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神様は聖徒たちのことを、世の中の光と塩だと言われました。世の中の光と塩の役割を果たすには、私たちが神様の目に正しい、善い行いと善良な心を身につけなければなりません。 聖書は「この世に倣ってはなりません」(ロマ12:2)という言いつけと併せて、善を行う天の子になりなさいという教えを下さっています。神様を信じていない人たちも「善いことを行えば天国に行き、悪いことをすれば地獄に行く」とよく言います。私たちの信仰だけでなく、善い行いも、天国か地獄かを裁かれる際の重要な要因であるということを、誰もが記憶しておかなければなりません。 神様の栄光を現す聖徒たち イスカリオテのユダは、神様を...
人生の道においても、信仰の道においても、人には決断すべき時があります。 そんな時、まごまごして決断を延ばせば、どうなるでしょうか?ああでもない、こうでもないと悩んでばかりいては、少しも前に進むことができず、結局はいつも定位置です。むしろ状況に左右されて進むべき方向に進めず、誤った道に迷い込みかねません。 ロシアの文豪ツルゲーネフは、人間の類型を小説の主人公の名前をとって、ハムレットタイプとドンキホーテタイプに区分しています。ハムレットタイプは優柔不断で、考えを行動に移すことを躊躇する熟慮思索型人間を指し、ドンキホーテタイプは、ためらうよりは思ったことを果敢に行動に移してみる、行動型人間...
世の人々は、神様についてそれぞれ自分なりに考え、判断します。霊の存在である神様についても、その神性と権能が、人間の想像の枠を超えているため、到底推し量りにくいばかりか、神様が肉体の姿で来られようものなら、なおさら人間の知恵によって悟ることができないため、神様に対する見解は、人によってまちまちです。 初臨当時の状況を見ても、「まさか、神様が人の姿で来られるはずはないだろう」と考えていたため、イエス様のことを「気が変になっている」という者もいれば「ナザレの異端だ」(使24:5)という者もいて、神性を冒涜する者だから十字架につけるべきだと主張する者もいました。ある人は「預言者ではないか」、また...
美しい陶磁器が完成するまでには、土をこねて焼き、釉薬を塗って乾かしてから再び窯に入れるなどの様々な過程を経なければなりません。一人の命が生まれるまでにも十月十日(とつきとうか)という長い時間、お腹の中で命が形造られる過程が必要です。 目に見える肉の世界においても、苦労する過程があってこそ一つの完成体が作られるように、神様も目に見えない霊の世界で苦労されながら、私たちを完成品へと造り上げておられます。天の市民として欠けたところのないように、毎週安息日ごとに私たちに祝福を下さり、新しい力を吹き入れてくださる神様の愛を考えながら、安息日の意味を改めて心に刻みなおしたいと思います。 霊的な...
神様が定められた祭りを守る聖徒たちは、祭りの中に込められた神様の摂理と、子供たちの魂を救うためなら 苦労を惜しまれない神様の愛を悟ることができます。神様の掟を純金よりもっと愛し大切に守るのは、そのためです(詩119:127、詩50:5参考)。 聖書に記録された祭りのうち安息日は、天地万物を創造された創造主の神様を記念し、敬拝をささげる日です。六日間の創造の御業を終えられ、第七日目に安息された神様は、第七日の日を祝福され、聖別されました。また、モーセの時代には、十戒の第四番目の戒めとして「安息日を心に留め、これを聖別せよ」との命令を下さいましたが、これは安息日が、神様が祝福を下さる日であり...
礼拝は、神様を畏れ敬い仕える上で、絶対に欠かせない重要な要素です。神様の民は礼拝を通してすべての罪を赦していただき、神聖になる祝福を受け、神様とさらに近づけるようになります。 時々、礼拝を、ただ儀礼的に教会に出席して説教を聞く程度に考える方がいます。しかし、礼拝は説教者の流暢な話を聞くために参加するのではなく、私たちが悟るべき霊的な意味がその中に明らかに含まれています。すべての説教者は、聖徒と神様との出会いを仲介して、神様の御言葉を通して神様の御心を届ける役割をするだけです。神様にささげる礼拝の重要性と意味を、聖書の御言葉を通してもう一度確かめてみましょう。 旧約の祭祀の中に込めら...
天国に入るために、私たちに絶対に必要なものが、まさに信仰です。信仰がなければ、神様に喜ばれることができないという聖書の御言葉があるように(ヘブ11:6)、信仰こそ、私たちが天国に行くために必ず身に着けるべき信仰の重要な部分だと言えます。 それでは、自分自身が信仰をどれほど準備したのか、どうやって知ることができるでしょうか?病気にかかったら、体がその病気の徴候を示すように、心の中心に信仰が完全に満たされていない人は、様々な霊的病理現象が現れます。不平不満を常に言い、真理の御言葉を疑いながら、神様の御力を信じられなくなる一連の誤った考えや行動が、信仰が落ちたときに現れる症状だと見ることができ...
全知全能なる神様は、人生のすべての生と死と祝福と呪いを司つかさどられます。御言葉に従う人々に祝福を下したり、そうでない者には懲罰を下したりもされます。神様を宝とみなし、その教えにそのまま従う者には、祝福が約束されています(申30:15-16、ヨブ22:21-28)。 約束された御言葉どおり、神様の予定されたすべてのことが、うまくいくことを確信しながら、熱心に天国を襲い、神様がくださる祝福をすべて享受する天の子供たちになりましょう。さらにまだ祝福の道を知らず、神様の恵みの中に出て来られずにいる70億の人類に、先に祝福を受けたシオンの家族たちが祝福の便りを伝え、祝福をたくさん分けてあげられた...
天の父と母の祝福の中で、聖暦の新年が明けました。去年一年間の福音の足跡を振り返ってみると、良い結果を得た地域の教会には皆、一つの共通点がありました。劣悪な環境に置かれていても、神様の祝福が臨むしかない心構えと行動で神様に感動をささげたという点です。 福音は、神様の祝福がなければ一歩も前に進むことができません。救いの歴史は、祝福の源である天の父と母なしには何も成すことができないからです。天の母の祝福の中で、今年も幸いな年になることを確信し、どのようにすれば神様のあふれる祝福を完全に受けることができるのかについて、悟る時間を持ってみましょう。 よく聞き従う時に臨む祝福 最近になっ...
神様は愛であられます(一ヨハ4:8)。全宇宙を経営され、統治されて、千万の天使から誉れと栄光を受けられるべき神様が天の栄光を後にして、子供たちを生かすために地球という小さい地まで来られました。 罪人たちと同じような肉体で臨まれて、罪人たちから受けるあらゆる恥と侮辱に耐えられ、ただひたすら子供たちの救いだけを望みながら犠牲の道を歩んで行かれました。それで、聖書は神様を称して愛であられると言います。 そのような愛があってこそ今日の私たちがいるという事実を再び考えながら、子供たちを救うためにこの地に来られた天の父と母の貴い愛と犠牲を心に刻む時間を持つようにします。 イエス様が歩んで...
寝る時、働く時、しばらく休んだり食事をする時、私たちが何をする時も、時間は間違いなく流れていきます。流れる時間を目で確認することができないので、その見えない時間を確認できるように考案された機械が、まさに時計です。 同様に、肉的な現実世界に住んでいる私たちは、霊的な世界に属しているものを見ることもできず、感じることもできません。目に見えない時間の流れを測定し、感知することができるよう作られた時計のように、私たちが感じることができない霊の世界を見せて下さるために、神様が作って下さった装置と言えるものが、聖書です。 天国に行く人と行けない人、神様の御業とサタンの働きをはじめ、すべての霊的...
道は、初め誰かが目的地に向かって行ったり来たりしながら残した痕跡によって、自然 に形成されていきます。もともとは存在しなかったのですが、そこを初めて通り過ぎた一 人の人から始まって、少しずつ作られていき、多くの人々が往来することのできる道にな るのです。 霊的な理を見ても、私たちの魂が行くことができる道は、二つに分かれています。一つ は、神様が天国からこの地に、この地から再び天国へと私たちの救いのために行き来さ れながら形成された天国の道です。一方、サタンが手下を率いてこの地に来て、多くの魂 を惑わして地獄に連れて行きながら形成された地獄の道もあります。 道を間違える...
全世界に神様の福音が迅速に伝えられています。失われた天の家族を捜す救いの御業が、預言の御言葉どおり、この世を騒がせて、聖徒たちが出て行く所にはどこでも、神様がシオンを建設してくださっています。このすべてのことは、天の母の教えに従って、シオンの子供たちが連合し、一つの心で、情熱を持って福音に臨んだ結果と思われます。 私たちには明るい未来が予定されています。エルサレム母の栄光が宣べ伝えられると、国々が集まって来て、神様に帰って来るようになり、聖徒たちは、永遠の天国で世々限りなく統治する祝福を享受するようになるという約束の御言葉があります。これが私たちの運命です。私たちの運命が、誰のゆえに変わ...
最近、国内や海外を問わず、悔い改めに対する悟りと美しい連合の知らせが、シオンに殺到しています。天の母の善良な模範と教えにより、多くの家族たちが悟りを得て、自分から先に謝罪し、涙で和解し、悔い改めの人生を生きようと覚悟を新たにしたというエピソードが、世界各地から届けられ、お互いに「ごめんなさい」、「すみません」、「赦してください」と言う表現が、私たちの心に深い響きをもたらしてくれています。 天国が近づいて来れば、聖徒の心が一つになって、固くなった心を神様が柔らかな心に変化させてくださると言われました(エゼ36:24-27)。こうした御業が成されるのを見ると、天国が真に近づいて来たという感じ...
神様は私たちにいつも雄々しくあれと勇気を吹き込んでくださいます。しかし、私たちは福音を伝えていて困難にぶつかると、時々恐怖に包まれ、心と体が凍ってしまうこともあります。 「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」(イザ41:10)と仰せられる神様の御言葉を聞きながらも、裏に隠れた理よりは、目の前に繰り広げられた状況に気を奪われて、慌てることがあります。 真理を証しする人がためらったり、迷ったりすると、福音の御業は成就し得ません。私たちが、私たちの神様がどれほど偉大なる方なのかを悟り、神様が御自ら福音の御業を導いて行かれるという事実を確信してはじめて、大胆な心を持つことができ、...
今日、世の中には多くの教会があり、それぞれ、自分たちの信仰が正しいと主張しています。しかし、信仰の基準は、神様の御言葉であって、人の考えや思想にはなり得ません。ひとえに聖書の御言葉を信仰の中心とみなした時、永遠の天国に向かって正しい信仰の道を歩いて行くことができます。 聖書は、これから成り立つことが、あらかじめ言われた神様の預言で構成されています。それゆえ、聖書を詳しく見ることで、真の信仰の道を見つけることができます。天のエルサレムである母なる神様の懐へと、悔い改めて帰ってきた子供たちに、救いが約束されているという事実を聖書ではっきりと確認してみて、私たちの信仰を確固たるものにする時間を...
私たちは生活の中で、誕生日、入学や卒業、結婚記念日など、家族間で特別な意味を持つ日を迎えることがあります。そんな時には、誰でも、その日の主人公のためにどんな贈り物を用意すべきか、心をときめかせながら悩むものです。 それなら、永遠の故郷である天国に帰る時、霊の両親である父なる神様、母なる神様に何を差し上げれば一番喜ばれるでしょうか? 子供である私たちは、今まで、神様に命も、愛も受けるだけの立場でした。 これからは神様に何を差し上げるかを、何で神様を喜ばせて差し上げるか考えて実行する成熟した信仰を持ってみましょう。 神様が喜ばれること 子供のすべてを喜ぶのが親の心というものですが...
シオンの家族は過越祭を神聖に守ることによって、神様が施される命の宴に与っています。新約の福音書を見れば、イエス様は過越祭を新しい契約として立てられながら「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」(ルカ22:15)と言われました。 なぜイエス様は、弟子たちと過越祭を守ることを切に願われたのでしょうか?その理由は、死に縛られていた罪人を永遠の命の体にする贖いの経綸を、過越祭新しい契約を通して成されるためです。人々は天からマナが降ってきたり、死んだラザロが生き返るようなことを奇跡と言いますが、実は永遠に死ぬしかない私たち人類を過越祭により永遠に生か...
マスメディアの報道内容を見ると、世界的な経済不況が近づいた昨年から今年まで、韓国社会各界の最大の話題は「母」だといいます。人が困難なことを経験するとき、最初に頭に思い浮かぶ存在が母親です。母親のところに行くだけで豊かなその何かがあり、問題の解答と心の安息を得ると考えることが、人々の天性と見ることができます。 社会学者は混沌と葛藤の時代ほど、包容と原則、平和と温かい感性などを含んでいる女性性、その中でも特に母性を必要とすると分析しています。聖書の預言を調べてみても一様に、私たちに母の愛が必要であり、母なる神様を最も切実に必要とされる時代に、私たちが入っているという事実を確認することができま...
父なる神様は、私たちが神様の御言葉を守って行えば、すべての事が成されると言われました。今年は御父様から与えられた預言に耳を傾け、御母様が与えられた教訓通り生活しながら、神様の目に、さらにふさわしい信仰生活で神様に喜びをささげ、栄光を帰すシオンの家族になられることを願います。 言葉と行動と心構えなど、すべての面で生まれ変わって神様に似た天国の人に完全に変化してみましょう。生まれ変わらなければ入ることができない所が天国です。昨年より今年、昨日より今日、もっと近づいている天国を考えながら、天国に入るにふさわしい姿に日々生まれ変わる一日一日を生きられることを願います。 生まれ変わればこそ入...