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シオンの家族の皆さんは、新しい契約の福音が迅速に伝えられ、神様が血によって御自分のものとされた(買われた)教会が急速に成長することを願われるはずです。そのために、心を一つにして祈り、宣教し、神様が喜ばれることを行おうと努力されている全ての労苦に感謝いたします。 教会が成長するということは、聖徒が増え教会の建物が高くそびえる量的な膨張だけを意味するわけではありません。聖徒一人一人が神様の内で正しい信仰を確立していくことこそ、真の教会の成長だと言えるのです。本当に意味ある教会の成長を達成するためにはどうすべきか、初代教会の歴史を中心に聖書に記録された御言葉を調べてみましょう。 初代教会...
災いと罪悪があふれるこの世の中でも、誰も滅びずに皆悔い改めることを望まれる神様の摂理に従って、福音を伝える聖徒たちの足が忙しく動いています。神様は世界を救う長い道のりで、神様の旗をさらに高く掲げられるようお許しになりました。また、これに足並みを揃えて、私たちは海の水を浄化する3%の塩のように、この世の塩になる聖徒たちを捜して、家庭から始めて地域社会、国家と全世界に至るまで神様の福音の国を建設する救いの御業に共に参加しています。 偶像を打った石が大きな山となり全世界に広がるというダニエル書の預言のように、たとえ始まりは小さくても、私たちの終わりは非常に大きくなります。私たち自身の力だけを考...
旧約聖書でイスラエルの民が歩いた40年の荒れ野の道は、従順の道を私たちに教えてくれる生きた教育の場になっています。過越祭で災いの中から贖われ、葦の海(紅海)を乾いた土地のように渡ってエジプトを出る時までは、イスラエルの民は神様の御力に感謝しましたが、救いの御恵みをたちまち忘れ去り何度も恨み言を言いました。神様が導かれる道で小さな困難に遭っても、恨み言と不平が口から離れなかった彼らは、その大多数が荒れ野で倒れて滅亡しました。結局、出エジプト当時20歳以上だった壮年の中からは、神様の導きに完全に従った2人だけがカナンに入ることができました。 この歴史は、信仰の荒れ野の道を歩いている私たちのた...
悟った人と、そうでない人では、行動に多くの違いが出てきます。真理の内でも、神様の御言葉をよく悟り、見えない所で祝福を一つ一つ積み上げていく賢い人がいるかと思えば、祝福を受けられる条件を多くもらったのにもかかわらず、悟れずにその祝福を失ってしまう愚かな人もいます。 私たちは、神様が用意された天国の祝福をどこの誰よりもしっかり積み上げていく賢い人になる必要があります。霊的な祝福を積むことなら、どんな困難と犠牲が要求されるとしても躊躇わなかった、ヤコブのような精神が必要です。肉のことを追い求める欲望ではなく、霊的な祝福に対する欲望を抱いて、目に見えない所から霊的な祝福を積み上げていくシオンの家...
信仰の聖徒たちには、約束された祝福を受けるまで「待つ」ということが必要です。聖徒たちは神様の降臨も待ち、永遠なる天国で世々とこしえに享受する祝福と喜びも待っています。また敵であるサタンが最後の審判を受ける時間も、信仰の内で眠りについた者たちが復活し、私たち生き残った者たちと共に変えられて神様をお迎えすることになる、と言われた栄光の時間も待っています。 待つことには忍耐がなければならず準備も必要です。寿命ある人生を生きていく間、私たちが待つべきことは何であり、どんな準備が必要なのか考えてみる時間にしましょう。 神様を待つ信仰 聖書は私たちが本来天で神様と共にいた天使たちでしたが...
今日この世には数多くの教会があり、神様を信じる人が海の砂のように多くいます。彼らはそれぞれ自分なりの教理を持ち、自分たちは神様の子供だと言って救いを受けたと自負しています。 そのように多くの人々の中で神様の子供は、果たしてどれほどいるのでしょうか?自分は神様の子供だと言ったからといって、神様の子供になれるわけではありません。神様が子供として認めてくださらない限りは、決して神様の子供になることはできません。唯一神様の証しを受けた人が、神様の子供として、天国に入る資格を得ることができます。 聖霊の証しを受けた「約束の子」 二千年前、神様は血と肉を備えた子供たちと同じ肉の衣をまとわ...
聖書の歴史を調べてみると、神様は重要で決定的な時期に奇跡を起こし御自分の民を救われました。葦の海(紅海)を裂かれた御業や、40年間60万人の壮年たちと彼らの家族まで一日も欠かすことなくマナを食べさせてくださった御業や、また岩を打って水を出された御業のように、イスラエルの民に困難がある時は神様が驚くべき方法で道を開いてくださる場面を確認することができます。 それでは、この時代には誰が福音の奇跡を起こすのか、これに対する答えもやはり神様です。私たちは天でサタンに惑わされこの地に追い出されてきたので、今もサタンが惑わしたならば、いつでも惑わされる軟弱な存在です。しかし、私たちをいつも掴んでくだ...
「神様は存在される」と口では言いながら、実際の生活の中では神様が存在しないかのように行動する人々が時々います。もちろん、私たちシオンの家族はそうではないでしょうが、この世の多くの人々は未だに神様の御心を理解できず神様の存在を知り得ぬため、あらゆる悪い習慣と悪い行動をするのではないかという気がします。 神様は全てのことをしっかり監察なさり見守っていらっしゃいます。それで、正しい人は正しい人として、悪い人は悪い人としてそれぞれの行いに応じて報いてくださる「公平な神様」だとおっしゃいました(マタ16:27、イザ30:18)。 地に住むすべての人に目を留められる神様 以前、ある子供が...
旧年を送り新年を迎えながら、私たちに天国の希望をくださった神様にもう一度感謝をささげます。 将来行く所を知らない人々は、早く過ぎ行く年月を振り返りながら、惜しい気持ちと空しさの中で憂鬱になったりもします。しかし、新しい契約の内にいる聖徒たちには、永遠なる天国がより近づいているのですから、さらに神様に栄光を帰し感謝をささげ、神様の国に入る上で欠けた所のないように準備をするべきだろうと考えます。 将来行く天国に対して聖書を通して調べてみながら、喜んで天国を待ちつつ、この地で与えられた生活を、一日一日意味のある充実した日々として生きていくシオンの家族に皆さんなられるように願います。 ...
過越祭の権能で罪悪の世から抜け出した私たちは、永遠なる天のカナンを目前に控えて、信仰の荒れ野の道を歩んでいます。将来永遠の喜びと栄光にあずかるまでは、その過程で暫くの困難や苦難があることでしょう(ロマ8:16-18)。イスラエルの民たちが、奴隷生活をしていたエジプトから抜け出して、約束の地カナンに至る過程の中で経験した40年の荒れ野の道にも、あらゆる悪条件と障害物があったように、私たちが歩んでいるこの道もいつも平坦なわけではありません。 目の前に広がった肉的な条件だけを見れば、どんなに考えても絶望的で解決策を探すことすら難しい時もあるでしょう。けれど、私たちと共に歩まれる神様を考えれば、...
シオンに住む神様の子供たちには、死も苦痛も悲しみもない永遠なる天国を受け継ぐことが約束されています。私たちは永遠に治め世々とこしえに続く天国をお許しくださった神様に感謝と栄光をささげ、神様が導かれる通りに従って行ける信仰を持たなければなりません。 知恵ある子供は両親の喜びだが、愚かな子供は両親の嘆きだという箴言の教訓があります(箴10:1)。どうしたら神様に喜びをささげることができ、どんな信仰の覚悟を持てば神様に栄光を帰す人生を生きられるかを考えながら、後悔が残らない恵み深い福音の生涯を生きていく賢明な天の子供たちになられることを願います。 地上から送られてくる資材で建てた天国の家...
神様は私たちに祝福と永遠の命を賜り、天国を治めることができる権威まで約束してくださいました。私たちが天で犯した罪と咎をすべて赦してくださっただけでなく、罪人である私たちを天の「王である祭司」に変えて、永遠の命に至れるようにするまで、日々「いけにえを焼き尽くす祭壇」の小羊になられ、死の境界線を行き来することも厭われませんでした。 私たちはこのような神様の愛にどのようにして報いることができるでしょうか?ひたすら子供である私たちの救いのためだけに犠牲と献身を惜しまれず、私たちと共にいてくださる天の父と天の母に、果たして何を差し上げることができるでしょうか? 神様に祈りをささげる時、ただ何...
「悔い改めよ、天国は近づいた!」 約2千年前、イエス様がこの地に来られて30歳でバプテスマを受けられ、福音を伝え始められる時に叫ばれた第一声がまさにこの御言葉でした(マタ4:17)。イエス様の御言葉には、人類が悔い改める心で天国に行く準備をすることを願われる御心が込められています。神様の国が迫っている時に、すべての人々が悔い改める心で正しく生きていき、天国に到達することを望まれたので、悔い改めよという御言葉で宣教の門を開かれたのです。 昨年よりは今年、昨日よりは今日、永遠なる神様の国は私たちにどんどん迫っています。その近づいている天国を考えながら、私たちはどうすれば神様が望まれる真の悔...
歴史を調べてみると、偉人の中で誰の助けも借りず独りで偉大な業績を残した人は誰もいないようです。聖書の歴史の中に登場する偉大な信仰の先祖たちも、誰かの助けなしに自分一人でその位置に立った人はいません。 助けとは、人から受ける助けもありますが、全宇宙の万物を創造され、時代と歴史を導いていかれる神様の助けが最も力強い助けです。人々の助けは失敗することもあるし、むしろ誤って失敗させる要因になることもありますが、神様の助けは、いつも私たちを永遠の救いと勝利の道に導いていきます。神様に助けてもらって行うことには、決して失敗がありません。 天が助けたら、人の力でどうすることもできない...
信仰の究極的な目的は魂の救いを受けることにあります(一ペト1:9)。永遠に死ぬしかなかった天の罪人である私たちに、神様はこの地まで来られて救いの真理を施してくださいました。それゆえ、神様の御言葉に従順に従って救いを受ける人生を生きることが、私たちにとって最も大きな幸せであり、最も大きな所得だと言うことができます。 シオンの家族たちは正しい判断力を持ち、どんな困難があっても霊的損害だけは受けず、霊的祝福を全て受けられるよう願います。畑に隠された宝を得るためには、自分の全ての持ち物を売ってでもその畑を買うべきであるように、天国という宝を得るためなら、若さと努力、どんなものでも投資できなければ...
多くの人々は、キリストを信じる前に、まず奇跡を見ようとします。もちろん、神様は全知全能な方なので、どのような奇跡でも行うことがお出来になります。 それでは、キリストが行われる奇跡とは何でしょうか?人々は、足の不自由な人が立ち上がって、盲人が目を開く程度の内容を指して奇跡と言います。しかし、神様はすでにもっと大きくて偉大なる奇跡を数知れず行われたので、その程度のことは奇跡の中でもとても微々たるものに過ぎません。 信仰の目で見れば、私たちは数々の奇跡を眺めることができます。その中でも、神様が行われた最も偉大なる奇跡は、罪によって死んだ私たちの魂を永遠の命の御言葉で復活させた新しい契約の...
聖書の御言葉を見つめてみると、神様が極めて小さいものを通して大きな御業を成され、一見些細に見えることの中にも重要な御心を込められたということを確認できます。 神様は「小さなものも千人となり、最も弱いものも強大な国となる。」と言われた預言の御言葉どおり、小さくて弱かった神様の教会に福音の大きな御業を起こしてくださいました(イザ60:22)。今、福音が全世界に宣べ伝えられる様子を見てみると、小さな能力を持った聖徒たちが預言を信じる信仰で、サマリアと地の果てまで行き、この世のあらゆる民に神様の栄光を大きく現しています。このようにその始まりは小さくても、後には非常に大きくなるのが、福音が宣べ伝え...
私たちが神様を霊の父、霊の母と呼ぶ理由は、私たちが神様の子供だからです。したがって、模型といえるこの世界の中で、両親(父と母)の心を理解するなら、霊的な世界の中での天の父と天の母の心も推し量ることができると思います。 神様は子供たちがどんな姿であることを最も望んでいらっしゃるのか、次の話を通して調べてみましょう。 母が一番会いたいと思った息子の姿 愛する息子を戦地に送り、心を痛めていた母親がいました。ある日、母親は戦地に出て行った息子が戦死したという通知を受け、悲しみのどん底に突き落とされました。その日から息子に会いたくてたまらなかった母親は、夜も眠れず、もう一度息子に会わせてく...
聖書には、神様がくださった教えが一つ残らず記録されていますが、聖書を読んでいながらも神様を知ることができず、その御心を悟れない人々が大勢います。神様が人間の戒めを守る者たちの知恵と聡明さを隠され、御自分が選ばれた民にのみ御言葉を理解することができる霊的な目と耳を開いて下さるからです(イザ29:13-14、マタ13:10-16)。 このような内容を眺めるたびに、私たちの神様は本当に驚くべき指導者であり、策士だという気がします。神様が造られた万物をじっと覗いてみると、その中から創造主の奥深い摂理を見出すことができます。また、この地に臨まれ、私たちを救われるすべての過程の中でも、驚くべき計画が...
愚かな者は神様などいないと思って悪を行うのに大胆です(詩14:1)。しかし、神様はすべてを観察され、一人一人にその行いに応じて報いて下さいます。 世の理を見ても、自分が施したものが自分に返ってきます。愛を施せば、その愛にいつか報いがあり、悪いことをしたら、そのことの仕返しを受けます。行った通りに、自分に返ってきます。 私たちの神様がこの地に来られ愛を施され、私たちの魂を生かしていただく極めて善いことを行われたので、私たちも、神様の愛に報いようと隣人に愛を与え、命を与えることに力を尽くしています。善いことをすると、常にその後に幸せがあり、栄光があります。 行いに応じて私たちに報...