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人は誰でも将来が気になります。それでは、「これから十年後、私はどんな姿だろうか、またそれ以降、私はどう変わるだろうか」と考えてみたことがありますか? 韓国には「十年経てば山や川も変わる(風景が変わる)」という言葉があります。私たちの周りを見回しても、以前、焼け野原だった所に高層ビルが建ち、以前と全く変わった姿をしばしば目にすることがあります。山や川が変わることも驚くべきことですが、神様の中で変えられる、将来の私たちの姿は、さらにどんなに不思議で驚くべきものでしょうか? 未来を考える知恵 世界銀行総裁を歴任したある人が、回顧録にこんな言葉を残したそうです。一度、彼が世界100...
ダビデの生涯を見ると、神様の掟と定めと法は、彼にとって楽しみの対象でした。神様の律法は魂を生かし、神様の教えは心を喜ばせると言ったダビデは、神様の掟を純金よりも慕いました(詩19:7-11、口語訳)。 神様の民であれば、このように神様のすべての教えを楽しんで従順に守らなければなりません。神様の御言葉は、すべての子供たちの霊的な利益を願い、永遠の命と救い、祝福を下さろうという極めて深い愛から言われたものです。シオンの家族皆が、神様の戒めを愛し守ることによって、ダビデのように神様の心に適う者になって下さい(使13:22)。 新しい世界に適応するための訓練 しばらく前、あるスカイダ...
人はエネルギーが低下すると活気がなくなります。同様に霊的にも元気がなくなると、信仰生活をする上での活力が出て来ないので、神様は私たちに午前と午後二回の日ごとの祈りの時間はもちろん、祭りに沿って霊的なエネルギーを補うことができる特別な祈りの時間を賜りました。 神様の聖徒たちは、聖なる信心深い生活を送って、神様の日の来ることを待ち望み、それが来るのを早めようとして生きています(二ペト3:11〜12)。一日一日敬虔で意味のある信仰生活を営むことができるように、神様が私たちに祈りの重要性を教えて下さいました。祈りについての聖書の教訓を一緒に見ながら、さらに祈りに励むシオンの家族になってください。...
私たちの信仰生活において、神様の御言葉通り選択して生きる生活がどれだけ祝福された人生なのか一緒に調べながら、神様の御言葉に従う中で天国に行く生活ができるように、いつも天の父と母に喜ばれる御心を選択することができるシオンの家族になってください。 信仰の先祖たちの生活を眺めてみると、2千年前、ペトロやヨハネ、ヤコブのようなイエス様の弟子たちや、さらにさかのぼってモーセ、アブラハム、ノア、アダムとエバに至るまで、すべてが選択の人生だったと言うことができます。また荒れ野時代、イスラエルの民たちも瞬間、瞬間、選択しながら、彼らに与えられた人生の時間を過ごしました。 今日私たちの人生も同じ...
人が生きていく上で言葉は非常に重要です。言葉一言によって、これまで積み上げておいた信仰が一瞬にして崩れることがあり、一言によって互いに積み上げておいた信頼が一瞬にして壊れる場合も世でよく見られます。 言葉を用いずにはいられませんが、話をするにしても言葉を選びながら、相手を配慮しなければなりません。こういう話をしたら、相手が聞いてどんな判断をするようになるか、その人の信仰がどのようになってどのような結果をもたらすかを考えるべきなのに、そのような考えなしに、なにげなく吐き出される言葉、複数の人を経て膨らみながら伝えられていく言葉が、誤解や不和をもたらします。 肉的な世界でも言葉が重...
ある問題にぶつかる時、私たちはしばしばその問題を解決できると思われる人の助けを探し、求め、頼ろうとする傾向があります。地上のものは影であり、その実体は天にあります(ヘブ8:5)。それでも私たちは、影を追いかけて、ことを進めようとする時が多いようです。 影を追いかけてみても何の役にも立ちません。実体を追わなければなりません。福音の御業を導かれ、成し遂げられる方は神様です。天で神様が承認される時、地上でそのまま反映されて成されるのです。 人の知恵、人の能力や力では決して神様の仕事を進めたり、妨害することはできません。「私の助けは来る/天地を造られた主のもとから」と言った詩編の記者の...
人は糧(食べ物)を食べないと、しっかりとした活動をすることができません。考えることもまともにできず、目標と計画を適切に遂行することができません。霊的にも同じです。霊の生活の中でも、糧を食べなければ、私たちが望む霊的な恵み深い事々を図ることができません。 神様の御言葉は私たちにとって命の糧であり、私たちの魂を生き返らせる力があることを聖書は悟らせています。イエス様は「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」という教えをくださいました(ヨハ6章27節)。朽ちる食べ物、すなわち世のものを追い求めるために霊的な食べ物である神様の御言葉を無視してはならない、と与えられ...
最近、多くの天の家族がシオンに帰って来るので、神様が世界のあちこちにシオンの倉をお許しくださっています。預言通り、福音の御言葉は全世界に満ちています(ハバ2:14、マタ24:14)。 全世界が神様の御言葉で満たされる今、福音を伝える私の声は、そのうちどれほどを占めているか考えてみましょう。永遠に後悔を残さないようにするには、福音を伝えることにおいて、しようかしまいかと、躊躇したりためらったりしないようにするべきです。「恐れ」には、神様の祝福を失ってしまう要素があり、恐れない大胆な宣教には大きな祝福があります。聖書の御言葉を通して一緒にその内容を見つけてみましょう。 ギデオンの勇士...
聖書の真理の御言葉の中には、救いを受ける跡継ぎである私たちを、真理の道、義の道に導かれ、神様の人として完全な者にならせようとする神様の御心が込められています。 その中で二千年前、人の姿で来られた神様を恵み深く受け入れた聖書の人物たちの行跡は、今日を生きる私たちのための良い教訓だと言われました。彼らを通して神様を正しく受け入れる信仰の姿勢について学びながら、この時代に登場されたエロヒム神様を受け入れよという救いのメッセージを、全国と海外の各所に早く伝える神様の子供になりましょう。 神様を受け入れた人たちに...
一年、一年、信仰の時間が経てば経つほど天の父と母の御恵みによって美しい天使の姿に変えられる預言の瞬間が近づいています。 このような時に、約束の子供として召されたシオンの子供たちは、聖書の預言に従ってこの時代の福音を導かれるエルサレム母について正しい眼目を持ち、外に現れた姿の裏に隠された天の母の犠牲を悟らなければなりません。そうしてこそ救いを受ける神様の跡継ぎとしてふさわしい信仰の姿勢を持つことができます。 天の母が導かれる最後の福音の御業が、どのような状況の中で日ごとに進行されているのかを、聖書の預言を通して調べてみながら、天の母の偉大なる犠牲を悟る時間を持ってみましょう。 女と...
聖書の預言に従って、エルサレムの栄光が全世界に迅速に伝わっているこの時代、世界のあちこちから、シオンの子供たちがエルサレムに集まって来ているという知らせが続々と届いています。このような兆と徴を見る時、神様が預言なさったとおりに、エルサレムの栄光がサマリアの全土と地の果てに至るまで、世界すべての民族に伝わる日が遠くないようです。 全世界に栄光が伝えられているエルサレムの実体と、エルサレムの栄光に集まる者が受ける祝福について、聖書の御言葉を調べてみることにしましょう。 聖なる都エルサレム
御母様の教訓の御言葉のように、海のような広い心で他の人を理解して受け入れることを指して「徳」といいます。聖書のところどころに徳についた教えが多く記録されているのは、全世界に天の母の栄光を現すため、召された者が必ず持つべき徳目の中の一つが、まさに徳であるからです。 シオンの子供なら、真理のうちで心と魂と力を尽くして神様の掟を守り、神様を畏れることが当然ですが、神様はこのすべての事を行う時、必ずその内に徳を高めることを願われています。このような御心に従って、これまで前だけを見て息を切らして走ってきた私たちの信仰の道を振り返ってみて「徳を高めなさい」と言われた神様の御言葉を心に刻む時間にしたい...
聖書を見ると、神様が終わりの救いを受ける民を種とされ、御自分を償いの献げ物としてささげることによって、その種(子孫)と見なされたという御言葉があります。 神様が造られた自然の万物の中で、種は妙な特性を持った存在です。種はその中で命がある程度育つと、母体である本来の植物の形態にそのまま似るようになります。そして、種は実を結ぶ特性を持っています。どんな植物でも種から発芽し、固有の形態になると必ず多くの実を結ぶようになります。 神様が私たちを種(子孫)と見なされたという御言葉には、私たちが真理のうちで新たに生まれて育つなら、私たちの姿が必ず神様に似なければならず、また必ず実を結ばなければ...
シオンの聖徒は、神様が「七日目の日、安息日を心に留め、これを聖別せよ」と言われたので安息日を守り、また「礼拝するとき、女性は頭に物をかぶりなさい」と言われたので、女性の聖徒たちは礼拝するときベールをかぶっています。このように、仰せられた御言葉どおりに行う全ての信仰の行為は、まさに神様に対する従順だと言えます。 キリスト人の生活は一つ一つが皆、神様が仰せられた御言葉どおりの生活にならなければなりません。神様は、聖書の御言葉に付け加えたり、取り除いたりしてはいけないと言われました。救いのための全ての方法を、聖書の中に集約しておかれたからです。 神様が教えてくださった道に従えば、その道の...
正しい信仰の道を歩む人には特別な変化があるはずです。神様を信じ始めた時には、どうすればわたしが救われ天国に行けるのかを考えます。ところが、新しい契約の真理の内で救いの確信を得た後は、いつしか人類の救いを望まれる神様の御心にそのまま似通い始めます。 過去わたしたちの関心が自分自身にあったなら、これからは世界を見つめなければなりません。神様は私たちに救いも祝福もお許しくださいました。真理の内にいて天の父と母に対する信仰を持っているなら、この囲いに入っていないほかの羊の群れに関心を持ってみましょう。 昨日より今日、昨年より今年と私たちの考えはより一歩進んで変化して行かなくてはなりません...
聖書の預言は、過ぎ去った歴史の中で一点一画も残すことなく実現されて来て、今この時点までも成し遂げられています。まだ成就していない一部の預言も、遠からず神様の摂理の中で、全て成し遂げられるでしょう。 今、私たちの前に残されている一番重要な聖書の預言は、エルサレムの栄光が諸国の民に伝播されるという御言葉です。預言があるといっても、それが成し遂げられるまで神様に切に求めて努力しなければ、預言が成し遂げられるのが遅くなってしまい、そのような人は預言された栄光の場に参加することが難しくなるでしょう。預言に従って動く天の軍隊として、エルサレムの栄光を全世界に伝えるシオンの民になられることを願います。...
アニメーション「エジプトの王子」を見ると「砂漠で黄金より水がもっと貴く、道に迷った羊には王より牧者がもっと貴い」というせりふがあります。考えれば考えるほど正しい言葉です。道に迷った羊がいたら、その羊に一番必要な存在は、自分を導いてくれる牧者です。終わりが見えない砂漠を迷う旅人に、一番切実に必要なものは水でしょう。 干ばつで水一滴ない時、黄金が何の役に立ち、権勢が何の意味がありましょうか。生命体は、水がなければ生きることができません。 私たちの魂の命もこれと同じで、神様の真理の御言葉である命の水の供給を受けることができなければ、霊的な飢渇に喘ぎながら永遠なる滅亡を待つだけです。今日、...
歳月は人を待たず、神様が予定なさった永遠の時間の中に早く駆けていきます。過ぎ去った歳月を振り返り、私たちを救って下さった神様の愛と恩恵に感謝し、栄光をささげる事を忘れてはなりません。 子を生んで育てる親の苦労を子はよく知りません。物心がつかない幼い時には自分のために親がどれほど苦労し犠牲になっているのか悟ることができず、成長しても自分ひとりで育ったかのように親の恩を忘れるのが常です。 これと同じく、私たちを永遠の命で産み、天国に導かれるまで天の父と母が施して下さった愛の広さと深さがどれ位なのか、私たちは推測することが難しいようです。私たちの魂を救われた神様の限りない御恵みを悟り、常...
聖書の中で神様に愛されて救われた信仰の先祖たちの面々をよく見れば、常に神様に近付き神様の御言葉を絶対視したという共通点があります。永遠なる天国に入るためには、私たちも彼らのように御言葉に接した生き方をしなければなりません。 人は自分の身近にある対象の影響を受けるようになっています。エアコン(クーラー)のそばにいる人には涼しい風が伝わり、ヒーターの近くにいる人には熱気が伝わるように、神様のそばにいれば神様から出る命の気運に満ち溢れるのではありませんか。神様のそばにいず恣意的な考えに偏っている人は、神様が下さる聖霊の力を決して感じることはできません。 私たちシオンの家族は、皆が神様のそ...
聖書はすべての人が罪を犯したので、死がすべての人に及んだと説明しています(ロマ5:12)。神様を信じない人々は「教会に行くといつも罪人だと言われる」と不満を漏らしますが、実際、人は皆元々罪人なのです。 神様を信じる私たちは、死ぬしかなかった罪人を救ってくださった御恵みに、感謝し賛美をささげています。しかし、自ら罪人であることを認めている私たちでさえも、本当に自分たちが犯した罪がどんな罪なのか、まだ完全に悟れずに、悔い改められずにいるのではないかと、一度振り返ってみてはどうかと思います。 私たちの罪が如何に大きく、その大きな罪を価なしに赦してくださった救いの御恵みが如何に大きいかを、...