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神様は私たちを愛しておられます。 天地創造前に私たちを愛の中で選ばれたし、十字架に釘を打たれて最後の息が止まる時まで、私たちの安否を気づかわれ、今この瞬間も絶えず私たちを愛されています。 それでは、私たちは果して神様を愛していますか? 私たちが神様の内で、信仰の道を歩いていますが、本当に神様を愛しているのか、もう一度考えて見る時間を持てたらと思います。 エルサレムを愛する人々に平安があると言われ、目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神様は御自分を愛する者たちに準備されたと言いました(詩122編 6節、一コリ2章 9節)。 今年は皆が神様を愛する心を持って...
聖書は人の生涯を草のようで、野の花のようだと表現しています(詩103編 15節)。 それほど短くて虚しいのが人生です。 しかし、人間はこの地での生涯が全てではなく、元々来た所があって、また将来行く所があります。 誰でもここでの生涯が終われば、後の世界に旅発たなければなりません。 それなら、将来行かなければならない天国に対して、今私たちはどの程度の準備をしながら生きているのか、一度考えてみることにしましょう。 臣下の忠言 昔、ある王とその王が寵愛する臣下がいました。 その臣下は人となりが誠実で善良な反面、純粋で間抜けに見える面もありました。 忠実で正直な性分が気に入った王は、彼...
朝起きれば、数多くの災いと災難の知らせがニュースを通じて私たちに伝えられます。 様々な災いの中でも最大の災いは何でしょうか? 過越祭はどんな災いを兔れさせてくださるために神様が作っておかれた処方薬でしょうか? 世の中で起きる災いは、いくら長く持続するとしても、人生の寿命を越すことはありません。 しかし、聖書を見れば世々とこしえに遭う災い、その苦痛があまりにも甚しくて、死にたくても死が人々を避けていく災いがあります。 神様が私たちに新しい契約の過越祭の真理をお許しになった裏には、その凄まじい災いから私たちを救ってくださろうという切なる御心があります。 世々とこしえに続く災い 世の中...
人生の終わりには裁き、審判があります(ヘブ9:27)。 審判を違う言葉で表現すれば裁判になります。裁判はその人が罪人なのか罪人でないのか、罪があったら罪の度合いがどの程度なのか、最終判決をする過程であるように、霊的世界での審判も同じです。 地獄の苦痛がどんなに大きいのか知らない人々は、この地で与えられた時間を簡単にむだ使いしてしまい、最後の瞬間になって後悔する状況を迎えてしまいます。神様が肉体の衣をまとわれ、この地まで来られた理由も、こんな人生の終わりについてご存知だからです。私たちの身代わりになって罪を贖ういけにえの供え物になられ、十字架の苦難を受けられながら新しい契約を立ててくださる...
人は誰でも自分の経験をもとに物事を判断し、理解しようとします。それゆえに、自分が経験したこと以外は知らないので、限られた知識で聖書の預言を信じられない場合が多いです。復活と変化に対する預言と、神様の民に許される未来の栄光も、世の人は自分が経験したことではないので、理解しようともせず信じようともしません。 自分が今まで経験したことだけが世のすべてではありません。経験できなかったことだといって、無条件に否定するより、神様の真の御言葉を受け入れ、信じるべきです。聖書の預言を目標にし、信仰と希望と、すべての試みを克服するシオンの家族になってください。 目に見えない永遠のことに対する希望 ...
神様は、信じる私たちには宝であられますが、信じない者にはつまづきの石と妨げの岩、仕掛け網と罠になられます。初臨の時にも、トマスのように自分の目で見なかった事実は、無条件に疑う人がいて、イエス様がオリーブ山で昇天される寸前まで疑う心でその場に参加した人がいました。しかしペトロやヨハネ、ヤコブのように、キリストの栄光を見分けて最後まで従った弟子たちも、聖書の中で見ることができます。 「天国の秘密を悟ることがあなたがたには許されているが、あの人たちには許されていない」という御言葉と、また「神様の秘密であるキリストを悟るようにするためである」と言われた御言葉を胸に刻んでみると、最終的に天国の秘密...
神様が造っておかれた森羅万象には互いに引き寄せる力が働いていると言います。これを万有引力というのですが、人と人との間もそうですし、机の上に置かれた鉛筆と消しゴムの間にも、本やパソコンとの間にも、私たちはよく感じられませんが、微力ながら、互いに引き寄せる力が働いているそうです。科学者ニュートンは、その力が両者の間の距離の二乗に反比例し、質量の倍に比例するという「万有引力の法則」を発見しました。 ニュートンは神様が造っておかれた原則を少し理解したにすぎず、神様はすでにそのような物理学的要素を含ませ、天地万物を創造されたのです。人が、神様が造られた法則を一つ発見しても偉大な科学者になるのなら、...
人は誰でも将来が気になります。それでは、「これから十年後、私はどんな姿だろうか、またそれ以降、私はどう変わるだろうか」と考えてみたことがありますか? 韓国には「十年経てば山や川も変わる(風景が変わる)」という言葉があります。私たちの周りを見回しても、以前、焼け野原だった所に高層ビルが建ち、以前と全く変わった姿をしばしば目にすることがあります。山や川が変わることも驚くべきことですが、神様の中で変えられる、将来の私たちの姿は、さらにどんなに不思議で驚くべきものでしょうか? 未来を考える知恵 世界銀行総裁を歴任したある人が、回顧録にこんな言葉を残したそうです。一度、彼が世界100...
ダビデの生涯を見ると、神様の掟と定めと法は、彼にとって楽しみの対象でした。神様の律法は魂を生かし、神様の教えは心を喜ばせると言ったダビデは、神様の掟を純金よりも慕いました(詩19:7-11、口語訳)。 神様の民であれば、このように神様のすべての教えを楽しんで従順に守らなければなりません。神様の御言葉は、すべての子供たちの霊的な利益を願い、永遠の命と救い、祝福を下さろうという極めて深い愛から言われたものです。シオンの家族皆が、神様の戒めを愛し守ることによって、ダビデのように神様の心に適う者になって下さい(使13:22)。 新しい世界に適応するための訓練 しばらく前、あるスカイダ...
人はエネルギーが低下すると活気がなくなります。同様に霊的にも元気がなくなると、信仰生活をする上での活力が出て来ないので、神様は私たちに午前と午後二回の日ごとの祈りの時間はもちろん、祭りに沿って霊的なエネルギーを補うことができる特別な祈りの時間を賜りました。 神様の聖徒たちは、聖なる信心深い生活を送って、神様の日の来ることを待ち望み、それが来るのを早めようとして生きています(二ペト3:11〜12)。一日一日敬虔で意味のある信仰生活を営むことができるように、神様が私たちに祈りの重要性を教えて下さいました。祈りについての聖書の教訓を一緒に見ながら、さらに祈りに励むシオンの家族になってください。...
私たちの信仰生活において、神様の御言葉通り選択して生きる生活がどれだけ祝福された人生なのか一緒に調べながら、神様の御言葉に従う中で天国に行く生活ができるように、いつも天の父と母に喜ばれる御心を選択することができるシオンの家族になってください。 信仰の先祖たちの生活を眺めてみると、2千年前、ペトロやヨハネ、ヤコブのようなイエス様の弟子たちや、さらにさかのぼってモーセ、アブラハム、ノア、アダムとエバに至るまで、すべてが選択の人生だったと言うことができます。また荒れ野時代、イスラエルの民たちも瞬間、瞬間、選択しながら、彼らに与えられた人生の時間を過ごしました。 今日私たちの人生も同じ...
人が生きていく上で言葉は非常に重要です。言葉一言によって、これまで積み上げておいた信仰が一瞬にして崩れることがあり、一言によって互いに積み上げておいた信頼が一瞬にして壊れる場合も世でよく見られます。 言葉を用いずにはいられませんが、話をするにしても言葉を選びながら、相手を配慮しなければなりません。こういう話をしたら、相手が聞いてどんな判断をするようになるか、その人の信仰がどのようになってどのような結果をもたらすかを考えるべきなのに、そのような考えなしに、なにげなく吐き出される言葉、複数の人を経て膨らみながら伝えられていく言葉が、誤解や不和をもたらします。 肉的な世界でも言葉が重...
人は糧(食べ物)を食べないと、しっかりとした活動をすることができません。考えることもまともにできず、目標と計画を適切に遂行することができません。霊的にも同じです。霊の生活の中でも、糧を食べなければ、私たちが望む霊的な恵み深い事々を図ることができません。 神様の御言葉は私たちにとって命の糧であり、私たちの魂を生き返らせる力があることを聖書は悟らせています。イエス様は「朽ちる食べ物のためではなく、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」という教えをくださいました(ヨハ6章27節)。朽ちる食べ物、すなわち世のものを追い求めるために霊的な食べ物である神様の御言葉を無視してはならない、と与えられ...
聖書の真理の御言葉の中には、救いを受ける跡継ぎである私たちを、真理の道、義の道に導かれ、神様の人として完全な者にならせようとする神様の御心が込められています。 その中で二千年前、人の姿で来られた神様を恵み深く受け入れた聖書の人物たちの行跡は、今日を生きる私たちのための良い教訓だと言われました。彼らを通して神様を正しく受け入れる信仰の姿勢について学びながら、この時代に登場されたエロヒム神様を受け入れよという救いのメッセージを、全国と海外の各所に早く伝える神様の子供になりましょう。 神様を受け入れた人たちに...
一年、一年、信仰の時間が経てば経つほど天の父と母の御恵みによって美しい天使の姿に変えられる預言の瞬間が近づいています。 このような時に、約束の子供として召されたシオンの子供たちは、聖書の預言に従ってこの時代の福音を導かれるエルサレム母について正しい眼目を持ち、外に現れた姿の裏に隠された天の母の犠牲を悟らなければなりません。そうしてこそ救いを受ける神様の跡継ぎとしてふさわしい信仰の姿勢を持つことができます。 天の母が導かれる最後の福音の御業が、どのような状況の中で日ごとに進行されているのかを、聖書の預言を通して調べてみながら、天の母の偉大なる犠牲を悟る時間を持ってみましょう。 女と...
聖書の預言に従って、エルサレムの栄光が全世界に迅速に伝わっているこの時代、世界のあちこちから、シオンの子供たちがエルサレムに集まって来ているという知らせが続々と届いています。このような兆と徴を見る時、神様が預言なさったとおりに、エルサレムの栄光がサマリアの全土と地の果てに至るまで、世界すべての民族に伝わる日が遠くないようです。 全世界に栄光が伝えられているエルサレムの実体と、エルサレムの栄光に集まる者が受ける祝福について、聖書の御言葉を調べてみることにしましょう。 聖なる都エルサレム
御母様の教訓の御言葉のように、海のような広い心で他の人を理解して受け入れることを指して「徳」といいます。聖書のところどころに徳についた教えが多く記録されているのは、全世界に天の母の栄光を現すため、召された者が必ず持つべき徳目の中の一つが、まさに徳であるからです。 シオンの子供なら、真理のうちで心と魂と力を尽くして神様の掟を守り、神様を畏れることが当然ですが、神様はこのすべての事を行う時、必ずその内に徳を高めることを願われています。このような御心に従って、これまで前だけを見て息を切らして走ってきた私たちの信仰の道を振り返ってみて「徳を高めなさい」と言われた神様の御言葉を心に刻む時間にしたい...
聖書を見ると、神様が終わりの救いを受ける民を種とされ、御自分を償いの献げ物としてささげることによって、その種(子孫)と見なされたという御言葉があります。 神様が造られた自然の万物の中で、種は妙な特性を持った存在です。種はその中で命がある程度育つと、母体である本来の植物の形態にそのまま似るようになります。そして、種は実を結ぶ特性を持っています。どんな植物でも種から発芽し、固有の形態になると必ず多くの実を結ぶようになります。 神様が私たちを種(子孫)と見なされたという御言葉には、私たちが真理のうちで新たに生まれて育つなら、私たちの姿が必ず神様に似なければならず、また必ず実を結ばなければ...
シオンの聖徒は、神様が「七日目の日、安息日を心に留め、これを聖別せよ」と言われたので安息日を守り、また「礼拝するとき、女性は頭に物をかぶりなさい」と言われたので、女性の聖徒たちは礼拝するときベールをかぶっています。このように、仰せられた御言葉どおりに行う全ての信仰の行為は、まさに神様に対する従順だと言えます。 キリスト人の生活は一つ一つが皆、神様が仰せられた御言葉どおりの生活にならなければなりません。神様は、聖書の御言葉に付け加えたり、取り除いたりしてはいけないと言われました。救いのための全ての方法を、聖書の中に集約しておかれたからです。 神様が教えてくださった道に従えば、その道の...
正しい信仰の道を歩む人には特別な変化があるはずです。神様を信じ始めた時には、どうすればわたしが救われ天国に行けるのかを考えます。ところが、新しい契約の真理の内で救いの確信を得た後は、いつしか人類の救いを望まれる神様の御心にそのまま似通い始めます。 過去わたしたちの関心が自分自身にあったなら、これからは世界を見つめなければなりません。神様は私たちに救いも祝福もお許しくださいました。真理の内にいて天の父と母に対する信仰を持っているなら、この囲いに入っていないほかの羊の群れに関心を持ってみましょう。 昨日より今日、昨年より今年と私たちの考えはより一歩進んで変化して行かなくてはなりません...