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待望の2009年の新年は、これまで熱心に信仰の道を走ってきたシオンの聖徒たちが新しい悟りと覚悟を持たなければならない時点だと思われます。私たちは安息日、過越祭、新しい契約の3次の7つの祭りなど、神様の戒めをよく守っています。しかし、今はキリスト者として神様を畏れ敬う姿勢と態度にも、より神経を遣わなければならないと信じます。 神様が私たちに望んでおられる御心を速やかに悟って、実行に移してみましょう。互いに和合せよと言われる時には和合し、兄弟姉妹を自分の体のように大切にせよと言われる時は、お互い大切にすることができる、アブラハムが甥のロトに良いものを譲ったときに、より良い祝福を受けたように、...
神様が私たちに、色々な戒めを与えられ聞き従うようにされるのは、御自分のために独善的な行動をされたり、私たちの自由を拘束なさろうとされるからでは、絶対にありません。 神様の戒めを守ること、兄弟愛、宣教、...これらどれ一つも愛に由来していないものはありません。神様のすべての御言葉は、その裏に見えない神様の愛が込められています。 罪を犯した子供たちを救いに来られた神様 神様の愛を多少なりとも理解するには、まず魂の問題を悟らなければなりません。魂の理を知らなければ、人類がなぜこの地で悲しみと苦しみを経験して生きていくのか、言葉で天地万物を創造された御力の神様が、なぜ6千年という長い...
人が世の中を生きていきながら周囲の人々との対話なしに過ごすことほど、苦痛で大変なことはないでしょう。刑務所でも重罪人は、人と意思疎通ができない独房に監禁されるといいますが、神様との対話が断絶した信仰生活であれば、霊的にもそのような状況と別段変わりありません。そんな生活の中では、喜びを得ることができず、神様の御心に完全に仕えることができません。 私たちが神様の御心を成すためには、何よりも神様との対話が必要になります。例えば「行って、すべての国民を弟子にせよ」と言われた神様の御言葉に従うには、私たちはいつ、誰のもとに行って、どのような方法で弟子にし福音を伝えるのか、具体的な部分について神様に...
聖書の中で天国は極めて貴重な宝にたとえられています(マタ13:44-46)。人が偶然この宝を見つけて喜び、自分の持ち物をすっかり売り払って、これを買ったというイエス様の御言葉を通して、私たちは私たちに与えられた天の救いの価値がどれだけ大きいのか、少しでも推測することができます。 永遠の天国、大宇宙の銀河の世界を自由に行き来することができる天の栄光が、神様の祭りを守る人々に与えられるという事実について聖書を通して確認しながら、神様のすべての新しい契約の祭りを大切にみなして守っていくシオンの家族に皆さんなりましょう。 短期間の宇宙旅行と、永遠なる宇宙旅行 世の人々も、宇宙への憧れ...
神様は悪魔を退けられ、子供たちに永遠の命を下さるために、過越祭の真理を制定されました。シオンの家族なら誰でも過越祭の重要性をよく知っていますが、過越祭によって災害が過ぎ越す理由は何なのか、私たちがより綿密に調べてみるべきだと信じます。 過越祭の真の意味が何なのか、災いを過ぎ越させる過越祭の力の源がどこに由来しているのかを聖書を通して調べてみて、神様の御前でより謙虚で謙遜な者になりましょう。 過越祭、小羊の血で災いを免れる 過越祭は、今から3500年前に制定された神様の祭りです。イスラエル民族がエジプトで奴隷として生きている時、イスラエルを解放して送れという神様の命令に逆らっ...
ヨハネの黙示録を見ると神様が全ての人を裁かれる時点が到来する時、裁きの玉座の前に各自が生きながら行った行為が書かれている書物が開かれています。神様は、その書物の記録に基づいて、その人が義を行ったか不義を行ったか、また神様の御心に仕えて善を行なったか悪事を働いたか、この世に生まれ生きてきた全ての時間を点検され各自の仕業に応じて報われます。だとすれば私たちに与えられた日々の全ての時間が非常に重要だと言えるでしょう。悪事を働いて品行録に記録された人には神様が彼の悪事のまま報われ裁きます。私たちは日々許される人生の時間を美しい行いで満たし、私たちの天の品行録に善なる記録を沢山残さなければなりません。 ...
一日、一日が過ぎ、一年また一年と時を過ごしながら、天国を懐かしみ天の父を恋しく思う心もますます大きくなるようです。 過去、失ってしまった永遠の天国への懐かしさと、天の父がこの地に早く来られることを渇望し待つ気持ちが、シオンの家族たちの心の中で一つになる時間が、今この時ではないかと思います。望みが叶うことを忍耐し待ちながら、聖なる信心深い生活を送り、永遠の故郷である天国を切に待ち望み、日々生きがいを感じ価値ある人生を送られるよう願います(ロマ8:15、二ペト3:11-13)。 懐かしい故郷、天国 人々は、誰でも自分が生まれ育った故郷に対して本能的な懐かしさを感じるものです。聖書...
聖書は、神様を愛であると記録しています(一ヨハ4:8)。今日私たちがこうしていられるようになるまでには、犠牲により命の真理である新しい契約を立ててくださった父なる神様と、今この瞬間も苦労を惜しまれず私たちを永遠の天国に導いてくださる母なる神様の存在がありました。 天の父の愛も測り知ることができませんが、天の母の愛はさらに測り知れない限りなく深い愛です。シオンの家族が互いに助け合い、愛で和合することができる力も、母なる神様から出てきたと言えます。天の母の無限なる犠牲と愛が、目に見えない霊的な世界においてサタンのすべての妨害を退け、子供である私たちを勝利へと導いているという事を、聖書を通して...
約束とは、あることについてどのようにするか前もって定めておいて、お互いに守るよう心に決めることを言います。また約束は、双方の間で成立するものであって、約束を結ぶ対象が存在します。 新旧約66巻で構成されている聖書は、神様と私たち人間との間で結ばれた、神様の約束が込められています。聖書の中で旧約は、神様が人類にくださった古い契約、つまり古い約束であり、新約は神様が新しくくださった約束、つまり新しい契約です。この約束は人間が一点一画でも、勝手に手を加えたり、他のものと換えたりはできません。そのため、神様と私たちの間でお互い約束したその御言葉に、絶対加えたり取り除いたりしてはいけない、と言われ...
シオンの家族たちが聖書の預言に従って、全世界を救い、神様に喜びを差し上げようという信仰を持って10タラントン運動に心と思いを尽くしている今日、父なる神様を信じ母なる神様を信じる信仰の中で、世界が恵み深く変わり行く姿を見ることができます。 神様は全てが預言どおりに成し遂げられるということを、私たちに確めさせてくださいました。神殿が狭く感じられるほど多くの家族が祭りを守ったという知らせがあちこちから届き、世界の各地から神殿を広げてくださいという要望が寄せられるほど、多くのシオンの家族が真理の内に波のように押し寄せて来ています。 私たちは御言葉どおりに、行って福音を伝えただけなのに、短期...
聖書に記された多くの災いが、今日世界のあちこちに降りかかっています。私たちが生きているこの時代は、いつの時代よりも神様の助けとご加護が必要な預言の時期ではないかと思います。 災いがあふれる時ほど、神様の民には何より神様の救いの御手が必要です。そんな意味で神様の救いに対する教えを聖書を通して共に調べてみることにしましょう。 神様を自分の助けとみなす者、災いが襲うことはない 神様は私たちの牧者であり、救い主であられます。私たちが依り頼み、頼れる対象は神様しかいらっしゃいません。 詩91:1-11 『いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ。主に申し上げよ/「わた...
聖書は、私たち人間をすぐに消えうせる朝露のようだと表現しています。神様の偽りのない御言葉のように、過去の人生を振り返ってみると、月日の経つのは本当に早いと思います。 人間はどれだけ儚く空しい日々を送り、風前の灯のように人生の最期を迎えるのか考えてみながら、シオンの家族の皆さんはそれぞれに与えられた時間、神様がお許しくださった、真実であり未来がある事に、情熱と真心を尽くされるようお願いいたします。空しいことにしがみつき一生を送るつまらない人生ではなく、私たちには永遠なる天国があることを聖書を通して調べながら、心に生きた望みを抱く恵みの時間を持たれるよう願います。 明日のことを誇るな ...
神様は人類に旧約は旧約どおりに、新約は新約どおりにそれぞれ違う方法で救いの教えをくださり、天国に行くことができる道を開いておかれました。旧約の中心になる内容は、神様が霊の状態で救いの摂理を働かれた記録だとしたら、新約は、肉体をまとわれこの地に来られた神様にどのように対するべきか、に関する教訓で満たされています。 聖書を調べると、時には霊でおられた神様のことさえ知らなかった人々もいれば、神様が肉をまとわれこの地に来られた時、見分けられなかった人々もいます。その反面、霊の姿である時も、肉体で来られた時も、正しく仕え受け入れて、祝福を受けた人々もいました。 私たちの魂の救いは、神様を知る...
シオンの家族の皆さんは、新しい契約の福音が迅速に伝えられ、神様が血によって御自分のものとされた(買われた)教会が急速に成長することを願われるはずです。そのために、心を一つにして祈り、宣教し、神様が喜ばれることを行おうと努力されている全ての労苦に感謝いたします。 教会が成長するということは、聖徒が増え教会の建物が高くそびえる量的な膨張だけを意味するわけではありません。聖徒一人一人が神様の内で正しい信仰を確立していくことこそ、真の教会の成長だと言えるのです。本当に意味ある教会の成長を達成するためにはどうすべきか、初代教会の歴史を中心に聖書に記録された御言葉を調べてみましょう。 初代教会...
災いと罪悪があふれるこの世の中でも、誰も滅びずに皆悔い改めることを望まれる神様の摂理に従って、福音を伝える聖徒たちの足が忙しく動いています。神様は世界を救う長い道のりで、神様の旗をさらに高く掲げられるようお許しになりました。また、これに足並みを揃えて、私たちは海の水を浄化する3%の塩のように、この世の塩になる聖徒たちを捜して、家庭から始めて地域社会、国家と全世界に至るまで神様の福音の国を建設する救いの御業に共に参加しています。 偶像を打った石が大きな山となり全世界に広がるというダニエル書の預言のように、たとえ始まりは小さくても、私たちの終わりは非常に大きくなります。私たち自身の力だけを考...
悟った人と、そうでない人では、行動に多くの違いが出てきます。真理の内でも、神様の御言葉をよく悟り、見えない所で祝福を一つ一つ積み上げていく賢い人がいるかと思えば、祝福を受けられる条件を多くもらったのにもかかわらず、悟れずにその祝福を失ってしまう愚かな人もいます。 私たちは、神様が用意された天国の祝福をどこの誰よりもしっかり積み上げていく賢い人になる必要があります。霊的な祝福を積むことなら、どんな困難と犠牲が要求されるとしても躊躇わなかった、ヤコブのような精神が必要です。肉のことを追い求める欲望ではなく、霊的な祝福に対する欲望を抱いて、目に見えない所から霊的な祝福を積み上げていくシオンの家...
信仰の聖徒たちには、約束された祝福を受けるまで「待つ」ということが必要です。聖徒たちは神様の降臨も待ち、永遠なる天国で世々とこしえに享受する祝福と喜びも待っています。また敵であるサタンが最後の審判を受ける時間も、信仰の内で眠りについた者たちが復活し、私たち生き残った者たちと共に変えられて神様をお迎えすることになる、と言われた栄光の時間も待っています。 待つことには忍耐がなければならず準備も必要です。寿命ある人生を生きていく間、私たちが待つべきことは何であり、どんな準備が必要なのか考えてみる時間にしましょう。 神様を待つ信仰 聖書は私たちが本来天で神様と共にいた天使たちでしたが...
今日この世には数多くの教会があり、神様を信じる人が海の砂のように多くいます。彼らはそれぞれ自分なりの教理を持ち、自分たちは神様の子供だと言って救いを受けたと自負しています。 そのように多くの人々の中で神様の子供は、果たしてどれほどいるのでしょうか?自分は神様の子供だと言ったからといって、神様の子供になれるわけではありません。神様が子供として認めてくださらない限りは、決して神様の子供になることはできません。唯一神様の証しを受けた人が、神様の子供として、天国に入る資格を得ることができます。 聖霊の証しを受けた「約束の子」 二千年前、神様は血と肉を備えた子供たちと同じ肉の衣をまとわ...
「神様は存在される」と口では言いながら、実際の生活の中では神様が存在しないかのように行動する人々が時々います。もちろん、私たちシオンの家族はそうではないでしょうが、この世の多くの人々は未だに神様の御心を理解できず神様の存在を知り得ぬため、あらゆる悪い習慣と悪い行動をするのではないかという気がします。 神様は全てのことをしっかり監察なさり見守っていらっしゃいます。それで、正しい人は正しい人として、悪い人は悪い人としてそれぞれの行いに応じて報いてくださる「公平な神様」だとおっしゃいました(マタ16:27、イザ30:18)。 地に住むすべての人に目を留められる神様 以前、ある子供が...
旧年を送り新年を迎えながら、私たちに天国の希望をくださった神様にもう一度感謝をささげます。 将来行く所を知らない人々は、早く過ぎ行く年月を振り返りながら、惜しい気持ちと空しさの中で憂鬱になったりもします。しかし、新しい契約の内にいる聖徒たちには、永遠なる天国がより近づいているのですから、さらに神様に栄光を帰し感謝をささげ、神様の国に入る上で欠けた所のないように準備をするべきだろうと考えます。 将来行く天国に対して聖書を通して調べてみながら、喜んで天国を待ちつつ、この地で与えられた生活を、一日一日意味のある充実した日々として生きていくシオンの家族に皆さんなられるように願います。 ...