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人は過去の人生の中で、自分がしてみなかった事に対して後悔する場合が多くあります。外国人の前で言葉に詰まれば、学生時代に外国語の勉強を熱心にしなかったことを後悔したり、年を取れば、若かった時に熱心に勉強し、まめまめしく働きなさいと言われた親の話を、どうしてちゃんと聞かなかったのかと後悔したりもします。 人がこの世を生きていく過程で、後悔することがないわけにはいかないでしょうが、永遠の世界へとつながる霊的なことに対する後悔は、残してはいけません。神様は私たちに後悔しない真理を伝えてくださり、またその中で永遠なる天国までも相続することをお許しくださいました。神様が約束された天国の価値を悟り、後悔し...
霊的な秋を迎え、世界のあちこちで汗を流し、福音の畑を耕したシオンの家族たちの苦労が豊かな結実につながっています。預言に従いすべての祝福を授けてくださり、豊かな良い実を許されたエロヒム神様に感謝と賛美をささげます。 皆さんが僕の精神ではなく、子の精神で新しい契約を伝える事に汗を流されたゆえに、神様がその心の中を御覧になり、創世前にあらかじめ備えられた良い実をシオンの倉にいっぱい満たしてくださったと信じます。天国のすべての嗣業があらかじめ備えられている私たちは、僕ではなく天の長子です。私たちが授かった天の長子の権利の価値と、その特権に対して考えてみることにします。 エサウとヤコブ ...
人がこの世に生まれるときは、誰もがその人なりの使命を持って生まれてきます。ですから、この地に生まれた人なら、無意味な存在は一人もおらず、一人一人が多くの人たちに大小の影響を及ぼして生きていて、人類の歴史の流れを導いて行く重要な存在だと言えます。 いつか「木を植えた人」という話を読んだことがあります。主人公はある山の荒れ地で一日に100個ずつどんぐりを植える人に会うのですが、月日が流れて再びたずねた時、そこは驚くほど美しい沃土に変わっていました。誰かにわかってもらえようがもらえまいが関係なく、毎日どんぐりを植えた一人の人のおかげで不毛の荒れ地が森になり、花が咲き小川が流れる沃土に変わったと...
この世の多くの人々は、自分なりの生活の目標があります。何年後に家を買うとか、子供たちの未来のために学校教育をどのようにするか等々、この世に対する多くの希望を持って未来を設計します。 職場で仕事をするにしても、希望があれば楽しいです。これからどのくらいの時が過ぎれば、より良い位置でより幸せな生活を味わうのだという希望と目標がある時、力が出てその仕事のために力いっぱい駆けて行くことができるのではないでしょうか。 神様を信じる聖徒も同じだと思います。私たちが信仰生活をしながら、未来をどのように設計してきたのか考えてみて、私たちの目標と希望を再び点検してみる時間を持ってみましょう。 ...
新しい契約の福音が全世界に伝えられながら、霊的な盲人の目が開き、聞こえなかった人の耳が聞こえ、死の陰の地に住んでいた魂たちが生き返っています。神様が御自分の犠牲の血で立てられた新しい契約の御力は、本当に奥深く驚くべきことかはかり知れません。 神様は、新しい契約を信じて守る者には、無条件に罪の赦しと永遠の命を共にくださると約束され、新しい契約で私たちの神様になってくださり、私たちを御自分の民としてくださいました(エレ31:31–34)。天で罪を犯してこの地に追い出され、死の判決を待っていた私たちに、これよりももっとうれしい祝福の知らせはないので、新しい契約を指して福音(good news)...
聖書の最後の章であるヨハネの黙示録22章では、神様が“霊”と花嫁としてこの地に現れて全人類を救いの道に導かれる場面を見ることができます。これは使徒ヨハネが見た明確な黙示であり、必ず成就される預言です。聖書はこの全ての預言の御言葉から決して加えたり取り除いたりしてはいけないという教えの御言葉まで、続けて忠告してくれています。(黙2:17-19)。 預言どおり聖霊である父なる神様と、花嫁である母なる神様が、永遠に死ぬしかなかった人類に、命の水を賜り、この祝福の便りが伝えられる各所で、多くの魂が命を得ています。 歴代の信仰の先祖はいつも神様を誇りました。聖父時代にはエホバの神様を誇り、聖...
最近神様の御心を奉じて全国と海外で10タラントン運動が活発に展開されています。「果たして私に任せられた10人の魂をどう救おうか」と思ってシオンの家族たちが今この瞬間も多くの祈りをささげ、天の父と母に頼っていらっしゃると信じます。 10タラントン運動は、神様が私たちに申し付けられ頼まれた魂を救う運動です。その中には、私たちを目覚めさせ身を慎ませて、ともし火と油を準備してキリストの降臨を準備させようとされる神様の御心が込められています(マタ25:1-13参照)。私たちにタラントンを任されたエロヒム神様の真の御心を、聖書を通して理解する時間を持ちたいと思います。 救いを準備したノアのように ...
今日この世に多くの教会がありますが、大多数の教会では、イエス様が手本を見せてくださり教えてくださった新しい契約の福音を守らず行っていません。キリストを信じるという人たちが、単純に信じさえすれば救いを受けることができると主張し、聖書を見ると言いながら、聖書に記録されたキリストの教えどおりに行う実践的信仰に対しては見過ごしているのが現実です。 神様の御言葉を知ってはいても実行せずにいたら、神様の命令と法の中に込められている神様の御心をしっかり理解することはできず、神様の救いの御業に共にあずかることもできません。知ることは理論であり、行うことは実技と言えますが、この世の理を見ても理論と実技が相...
最近シオンの家族たちが、まだ福音の伝わっていない海外の遠い地域まで行って熱心に真理を伝えています。過ぎ去ってしまったら二度と来ない時間の中で、本当に意味ある足跡を残していると言えます。皆、いろいろ困難な条件を克服して多くの魂たちを天の父と母の懐に導いていて、どんな小説家も書くことができない美しく感動的な新使徒言行録を記録しています。 もちろん韓国でも、海外で福音を伝える家族たちのために早朝から共に祈って心と志を共にするシオンの家族たちがいます。このこともやはり、天の父と母が成していかれる福音の御業に共に参加する恵み深い信仰の行為だと考えられます。 聖書に記録された人物たちを見る...
聖書には、この地にある物の実相が天にあると書かれています(ヘブ8:5参照)。私たちに肉の体があるように、救われて将来天に帰る神様の子供たちには、新たに生まれる神霊的な姿もあります。私たちを産み育てる肉の親がいるように、私たちを天の神霊的な姿として生み、変えて下さる霊の御父様と御母様が存在されることを、神様の創造の摂理の中で見つけることができます。 順理に従って許される永遠の命 昔から先祖たちは、天の御心を悟って従うのが順理(道理に従うこと)であり、何であれ順理に従って、はじめてすべてがうまくいくと考えました。順理という言葉は、天の御心に順応することを意味しています。神様の御心が万物...
神様を受け入れるということは、すなわちその御名を信じることを意味します(ヨハ1:12)。シオンの家族は聖父、聖子、聖霊(父と子と聖霊)として、それぞれ働かれる神様の御名を知っています。また、新しい名で来られたキリストを受け入れて、新しい名が聖霊時代の救い主であることを証しする証人となり、新しい名で祈り、新しい名を賛美し、その名の御力により救いに至るようになりました。神様の御名は、霊的な世界で無限の権能を発揮します。聖霊時代の救い主として、この地に来られた新しい名と、また聖霊の花嫁である新しいエルサレム天の母の御名の価値が、如何に大きく、その御名が子である私たちにどんな影響をもたらすのか、聖書の...
見張りとは、警戒しながら守る仕事をする人のことを言います。見張りは他人が眠っている時にも起きて一生懸命監視し、敵が侵入してきたり災いが迫る気配が見えたら、人々に知らせ備えさせることがその使命です。 神様はシオンの子供たちに霊的な見張りの使命を託してくださいました。人々が聞いても聞かなくても神様の御言葉でこの世を目覚めさせ、災いを免れるようにし救いに導くことが霊的な見張りの使命です(エゼ3:11、17-18参照)。 今日発生している災いが、神様が人類に送られる警告のメッセージだということを考えるとき、見張りである私たちがこれを他人事のように見ているだけではいけません。このような問題と...
聖書の御言葉を調べると、士師記7章でギデオンの300人の軍隊が、13万5千のミディアンの軍隊を撃退する場面を見ることができます。神様がギデオンの勇士300人を選ぶ時、初めに3万2千人が召集されていました。彼ら皆がミディアンを退ける為の軍隊として召集されましたが、神様の基準によって本当の神様の勇士として最後まで残ることができた人々は、神様の軍隊の価値が分かる300人だけでした。 万一、彼らが神様の軍隊、神様の選んだ勇士としての価値が分からなかったら、死の戦場に進む為にそんなにも努力し苦労する理由がなかったはずです。当時、神様が御自ら選抜なさった300人は、まことの価値が何なのかが分かる者た...
私たちの周りには、神様を信じなければならない当為性は認めながらも、神様の御前に進み出る足を一日一日遅らせる人々がたくさんいます。彼らはよく「今は一生懸命人生を生きて、少し年をとったら信仰生活をするつもりだ」と言ったり、「今、先にしなければならないことを済ませた後で、余裕ができたら神様を信じる」と言ったりします。しかし、自分が計画し夢見る明日が必ず来るとは限らないのが人生です。 何年か前、インドネシアで地震が起こり、5千名が死亡し、数万人の負傷者が発生したことがありました。この地震は、人々が皆寝ていた早朝に起こったので、被害が特に大きかったと言います。 一晩の間に、そのような災いが起...
今日、新聞や放送などのマスコミでは、日々衝撃的で憂鬱な便りと共に、暗い展望を多く伝えています。戦争と飢餓、各種の疾病と異常気象、世界経済の崩壊、人間性喪失など、山積した問題のため、ますます暗鬱になる未来を懸念し、各界各層の専門家たちが各々の解決策を熱心に探していますが、そう容易ではないのが現実です。 気づいてみると、人類の未来が私たちの手にかかっています。私たちがまさか、そのような壮大なことができるのかと考えるかもしれませんが、神様の御心がそうなのです。神様は、危機にある人類を救い、世界の運命を決定づける歴史的な使命を、私たちに任されました。シオンに住む聖徒が、明日を知らずに生きている人...
人々はよく、自分には他人より機会が少ししか与えられなかったため、自分の人生を成功させられなかったと言います。ところが、これはもっと慎重に周囲二気を配ることができず、公平な神様の摂理を悟れなかったために言うことではないかと思います。実際には実行できる多くの機会があるにもかかわらず、人々はこれを機会とみなさないため、無関心に見逃してつかみ損なってしまう場合が多いようです。 私たちにも、幾多の機会が訪れては去っていきます。何より神様が望まれる善を行える機会が与えられたのに、これを逃してしまって悔しがるような事は、私たちにあってはならないでしょう。 一度行わなかった善行は永遠の後悔を残す ...
永遠なる天国を思い慕って進み行く信仰の旅路の中で、私たちは「神様に属した自分」と「私に属した自分」のうち、どちらに属している姿をしているでしょうか。振り返ってみたら、「神様に属した自分」より、「私に属した自分」のほうに偏っている場合が少なくなかったように思われます。心では当然、「神様に属した自分」の姿でなければならないと思うのですが、実際にはそのような生活ができていない瞬間が多かったようです。 そのような意味で、果たして自分は「神様に属した自分」として生きているのか、そうでなかったら「私に属した自分」として生きているのか、神様の御言葉に照らし合わせて確認する時間を持つことにしましょう。 ...
私たちの周りを調べてみると、人々は本当に大切なものがそばにあっても、いつも身近に接していると、その重要性を忘れて疎かにする場合がよくあるようです。神様が私たちに教えてくださった多くの真理の中でも、安息日がまさにそうだと言えます。 神様は初めに天地を創造される時、六日の間働いて七日目の日に安息なさりながら、この日を特別に神聖な日とされました。3500年前律法を頒布する時は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」という御言葉を十戒の石の板に御自ら手で記されました。安息日は救いと密接な関係があり、私たちの救いに絶対的な部分を占めているといっても過言ではありません。 それにもかかわらず、今日多...
今日地球村のあちこちから聞こえてくる災いのニュースにより、全世界が緊張しているさなかにあります。戦争と紛争はもちろん地震や津波、火山爆発、異常気象による被害など、絶え間なく続く災いは、すでに聖書によって数千年前から警告されている内容ですが、そのすべてが私たちが生きている聖霊時代に一斉に起こっているといっても過言ではありません。 神様がこの時代に過越祭を回復してくださった理由は、神様の民たちを災いから護って下さるためです。3500年前出エジプト当時、他でもなく過越祭をイスラエル民族に教えて下さった理由も、とても大きな災いがエジプト全域に襲来するためでした。神様はいつも災いを下される前に、神...
一日の日課を終える夜や、一年を終える年末になって、過ぎ去った時間を振り返ってみると、皆に同じ時間が与えられても、その時間を忠実に生きた人もいれば、そうでなかった人もいることでしょう。その違いは目標の有無にあります。目標を設定して、実現させるために誠実に努力した時、その事柄を成就して、やりがいが得られるため、個人でも団体でも仕事を始めるとき目標から設定するようです。 私たちの信仰生活も同じです。同じ時間が流れる間にも、その生活の中に霊的な目標のある人は、天国で享受する栄光と祝福を見つめて、日々忠実な生活を送ることができ、そうでない人は、ただ一日を迎え過ごす無意味な日常の繰り返しの中で、生き...