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聖書の預言は、過ぎ去った歴史の中で一点一画も残すことなく実現されて来て、今この時点までも成し遂げられています。まだ成就していない一部の預言も、遠からず神様の摂理の中で、全て成し遂げられるでしょう。 今、私たちの前に残されている一番重要な聖書の預言は、エルサレムの栄光が諸国の民に伝播されるという御言葉です。預言があるといっても、それが成し遂げられるまで神様に切に求めて努力しなければ、預言が成し遂げられるのが遅くなってしまい、そのような人は預言された栄光の場に参加することが難しくなるでしょう。預言に従って動く天の軍隊として、エルサレムの栄光を全世界に伝えるシオンの民になられることを願います。...
アニメーション「エジプトの王子」を見ると「砂漠で黄金より水がもっと貴く、道に迷った羊には王より牧者がもっと貴い」というせりふがあります。考えれば考えるほど正しい言葉です。道に迷った羊がいたら、その羊に一番必要な存在は、自分を導いてくれる牧者です。終わりが見えない砂漠を迷う旅人に、一番切実に必要なものは水でしょう。 干ばつで水一滴ない時、黄金が何の役に立ち、権勢が何の意味がありましょうか。生命体は、水がなければ生きることができません。 私たちの魂の命もこれと同じで、神様の真理の御言葉である命の水の供給を受けることができなければ、霊的な飢渇に喘ぎながら永遠なる滅亡を待つだけです。今日、...
歳月は人を待たず、神様が予定なさった永遠の時間の中に早く駆けていきます。過ぎ去った歳月を振り返り、私たちを救って下さった神様の愛と恩恵に感謝し、栄光をささげる事を忘れてはなりません。 子を生んで育てる親の苦労を子はよく知りません。物心がつかない幼い時には自分のために親がどれほど苦労し犠牲になっているのか悟ることができず、成長しても自分ひとりで育ったかのように親の恩を忘れるのが常です。 これと同じく、私たちを永遠の命で産み、天国に導かれるまで天の父と母が施して下さった愛の広さと深さがどれ位なのか、私たちは推測することが難しいようです。私たちの魂を救われた神様の限りない御恵みを悟り、常...
聖書の中で神様に愛されて救われた信仰の先祖たちの面々をよく見れば、常に神様に近付き神様の御言葉を絶対視したという共通点があります。永遠なる天国に入るためには、私たちも彼らのように御言葉に接した生き方をしなければなりません。 人は自分の身近にある対象の影響を受けるようになっています。エアコン(クーラー)のそばにいる人には涼しい風が伝わり、ヒーターの近くにいる人には熱気が伝わるように、神様のそばにいれば神様から出る命の気運に満ち溢れるのではありませんか。神様のそばにいず恣意的な考えに偏っている人は、神様が下さる聖霊の力を決して感じることはできません。 私たちシオンの家族は、皆が神様のそ...
聖書はすべての人が罪を犯したので、死がすべての人に及んだと説明しています(ロマ5:12)。神様を信じない人々は「教会に行くといつも罪人だと言われる」と不満を漏らしますが、実際、人は皆元々罪人なのです。 神様を信じる私たちは、死ぬしかなかった罪人を救ってくださった御恵みに、感謝し賛美をささげています。しかし、自ら罪人であることを認めている私たちでさえも、本当に自分たちが犯した罪がどんな罪なのか、まだ完全に悟れずに、悔い改められずにいるのではないかと、一度振り返ってみてはどうかと思います。 私たちの罪が如何に大きく、その大きな罪を価なしに赦してくださった救いの御恵みが如何に大きいかを、...
人が自分に与えられた人生を価値あるよう生きるためには、どのようにすべきでしょうか?多くの思想家や哲学者たちは、自分のためだけに生きて行く人生よりも他人のため、人類のために貢献する人生の姿について深く思考しました。その中でも、18世紀に活躍したフランスの思想家モンテスキューは、「わたしは自分に有益でも、家族に害になるならそれを捨てた。家族に有益だとしても、社会や国家に損害をもたらすということが分かった時には、その有益なものを直ちにあきらめた。そして、わたしは国家に有益なものでも、全人類に致命的な損失を被らせることが分かった時には、それを断固として犯罪とみなした」という言葉を残したそうです。 ...
学生は学校で、働いている人は職場で、軍人は軍隊で、また主婦は隣人に、シオンの家族がそれぞれ与えられた環境で熱心に福音を伝えてきた結果、神様がバビロンの勢力を弱くさせられたようです。長い年月バビロンに身を置いていた人々も、今は聖書どおりの正しい信仰を探し真理を受け入れるのが、最近の流れだと言います。 バビロンは聖書の預言どおり、全て倒れることになっています。バビロンが倒れることは、昔のヨシュアの時代にエリコが倒れた事件と同じだと見ることができます。強大な都エリコがイスラエルの民の前に力なく倒れたのは、神様の御業でした。イスラエルの民の全てが神様が告げられた御旨を大切に考え従ったため、エリコ...
何年か前、ヨーロッパ地域の神様の教会を訪問したことがあります。そこで神様の御心に仕え、昼も夜もなく苦労される情熱的な家族たちに会い、多くの恵みを受けて帰って来ました。 ヨーロッパ大陸を見回った感想を一言で申し上げますと、そこは真理の光がまだ完全に照らされていない暗黒の地でした。暗闇の中に身を置いているので、聖書の真理が汚染され歪曲されているにもかかわらず、人々は全く見極めることができませんでした。古くて大きいという教会の外壁には怪物の形の彫刻が数十個ずつ付いていて、その中では救いの真理を捜し出せないのにもかかわらず、、皆ものともせずに神様から遠ざかったまま暮らしていました。 エロヒ...
霊的に秋を迎えたシオンでは刈り取りの真っ最中です。神様は愛する子供たちに、命の御言葉を伝え魂を救う福音の働き手としての使命を託してくださり、鎌も預けてくださいました(マコ4:29、ヨエ3:13参考)。 豊かな良い実を刈り取るためには、種を蒔く努力がまずなされなければなりません。蒔いて刈り取る努力なしに、ただ良い実を望んでいるだけでは決して得られはしません。福音という種を人々の心の畑に勤しんで蒔いてこそ、それが成長し実を結ぶのではありませんか。 神様が種という存在を創造される時、作っておかれたプログラムがそのようになっています。「自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」という御言...
聖書では、その時代ごとに世を目覚めさせる声で、多くの魂たちを救いの道に導いた歴史を見ることができます。ヨナ預言者の呼びかけがそうであり、ペテロの宣教がそうでした。 鶏の鳴き声が夜明けを告げ、寝ていた人々を目覚めさせ起こすように、神様の福音を伝える聖徒の声が、暗黒の闇であるこの世を目覚めさせる声にならなくてはいけません。暗黒の霊的混沌時代に、私たちが世を目覚めさせる声を発しなくては、人々は霊的な時刻がどの辺りまで至ったのか誰も知りえないでしょう。深い眠りに落ちている魂たちを、はっきりとした声で正しく目覚めさせ、地獄に向かって進んで行くしかない足を全て天国に導かなければなりません。 「...
キリストの最後の瞬間に照明を当てた「パッション」(原題:The Passion of the Christ、キリストの受難)という映画が、世界的に上映され好評を得たことがあります。この映画は、過越祭から始まり、キリストの受難を描いた後、復活の場面で締めくくられるのですが、内容を簡単にまとめると、命を生かすためにイエス様が一粒の麦になられる過程を生き生きと描写したものだと言えます。 私たちもキリストのように一粒の麦になって、命を生かす仕事に力を注ごうという意味で、多くの人の命のために犠牲になられたキリストと、その血によって立てられた新しい契約について、聖書を調べてみることにします。 私た...
地球のある所ではテロと戦争で数多くの人命が犠牲になっているかと思えば、またある所では各種新型の伝染病が発生して世界中に広がっています。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。」(マタ24:6)と仰せられた御言葉どおり災いが横行する時代にも、われわれ子供たちを慰め護って下さる神様の御恵みに感謝をささげます。 福音が全世界に伝えられている今、遠くの国で起こる災いや災難だとしても、もう他人事とは思えません。 天の母は、「現地にいるシオンの家族だけでなく、災いによって苦しむ多くの人々を思い、世界平和の為に祈りましょう」と言われました。命を大切に思われる神様の...
聖書は「恐れ(畏れ)」について二種類の御言葉を記録しています。ひとつは「神様を畏れなさい」であり、もうひとつは「恐れるな」という御言葉です。神様を畏れなさいというのは、神様を恐怖の対象としてではなく、私たちの創造主であられ、救い主であられるので畏敬の念を持ちなさいという御言葉です。そして恐れるなというのは、神様でないほかのどんな対象についても、恐れない信仰を持ちなさいという意味で下さった御言葉です。 イエス様がくださったタラントンのたとえの中でも、1タラントンをもらった人は恐れによってそのタラントンを地に埋めて隠しておきました。神様は私たちにそのような恐れを持たず、堂々とした信仰を持ちな...
御父様は「軍隊はラッパの音で動き、信仰の聖徒は預言の声で動く」という御言葉をくださったことがあります。 ところで、今日わたしたちが耳を傾けなければならない預言の声は何でしょうか?神様がくださった預言の中で、私たちが成就すべき残りの部分があるとしたら、互いに助け合いながら終わりの福音を成しなさいという御言葉だと言えるでしょう。聖書を参照しながら預言の中に込められた神様の御心に、より一歩近づいていく私たちになるようにしましょう。 キリスト・イエスに倣って 神様は私たちがイエス・キリストに倣って、互いに志を共にすることを願っておられます。 ロマ15:5-6 『忍耐と慰めの源...
人が心を一つのことに継続して集中させるなら成せないことはないと言い、昔の言葉にも「精神一到、何事か成らざらん」という言葉があります。 新年になると人々は様々な計画を立てますが、実際のところ年末までにその計画を全て成就させるようなケースは珍しいようです。あれこれと全てしようとする人は、結局一つも成し遂げることはできません。しかし、一つの目標に向かってたゆまず邁進する人の場合は、ある時自分の目標を成し遂げている姿を見ることができます。 心を尽くせば不可能なことはない 海辺に住む「砂蚕」は、身体構造上、道具として使えるような硬い部位はありませんが、穴を掘るのが上手です。けれど、ゴカ...
人には誰でも価値のある重要な仕事をしたい欲求が内在していると言います。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブ9:27)と言った聖書も、人類にこの世で生きていく間、神様の義を求め新しい人として生まれかわった生涯を生きて行くように忠告しています。 それでは、人生を生きていくうえで、最も意味深く重要な仕事は何でしょうか?シオンの家族たちは、すでにその答えをご存知のことと思います。エロヒム神様がこの地に来られ、全ての模範を見せてくださり、私たちにその仕事を任せてくださったからです。 神様が私たちに任せられた仕事が、どれほど価値ある仕事なのかをもう一度考...
人は過去の人生の中で、自分がしてみなかった事に対して後悔する場合が多くあります。外国人の前で言葉に詰まれば、学生時代に外国語の勉強を熱心にしなかったことを後悔したり、年を取れば、若かった時に熱心に勉強し、まめまめしく働きなさいと言われた親の話を、どうしてちゃんと聞かなかったのかと後悔したりもします。 人がこの世を生きていく過程で、後悔することがないわけにはいかないでしょうが、永遠の世界へとつながる霊的なことに対する後悔は、残してはいけません。神様は私たちに後悔しない真理を伝えてくださり、またその中で永遠なる天国までも相続することをお許しくださいました。神様が約束された天国の価値を悟り、後悔し...
人がこの世に生まれるときは、誰もがその人なりの使命を持って生まれてきます。ですから、この地に生まれた人なら、無意味な存在は一人もおらず、一人一人が多くの人たちに大小の影響を及ぼして生きていて、人類の歴史の流れを導いて行く重要な存在だと言えます。 いつか「木を植えた人」という話を読んだことがあります。主人公はある山の荒れ地で一日に100個ずつどんぐりを植える人に会うのですが、月日が流れて再びたずねた時、そこは驚くほど美しい沃土に変わっていました。誰かにわかってもらえようがもらえまいが関係なく、毎日どんぐりを植えた一人の人のおかげで不毛の荒れ地が森になり、花が咲き小川が流れる沃土に変わったと...
神様は、罪によって死ぬしかなかった人類を永遠なる天国に導く為にこの地に来られ、また天国を目指している私たち人類が、この地でも一番価値のある生涯を暮らすことができるように導いて来られました。ですから、るつぼで銀を、炉で金を精錬するように、神様は私たちの心を精錬すると仰せられました(箴17:3)。 私たちの心を精錬されるわけは、精錬の過程を通じて、私たちを純金よりもっと価値があり光り輝く神様の子として作り上げられるためです。神様がこの地に来られ、私たちを一番価値のある被造物として造られる過程を聖書を通して調べながら、私たちが進むべき道について考えて見ることにします。 価値ある生涯 ...
この世の多くの人々は、自分なりの生活の目標があります。何年後に家を買うとか、子供たちの未来のために学校教育をどのようにするか等々、この世に対する多くの希望を持って未来を設計します。 職場で仕事をするにしても、希望があれば楽しいです。これからどのくらいの時が過ぎれば、より良い位置でより幸せな生活を味わうのだという希望と目標がある時、力が出てその仕事のために力いっぱい駆けて行くことができるのではないでしょうか。 神様を信じる聖徒も同じだと思います。私たちが信仰生活をしながら、未来をどのように設計してきたのか考えてみて、私たちの目標と希望を再び点検してみる時間を持ってみましょう。 ...