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夏の暑い日や寒い冬の日を問わず、シオンの家族は、福音のために常にご苦労が多いことと思います。神様は失われた者を捜して救うためにこの地に来られ、福音を宣べ伝えられました。人類を天国に導くこの福音が今、私たちが守って伝える新しい契約です。 新しい契約の福音の性格を一言で要約すると「世話をし面倒を見る福音」ということができます。 聖書は神様と聖徒との関係を羊飼いと羊に例えています。良い羊飼いであるキリストは、羊に例えられた御自分の民を愛で世話をして面倒を見られ、御自分の命も惜しまれず守って下さいました(詩23:1 -6、ヨハ10:10-16参考)。このような模範を見せられた理由は、私たちにキ...
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」(ルカ10:2)。 収穫の祭りである仮庵祭の預言の時代を生きていくシオンの子供たちは、霊的な収穫の仕事を引き受けた働き手たちです。たとえ、私たちの力は足りなくても、神様は私たちを福音の働き手にして下さり福音を伝えることをお願いされました。 誰もが忙しい秋の日、賢く勤勉な働き手は主人を快くさせますが、怠惰な働き手は、主人の歯にとって酢のようで、目にとって煙のようになります(箴10:5、26)。今、私たちは果たして主人である神様にとって、どのような働き手なのか考えてみて、福音の働き...
私たちの社会は約束で維持されています。例えば、紙幣は元々紙に過ぎませんが、人々の間で結ばれた約束によって、単純な紙ではなく物を売り買いすることができる紙幣に変わりました。 もし子供が紙幣を裂いてしまったら、人々は勿体ながりますが、それがただの紙だったら、それほど惜しまないでしょう。紙幣とは異なり、紙には約束が内在していないからです。 このように約束は重要なものです。 神様と人類の間にも、神様が立てておかれた約束、まさに契約があります。信仰生活において、契約と信仰に対する相関関係を理解していなければ、なぜ私たちが神様の戒めを守り、エロヒム神様への信仰を守るのか知ることができず、...
善良な心と善い行いは、神様の子供たちが身につけるべき基本的な徳目です。神様の日が迫っているほど、神様は私たちが聖なる行いと敬虔により、真の悔い改めの御業を成し、誰も滅びないで神様の国に皆入ることを願っておられます(一ペト3:16-17、二ペト3:8-13、三ヨハ1:11)。 時代が邪悪で淫乱な世代なので、多くの人が悪に無感覚で悪いことを好みますが、神様の人々がこの世代を学んではいけません(ロマ12章2節)。神様の御言葉の中で適切に実践できていない部分がまだ残っているとしたら、善い姿にすべて直していきましょう。 誰もが聖書の教え通りに生きて、永遠の天国に十分に進んで行かれることを願い...
私たちは一日の中でも多くの対話を交わします。仕事のための対話もあり、家族と共有する談笑、聖徒同士手を握り合って祝福を願う挨拶もあります。考えてみれば対話は生活の中で大きな比重を占めるもののようです。対話なしに互いを理解したり、意思疎通するのは難しいからです。それだけ人生の中で、対話は必要不可欠な要素です。 対話の中には虚しく役に立たず、悪い結末を招く言葉も多くあります(マタ12章34-37節)。だから神様は、私たちに美しい対話法を教えて下さいました。まさに宣教です。宣教は神様の御言葉を主題にして、魂を生かそうとする心で交わす対話です。そのような対話こそ、善にして義であり、世を救う対話だと...
聖書の教えを見ると、天国の入り口で、天国に入る資格がある神様の民とそうでない人が区別されていることが分かります。いくら「主よ、主よ」と叫び、キリストを信じて、その名前で預言者の役割をしても、不法を行う者は天国に入れずに、皆追い出されます(マタ7:21-23、25:31-46)。 この場面は、まるで入国審査場の姿と似ていると言えます。空港の入国審査場を見ると、その国に入ろうとする人々は、すべて入国審査を受けます。ところが、その国の国民と、外国人は、審査される列が異なります。その国の国籍とパスポートを持っている人は、別の審査台でパスポートにスタンプだけもらって簡単に通過しますが、外国人の場合...
聖書はこの時代を生きていく神様の子供たちが、信仰の教訓と警告を得ることができるように、過去の歴史を詳細に記録しています。イスラエルの民が歩いて行った荒れ野の道もやはり、ただ過ぎ去った歴史にとどまらず、天国のカナンを見つめて信仰の道を歩いている霊的イスラエルの民が鏡にすべきである写しと影の歴史です。イスラエルの民が四十年の間歩いた荒れ野の道で、さまざまな試みに直面した歴史を振り返り、今日私たちが果たして神様の御心にふさわしい信仰の道を歩いているかどうか調べてみましょう。 鏡と警告として記録された荒れ野の歴史 3500年前、イスラエルの民族が、乳と蜜の流れるカナンの地に入るためにエジプ...
イスラエルの民の荒れ野生活40年の歴史を振り返ってみると、神様の御心にふさわしくない生活を営むことにより、20年や30年、あるいはカナンの地に入る直前まで厳しい荒れ野を歩いて来ても、結局その群れから離脱したり、脱落した場合が多くありました。この時代、私たちの信仰の荒れ野においては、一人も落ちこぼれず、全員が天のカナンまで無事に到着するように願います。 今は信仰生活をする上で、様々な条件が以前よりもはるかに良くなったことは間違いありません。しかし、そのような外的な環境に反比例して、忍耐する心はますます減る傾向があるようです。シオンの家族たちは忍耐する信仰を持ってくださるよう心からお願いしな...
神様は、福音を聞いて悟り救いに至ることができる機会を、全人類に許されました。その御恵みによって世界の福音の御業が驚くほどに成し遂げられている中、世界のあちこちで数多くの魂が悔い改めて神様の懐に帰って来ています。 福音を伝え聞いた人々が一番驚くのは、まさに天のエルサレム母についての真理だといいます。ヨーロッパや北米、南米、オセアニア、アジア、アフリカに至るまで、世界のどの国でも天の母の真理の前に、福音の門が大きく開かれているのは、それだけ世界の人々が天の母の救いを切に待っていたという生きた証しだといえます。 父なる神様と共に、私たちの救いを成されている母なる神様に対する聖書の教えを調...
今から約三千五百年前、神様はシナイ山に降臨され、神様の御声で御自ら十戒を宣布された後、その御言葉を石の板に刻まれました。神様が命じられたすべての御言葉は成文化され、今日私たちが調べている旧約聖書の根本になりました。また二千年前、この地に人の姿で来られたイエス様の行跡と、日常的に教えられた教訓の御言葉も、すべて記録として残され新約聖書の中心になりました。 ペトロとヨハネ、ヤコブがイエス様を随行した行跡、またイエス様が多くの人に山の上で教訓を言われた場面、病気の人を癒され多くの奇跡を行われた場面、過越祭にパンとぶどう酒をご自分の肉と血として約束され新しい契約を立てられたことなどは、今日、信仰...
最近、神様の教会を紹介するマスコミ報道や映像に接して、母なる神様について問い合わせてくる人が多いです。これまで神様の教会を知らなかったり、また誤って理解していた人たちが、真理の中に出て来ているという便りも世界のあちこちから伝えられています。 母なる神様を伝えたかったある家族が、知人に会って、あなたは天国に行きたいかと聞いてみたといいます。当然行きたいという答えに、そうしたら父だけおられる天国に行きたいか、それとも父もおられ母も一緒におられる天国に行きたいかと、再度尋ねました。聞かれた人は、同じことなら、父もおられ母もおられる天国が、よりいいじゃないかと答えたといいます。 皆さんはい...
秋になると道端のイチョウの木が黄色く染まって、美しい趣をかもし出します。 ところで、よく見ればある木にはギンナンが一杯になっていて、またある木には全くギンナンがありません。イチョウは、メスの木とオスの木が分かれていて、実がメスの木にだけなるからです。 万物を作った創造主神様の摂理はまことに奥深いです(黙4:11)。 すべての生命体は、母親によって命を得て、母親を通じて実を結びます。 シオンでも神様が私たちに福音の実をお許したまいますが、その実は私たちが御母様の心で家族たちの面倒を見て、真心を込めて神様の御言葉の糧をまめに食べさせる時、実るようになります。 神様は、子供たちが御母様の...
アメリカには、樹齢がほとんど 5000年に逹する、 現存する木の中で一番古い木があります。 この木の持っている約 5000本の年輪の中には、毎年その木が経験した哀歓と苦痛、辛さがすべて記録されていて、5000年という長い時間が経っても専門家が年輪を見れば、当時の状況を把握することができると言います。 永遠な天国を望む私たちにも生きて来た人生の跡が記録される霊的な天国の年輪があります。 それなら、 2013年度私たちの年輪はどんな内容で記録されているか、自分を振り返ってみましょう。 福音のために私が今までしたことは何で、私が行った努力の数々は、果してどんな記録でもって天国に帰ることが...
神様は私たちを愛しておられます。 天地創造前に私たちを愛の中で選ばれたし、十字架に釘を打たれて最後の息が止まる時まで、私たちの安否を気づかわれ、今この瞬間も絶えず私たちを愛されています。 それでは、私たちは果して神様を愛していますか? 私たちが神様の内で、信仰の道を歩いていますが、本当に神様を愛しているのか、もう一度考えて見る時間を持てたらと思います。 エルサレムを愛する人々に平安があると言われ、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神様は御自分を愛する者たちに準備されたと言いました(詩122編 6節、一コリ2章 9節)。 今年は皆が神様を愛する心を持って...
聖書は人の生涯を草のようで、野の花のようだと表現しています(詩103編 15節)。 それほど短くて虚しいのが人生です。 しかし、人間はこの地での生涯が全てではなく、元々来た所があって、また将来行く所があります。 誰でもここでの生涯が終われば、後の世界に旅発たなければなりません。 それなら、将来行かなければならない天国に対して、今私たちはどの程度の準備をしながら生きているのか、一度考えてみることにしましょう。 臣下の忠言 昔、ある王とその王が寵愛する臣下がいました。 その臣下は人となりが誠実で善良な反面、純粋で間抜けに見える面もありました。 忠実で正直な性分が気に入った王は、彼...
朝起きれば、数多くの災いと災難の知らせがニュースを通じて私たちに伝えられます。 様々な災いの中でも最大の災いは何でしょうか? 過越祭はどんな災いを兔れさせてくださるために神様が作っておかれた処方薬でしょうか? 世の中で起きる災いは、いくら長く持続するとしても、人生の寿命を越すことはありません。 しかし、聖書を見れば世々とこしえに遭う災い、その苦痛があまりにも甚しくて、死にたくても死が人々を避けていく災いがあります。 神様が私たちに新しい契約の過越祭の真理をお許しになった裏には、その凄まじい災いから私たちを救ってくださろうという切なる御心があります。 世々とこしえに続く災い 世の中...
人生の終わりには裁き、審判があります(ヘブ9:27)。 審判を違う言葉で表現すれば裁判になります。裁判はその人が罪人なのか罪人でないのか、罪があったら罪の度合いがどの程度なのか、最終判決をする過程であるように、霊的世界での審判も同じです。 地獄の苦痛がどんなに大きいのか知らない人々は、この地で与えられた時間を簡単にむだ使いしてしまい、最後の瞬間になって後悔する状況を迎えてしまいます。神様が肉体の衣をまとわれ、この地まで来られた理由も、こんな人生の終わりについてご存知だからです。私たちの身代わりになって罪を贖ういけにえの供え物になられ、十字架の苦難を受けられながら新しい契約を立ててくださる...
人は誰でも自分の経験をもとに物事を判断し、理解しようとします。それゆえに、自分が経験したこと以外は知らないので、限られた知識で聖書の預言を信じられない場合が多いです。復活と変化に対する預言と、神様の民に許される未来の栄光も、世の人は自分が経験したことではないので、理解しようともせず信じようともしません。 自分が今まで経験したことだけが世のすべてではありません。経験できなかったことだといって、無条件に否定するより、神様の真の御言葉を受け入れ、信じるべきです。聖書の預言を目標にし、信仰と希望と、すべての試みを克服するシオンの家族になってください。 目に見えない永遠のことに対する希望 ...
神様は、信じる私たちには宝であられますが、信じない者にはつまづきの石と妨げの岩、仕掛け網と罠になられます。初臨の時にも、トマスのように自分の目で見なかった事実は、無条件に疑う人がいて、イエス様がオリーブ山で昇天される寸前まで疑う心でその場に参加した人がいました。しかしペトロやヨハネ、ヤコブのように、キリストの栄光を見分けて最後まで従った弟子たちも、聖書の中で見ることができます。 「天国の秘密を悟ることがあなたがたには許されているが、あの人たちには許されていない」という御言葉と、また「神様の秘密であるキリストを悟るようにするためである」と言われた御言葉を胸に刻んでみると、最終的に天国の秘密...
神様が造っておかれた森羅万象には互いに引き寄せる力が働いていると言います。これを万有引力というのですが、人と人との間もそうですし、机の上に置かれた鉛筆と消しゴムの間にも、本やパソコンとの間にも、私たちはよく感じられませんが、微力ながら、互いに引き寄せる力が働いているそうです。科学者ニュートンは、その力が両者の間の距離の二乗に反比例し、質量の倍に比例するという「万有引力の法則」を発見しました。 ニュートンは神様が造っておかれた原則を少し理解したにすぎず、神様はすでにそのような物理学的要素を含ませ、天地万物を創造されたのです。人が、神様が造られた法則を一つ発見しても偉大な科学者になるのなら、...