、信仰の脈をつながせられました。 今日、私たちは神様が偉大なる御業を任せるためにお召し下さった時それにふさわしい者になるため、いかなる心構えで神様の御前に立つべきか、聖書に記録されてある御業を通して、教訓にあずかるようにしましょう。