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聖書の預言に従って、エルサレムの栄光が全世界に迅速に伝わっているこの時代、世界のあちこちから、シオンの子供たちがエルサレムに集まって来ているという知らせが続々と届いています。このような兆と徴を見る時、神様が預言なさったとおりに、エルサレムの栄光がサマリアの全土と地の果てに至るまで、世界すべての民族に伝わる日が遠くないようです。 全世界に栄光が伝えられているエルサレムの実体と、エルサレムの栄光に集まる者が受ける祝福について、聖書の御言葉を調べてみることにしましょう。 聖なる都エルサレム
御母様の教訓の御言葉のように、海のような広い心で他の人を理解して受け入れることを指して「徳」といいます。聖書のところどころに徳についた教えが多く記録されているのは、全世界に天の母の栄光を現すため、召された者が必ず持つべき徳目の中の一つが、まさに徳であるからです。 シオンの子供なら、真理のうちで心と魂と力を尽くして神様の掟を守り、神様を畏れることが当然ですが、神様はこのすべての事を行う時、必ずその内に徳を高めることを願われています。このような御心に従って、これまで前だけを見て息を切らして走ってきた私たちの信仰の道を振り返ってみて「徳を高めなさい」と言われた神様の御言葉を心に刻む時間にしたい...
聖書を見ると、神様が終わりの救いを受ける民を種とされ、御自分を償いの献げ物としてささげることによって、その種(子孫)と見なされたという御言葉があります。 神様が造られた自然の万物の中で、種は妙な特性を持った存在です。種はその中で命がある程度育つと、母体である本来の植物の形態にそのまま似るようになります。そして、種は実を結ぶ特性を持っています。どんな植物でも種から発芽し、固有の形態になると必ず多くの実を結ぶようになります。 神様が私たちを種(子孫)と見なされたという御言葉には、私たちが真理のうちで新たに生まれて育つなら、私たちの姿が必ず神様に似なければならず、また必ず実を結ばなければ...
シオンの聖徒は、神様が「七日目の日、安息日を心に留め、これを聖別せよ」と言われたので安息日を守り、また「礼拝するとき、女性は頭に物をかぶりなさい」と言われたので、女性の聖徒たちは礼拝するときベールをかぶっています。このように、仰せられた御言葉どおりに行う全ての信仰の行為は、まさに神様に対する従順だと言えます。 キリスト人の生活は一つ一つが皆、神様が仰せられた御言葉どおりの生活にならなければなりません。神様は、聖書の御言葉に付け加えたり、取り除いたりしてはいけないと言われました。救いのための全ての方法を、聖書の中に集約しておかれたからです。 神様が教えてくださった道に従えば、その道の...
正しい信仰の道を歩む人には特別な変化があるはずです。神様を信じ始めた時には、どうすればわたしが救われ天国に行けるのかを考えます。ところが、新しい契約の真理の内で救いの確信を得た後は、いつしか人類の救いを望まれる神様の御心にそのまま似通い始めます。 過去わたしたちの関心が自分自身にあったなら、これからは世界を見つめなければなりません。神様は私たちに救いも祝福もお許しくださいました。真理の内にいて天の父と母に対する信仰を持っているなら、この囲いに入っていないほかの羊の群れに関心を持ってみましょう。 昨日より今日、昨年より今年と私たちの考えはより一歩進んで変化して行かなくてはなりません...
聖書の預言は、過ぎ去った歴史の中で一点一画も残すことなく実現されて来て、今この時点までも成し遂げられています。まだ成就していない一部の預言も、遠からず神様の摂理の中で、全て成し遂げられるでしょう。 今、私たちの前に残されている一番重要な聖書の預言は、エルサレムの栄光が諸国の民に伝播されるという御言葉です。預言があるといっても、それが成し遂げられるまで神様に切に求めて努力しなければ、預言が成し遂げられるのが遅くなってしまい、そのような人は預言された栄光の場に参加することが難しくなるでしょう。預言に従って動く天の軍隊として、エルサレムの栄光を全世界に伝えるシオンの民になられることを願います。...
アニメーション「エジプトの王子」を見ると「砂漠で黄金より水がもっと貴く、道に迷った羊には王より牧者がもっと貴い」というせりふがあります。考えれば考えるほど正しい言葉です。道に迷った羊がいたら、その羊に一番必要な存在は、自分を導いてくれる牧者です。終わりが見えない砂漠を迷う旅人に、一番切実に必要なものは水でしょう。 干ばつで水一滴ない時、黄金が何の役に立ち、権勢が何の意味がありましょうか。生命体は、水がなければ生きることができません。 私たちの魂の命もこれと同じで、神様の真理の御言葉である命の水の供給を受けることができなければ、霊的な飢渇に喘ぎながら永遠なる滅亡を待つだけです。今日、...
歳月は人を待たず、神様が予定なさった永遠の時間の中に早く駆けていきます。過ぎ去った歳月を振り返り、私たちを救って下さった神様の愛と恩恵に感謝し、栄光をささげる事を忘れてはなりません。 子を生んで育てる親の苦労を子はよく知りません。物心がつかない幼い時には自分のために親がどれほど苦労し犠牲になっているのか悟ることができず、成長しても自分ひとりで育ったかのように親の恩を忘れるのが常です。 これと同じく、私たちを永遠の命で産み、天国に導かれるまで天の父と母が施して下さった愛の広さと深さがどれ位なのか、私たちは推測することが難しいようです。私たちの魂を救われた神様の限りない御恵みを悟り、常...
聖書の中で神様に愛されて救われた信仰の先祖たちの面々をよく見れば、常に神様に近付き神様の御言葉を絶対視したという共通点があります。永遠なる天国に入るためには、私たちも彼らのように御言葉に接した生き方をしなければなりません。 人は自分の身近にある対象の影響を受けるようになっています。エアコン(クーラー)のそばにいる人には涼しい風が伝わり、ヒーターの近くにいる人には熱気が伝わるように、神様のそばにいれば神様から出る命の気運に満ち溢れるのではありませんか。神様のそばにいず恣意的な考えに偏っている人は、神様が下さる聖霊の力を決して感じることはできません。 私たちシオンの家族は、皆が神様のそ...
人が自分に与えられた人生を価値あるよう生きるためには、どのようにすべきでしょうか?多くの思想家や哲学者たちは、自分のためだけに生きて行く人生よりも他人のため、人類のために貢献する人生の姿について深く思考しました。その中でも、18世紀に活躍したフランスの思想家モンテスキューは、「わたしは自分に有益でも、家族に害になるならそれを捨てた。家族に有益だとしても、社会や国家に損害をもたらすということが分かった時には、その有益なものを直ちにあきらめた。そして、わたしは国家に有益なものでも、全人類に致命的な損失を被らせることが分かった時には、それを断固として犯罪とみなした」という言葉を残したそうです。 ...
何年か前、ヨーロッパ地域の神様の教会を訪問したことがあります。そこで神様の御心に仕え、昼も夜もなく苦労される情熱的な家族たちに会い、多くの恵みを受けて帰って来ました。 ヨーロッパ大陸を見回った感想を一言で申し上げますと、そこは真理の光がまだ完全に照らされていない暗黒の地でした。暗闇の中に身を置いているので、聖書の真理が汚染され歪曲されているにもかかわらず、人々は全く見極めることができませんでした。古くて大きいという教会の外壁には怪物の形の彫刻が数十個ずつ付いていて、その中では救いの真理を捜し出せないのにもかかわらず、、皆ものともせずに神様から遠ざかったまま暮らしていました。 エロヒ...
シオンの家族のみなさんが神様が約束された春の雨の聖霊の祝福を心から求めておられることと信じます。農夫が秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つように(ヤコ5:7-8)、私たちが聖霊の豊かな雨を待つのは神様が喜ばれる尊い実を結ぶためです。 神様が注いでくださった聖霊の火を消さずに、心にいつも泉が湧くようにさせるためには、この命の水が溜まっているだけではなく流れて行くように水の出入り口を開けてやらなければなりません。そうするには、神様が聖霊の導きにより下さった聖書の御言葉に心を留め、その御言葉を実行することが必須になります。私たちが実行すべき御言葉の中でも、神様がこの時代わ...
霊的に秋を迎えたシオンでは刈り取りの真っ最中です。神様は愛する子供たちに、命の御言葉を伝え魂を救う福音の働き手としての使命を託してくださり、鎌も預けてくださいました(マコ4:29、ヨエ3:13参考)。 豊かな良い実を刈り取るためには、種を蒔く努力がまずなされなければなりません。蒔いて刈り取る努力なしに、ただ良い実を望んでいるだけでは決して得られはしません。福音という種を人々の心の畑に勤しんで蒔いてこそ、それが成長し実を結ぶのではありませんか。 神様が種という存在を創造される時、作っておかれたプログラムがそのようになっています。「自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」という御言...
聖書では、その時代ごとに世を目覚めさせる声で、多くの魂たちを救いの道に導いた歴史を見ることができます。ヨナ預言者の呼びかけがそうであり、ペテロの宣教がそうでした。 鶏の鳴き声が夜明けを告げ、寝ていた人々を目覚めさせ起こすように、神様の福音を伝える聖徒の声が、暗黒の闇であるこの世を目覚めさせる声にならなくてはいけません。暗黒の霊的混沌時代に、私たちが世を目覚めさせる声を発しなくては、人々は霊的な時刻がどの辺りまで至ったのか誰も知りえないでしょう。深い眠りに落ちている魂たちを、はっきりとした声で正しく目覚めさせ、地獄に向かって進んで行くしかない足を全て天国に導かなければなりません。 「...
キリストの最後の瞬間に照明を当てた「パッション」(原題:The Passion of the Christ、キリストの受難)という映画が、世界的に上映され好評を得たことがあります。この映画は、過越祭から始まり、キリストの受難を描いた後、復活の場面で締めくくられるのですが、内容を簡単にまとめると、命を生かすためにイエス様が一粒の麦になられる過程を生き生きと描写したものだと言えます。 私たちもキリストのように一粒の麦になって、命を生かす仕事に力を注ごうという意味で、多くの人の命のために犠牲になられたキリストと、その血によって立てられた新しい契約について、聖書を調べてみることにします。 私た...
地球のある所ではテロと戦争で数多くの人命が犠牲になっているかと思えば、またある所では各種新型の伝染病が発生して世界中に広がっています。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。」(マタ24:6)と仰せられた御言葉どおり災いが横行する時代にも、われわれ子供たちを慰め護って下さる神様の御恵みに感謝をささげます。 福音が全世界に伝えられている今、遠くの国で起こる災いや災難だとしても、もう他人事とは思えません。 天の母は、「現地にいるシオンの家族だけでなく、災いによって苦しむ多くの人々を思い、世界平和の為に祈りましょう」と言われました。命を大切に思われる神様の...
聖書は「恐れ(畏れ)」について二種類の御言葉を記録しています。ひとつは「神様を畏れなさい」であり、もうひとつは「恐れるな」という御言葉です。神様を畏れなさいというのは、神様を恐怖の対象としてではなく、私たちの創造主であられ、救い主であられるので畏敬の念を持ちなさいという御言葉です。そして恐れるなというのは、神様でないほかのどんな対象についても、恐れない信仰を持ちなさいという意味で下さった御言葉です。 イエス様がくださったタラントンのたとえの中でも、1タラントンをもらった人は恐れによってそのタラントンを地に埋めて隠しておきました。神様は私たちにそのような恐れを持たず、堂々とした信仰を持ちな...
御父様は「軍隊はラッパの音で動き、信仰の聖徒は預言の声で動く」という御言葉をくださったことがあります。 ところで、今日わたしたちが耳を傾けなければならない預言の声は何でしょうか?神様がくださった預言の中で、私たちが成就すべき残りの部分があるとしたら、互いに助け合いながら終わりの福音を成しなさいという御言葉だと言えるでしょう。聖書を参照しながら預言の中に込められた神様の御心に、より一歩近づいていく私たちになるようにしましょう。 キリスト・イエスに倣って 神様は私たちがイエス・キリストに倣って、互いに志を共にすることを願っておられます。 ロマ15:5-6 『忍耐と慰めの源...
人が心を一つのことに継続して集中させるなら成せないことはないと言い、昔の言葉にも「精神一到、何事か成らざらん」という言葉があります。 新年になると人々は様々な計画を立てますが、実際のところ年末までにその計画を全て成就させるようなケースは珍しいようです。あれこれと全てしようとする人は、結局一つも成し遂げることはできません。しかし、一つの目標に向かってたゆまず邁進する人の場合は、ある時自分の目標を成し遂げている姿を見ることができます。 心を尽くせば不可能なことはない 海辺に住む「砂蚕」は、身体構造上、道具として使えるような硬い部位はありませんが、穴を掘るのが上手です。けれど、ゴカ...
人には誰でも価値のある重要な仕事をしたい欲求が内在していると言います。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブ9:27)と言った聖書も、人類にこの世で生きていく間、神様の義を求め新しい人として生まれかわった生涯を生きて行くように忠告しています。 それでは、人生を生きていくうえで、最も意味深く重要な仕事は何でしょうか?シオンの家族たちは、すでにその答えをご存知のことと思います。エロヒム神様がこの地に来られ、全ての模範を見せてくださり、私たちにその仕事を任せてくださったからです。 神様が私たちに任せられた仕事が、どれほど価値ある仕事なのかをもう一度考...