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新しい契約の福音が全世界に伝えられながら、霊的な盲人の目が開き、聞こえなかった人の耳が聞こえ、死の陰の地に住んでいた魂たちが生き返っています。神様が御自分の犠牲の血で立てられた新しい契約の御力は、本当に奥深く驚くべきことかはかり知れません。 神様は、新しい契約を信じて守る者には、無条件に罪の赦しと永遠の命を共にくださると約束され、新しい契約で私たちの神様になってくださり、私たちを御自分の民としてくださいました(エレ31:31–34)。天で罪を犯してこの地に追い出され、死の判決を待っていた私たちに、これよりももっとうれしい祝福の知らせはないので、新しい契約を指して福音(good news)...
聖書の最後の章であるヨハネの黙示録22章では、神様が“霊”と花嫁としてこの地に現れて全人類を救いの道に導かれる場面を見ることができます。これは使徒ヨハネが見た明確な黙示であり、必ず成就される預言です。聖書はこの全ての預言の御言葉から決して加えたり取り除いたりしてはいけないという教えの御言葉まで、続けて忠告してくれています。(黙2:17-19)。 預言どおり聖霊である父なる神様と、花嫁である母なる神様が、永遠に死ぬしかなかった人類に、命の水を賜り、この祝福の便りが伝えられる各所で、多くの魂が命を得ています。 歴代の信仰の先祖はいつも神様を誇りました。聖父時代にはエホバの神様を誇り、聖...
最近神様の御心を奉じて全国と海外で10タラントン運動が活発に展開されています。「果たして私に任せられた10人の魂をどう救おうか」と思ってシオンの家族たちが今この瞬間も多くの祈りをささげ、天の父と母に頼っていらっしゃると信じます。 10タラントン運動は、神様が私たちに申し付けられ頼まれた魂を救う運動です。その中には、私たちを目覚めさせ身を慎ませて、ともし火と油を準備してキリストの降臨を準備させようとされる神様の御心が込められています(マタ25:1-13参照)。私たちにタラントンを任されたエロヒム神様の真の御心を、聖書を通して理解する時間を持ちたいと思います。 救いを準備したノアのように ...
聖書は一点一画も狂うことなく成就される神様の預言書です。真実無妄な(真実で嘘のない)神様は計画された全てのことを必ず成就されるので、神様の預言に注目し預言に従って生きていくことは、本当に美しいことであり、人生を一番正しく生きる方法だと言えます(イザ14:24、二ペト1:19参照)。 預言に従って生きる人たちが受ける祝福と栄光について聖書の教訓を調べながら、この時代に賜った預言に従って、今後わたしたちはどのように生きるべきなのか考えてみる時間を持つことにしましょう。 預言に素直に応じられたキリスト イエス様が過越祭の聖晩餐を終えられ、ゲツセマネの丘で祈られたその夜、大祭司と長老...
今日この世に多くの教会がありますが、大多数の教会では、イエス様が手本を見せてくださり教えてくださった新しい契約の福音を守らず行っていません。キリストを信じるという人たちが、単純に信じさえすれば救いを受けることができると主張し、聖書を見ると言いながら、聖書に記録されたキリストの教えどおりに行う実践的信仰に対しては見過ごしているのが現実です。 神様の御言葉を知ってはいても実行せずにいたら、神様の命令と法の中に込められている神様の御心をしっかり理解することはできず、神様の救いの御業に共にあずかることもできません。知ることは理論であり、行うことは実技と言えますが、この世の理を見ても理論と実技が相...
聖書には、この地にある物の実相が天にあると書かれています(ヘブ8:5参照)。私たちに肉の体があるように、救われて将来天に帰る神様の子供たちには、新たに生まれる神霊的な姿もあります。私たちを産み育てる肉の親がいるように、私たちを天の神霊的な姿として生み、変えて下さる霊の御父様と御母様が存在されることを、神様の創造の摂理の中で見つけることができます。 順理に従って許される永遠の命 昔から先祖たちは、天の御心を悟って従うのが順理(道理に従うこと)であり、何であれ順理に従って、はじめてすべてがうまくいくと考えました。順理という言葉は、天の御心に順応することを意味しています。神様の御心が万物...
神様を受け入れるということは、すなわちその御名を信じることを意味します(ヨハ1:12)。シオンの家族は聖父、聖子、聖霊(父と子と聖霊)として、それぞれ働かれる神様の御名を知っています。また、新しい名で来られたキリストを受け入れて、新しい名が聖霊時代の救い主であることを証しする証人となり、新しい名で祈り、新しい名を賛美し、その名の御力により救いに至るようになりました。神様の御名は、霊的な世界で無限の権能を発揮します。聖霊時代の救い主として、この地に来られた新しい名と、また聖霊の花嫁である新しいエルサレム天の母の御名の価値が、如何に大きく、その御名が子である私たちにどんな影響をもたらすのか、聖書の...
見張りとは、警戒しながら守る仕事をする人のことを言います。見張りは他人が眠っている時にも起きて一生懸命監視し、敵が侵入してきたり災いが迫る気配が見えたら、人々に知らせ備えさせることがその使命です。 神様はシオンの子供たちに霊的な見張りの使命を託してくださいました。人々が聞いても聞かなくても神様の御言葉でこの世を目覚めさせ、災いを免れるようにし救いに導くことが霊的な見張りの使命です(エゼ3:11、17-18参照)。 今日発生している災いが、神様が人類に送られる警告のメッセージだということを考えるとき、見張りである私たちがこれを他人事のように見ているだけではいけません。このような問題と...
今日、新聞や放送などのマスコミでは、日々衝撃的で憂鬱な便りと共に、暗い展望を多く伝えています。戦争と飢餓、各種の疾病と異常気象、世界経済の崩壊、人間性喪失など、山積した問題のため、ますます暗鬱になる未来を懸念し、各界各層の専門家たちが各々の解決策を熱心に探していますが、そう容易ではないのが現実です。 気づいてみると、人類の未来が私たちの手にかかっています。私たちがまさか、そのような壮大なことができるのかと考えるかもしれませんが、神様の御心がそうなのです。神様は、危機にある人類を救い、世界の運命を決定づける歴史的な使命を、私たちに任されました。シオンに住む聖徒が、明日を知らずに生きている人...
人々はよく、自分には他人より機会が少ししか与えられなかったため、自分の人生を成功させられなかったと言います。ところが、これはもっと慎重に周囲二気を配ることができず、公平な神様の摂理を悟れなかったために言うことではないかと思います。実際には実行できる多くの機会があるにもかかわらず、人々はこれを機会とみなさないため、無関心に見逃してつかみ損なってしまう場合が多いようです。 私たちにも、幾多の機会が訪れては去っていきます。何より神様が望まれる善を行える機会が与えられたのに、これを逃してしまって悔しがるような事は、私たちにあってはならないでしょう。 一度行わなかった善行は永遠の後悔を残す ...
永遠なる天国を思い慕って進み行く信仰の旅路の中で、私たちは「神様に属した自分」と「私に属した自分」のうち、どちらに属している姿をしているでしょうか。振り返ってみたら、「神様に属した自分」より、「私に属した自分」のほうに偏っている場合が少なくなかったように思われます。心では当然、「神様に属した自分」の姿でなければならないと思うのですが、実際にはそのような生活ができていない瞬間が多かったようです。 そのような意味で、果たして自分は「神様に属した自分」として生きているのか、そうでなかったら「私に属した自分」として生きているのか、神様の御言葉に照らし合わせて確認する時間を持つことにしましょう。 ...
私たちの周りを調べてみると、人々は本当に大切なものがそばにあっても、いつも身近に接していると、その重要性を忘れて疎かにする場合がよくあるようです。神様が私たちに教えてくださった多くの真理の中でも、安息日がまさにそうだと言えます。 神様は初めに天地を創造される時、六日の間働いて七日目の日に安息なさりながら、この日を特別に神聖な日とされました。3500年前律法を頒布する時は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」という御言葉を十戒の石の板に御自ら手で記されました。安息日は救いと密接な関係があり、私たちの救いに絶対的な部分を占めているといっても過言ではありません。 それにもかかわらず、今日多...
今日地球村のあちこちから聞こえてくる災いのニュースにより、全世界が緊張しているさなかにあります。戦争と紛争はもちろん地震や津波、火山爆発、異常気象による被害など、絶え間なく続く災いは、すでに聖書によって数千年前から警告されている内容ですが、そのすべてが私たちが生きている聖霊時代に一斉に起こっているといっても過言ではありません。 神様がこの時代に過越祭を回復してくださった理由は、神様の民たちを災いから護って下さるためです。3500年前出エジプト当時、他でもなく過越祭をイスラエル民族に教えて下さった理由も、とても大きな災いがエジプト全域に襲来するためでした。神様はいつも災いを下される前に、神...
一日の日課を終える夜や、一年を終える年末になって、過ぎ去った時間を振り返ってみると、皆に同じ時間が与えられても、その時間を忠実に生きた人もいれば、そうでなかった人もいることでしょう。その違いは目標の有無にあります。目標を設定して、実現させるために誠実に努力した時、その事柄を成就して、やりがいが得られるため、個人でも団体でも仕事を始めるとき目標から設定するようです。 私たちの信仰生活も同じです。同じ時間が流れる間にも、その生活の中に霊的な目標のある人は、天国で享受する栄光と祝福を見つめて、日々忠実な生活を送ることができ、そうでない人は、ただ一日を迎え過ごす無意味な日常の繰り返しの中で、生き...
聖書に記録された御言葉の中には、神様が私たちに知らせようとされる尊い意味が含まれています。 ところで今日、聖書が2千以上の言語に翻訳され全世界の多くの民族に普及されていますが、まだ大多数の人々は聖書を見ながらも、預言の御言葉にどんな意味が隠されているのか正しく悟ることができないのが実情です。 各国の言語に、その国の人でなくてはよく分からない意味があるように、天国の言語も天国の民だけが分かります。例えば神様の民になった私たちは、"霊"とが「来なさい」と言われる御言葉の中に、神様のどんな意味が内包されているのかよく知っています。いつ、どこに、なぜ来なさいと言われるのか私たちは悟りましたが、...
神様は、王の中の王、主の中の主であられ、栄光と誉れと賛美を受けられるに極めてふさわしい方です。そんな神様が天の栄光を捨てられ、この地に肉体で来られ、それも二度も来られたということは、全て子供である私たちを救おうとされる一念からでした。 親の関心はすっかり子供に向けられているように、私たちの神様は、天の子供たちの救いだけに関心を持っておられます。ここでは再臨の意味を考えながら、私たちのために犠牲と献身を惜しまれない神様の神聖できわめて純粋な愛について聖書の教えを学んでみることにします。 神様が肉体になって 聖書は人類に永遠の命をくださる神様について証しする本です(ヨ...
以前ある記者から、「他の教会では肉体で来られた神様を信じていないのに、なぜ神様の教会では肉体で来られた神様を信じているのか?」と質問されたことがあります。いくら健康的に正しく真理の道を固守すると言っても、人の目にはその部分がおかしく映るのではないかと言うのでした。 そんな質問をされてみると、誰でも必ず知るべきである聖書の真理が正しく知らされておらず、神様を信じていると言う人々へさえも、正しく伝えられないでいるんだなと思い、もどかしく感じました。実は、キリスト教自体が肉体で来られた神様を認める宗教です。 キリスト教で言う「聖三位一体」とは、聖父エホバ神様と、聖子イエス様、聖霊...
神様が人類に聖書を与えられた究極的な目的は、魂の救いにあります。従って聖書を通して、私たちは必ず私たちの救い主である神様に出会わなければなりません。 聖書には多くのたとえが記録されていますが、その中の創世記に記録されたエデンの園の歴史は、天で罪を犯してこの地に落ちた人類の犯罪を知らせています。このたとえの中に隠された真の意味を悟るなら、人類が背負っている死の掛け金を解くことができます。 天国の秘密を知ることを、許された人と許されていない人がいると言いました(マタ13:10-16)。だとしたら、この秘密が分かるように許された人は、天国を約束された真に幸福な人々だと言えます。 善悪の...
聖書66卷には幾多の神様の秘密が込められています。その秘密を一つ一つ解いていく時、神様が成される救いの摂理を悟ることができます。 その中で、神様の最大の秘密はキリストです。神様の秘密であるキリストを悟ればこそ、救いの慈しみに授かることができ、知恵と知識のすべての宝を見つけることができます(コロ2:2-3)。 救いに至る知恵を提供する聖書は、神様の秘密であるキリストについて証しする本でもあります(二テモ3:15-17、ヨハ5:39参照)。聖書の多くの秘密の中、メルキゼデクに関する預言を調べて、救いの一番重要な核心であり主体であるキリストを見い出し、悟る知恵を得ることにしましょう。 ...
全世界からシオンの家族たちが雲のように集まってくる今このとき、私たちの心構えも一層成熟したものにならなければなりません。多くの家族が真理のうちに入ってきたら、それに比例して先頭で導く家族たちも大勢必要です。そうなればなるほど、先に召され神様の聖なる福音の御業を共にしている私たちが、へりくだる心を抱き神様を畏れ敬い、家族たちに仕えるなら福音の御業が迅速に成し遂げられることでしょう。 私たちは御言葉を聞くだけではなく、神様から学んだ全ての教えを実践に移さなければなりません。教会にいる時だけ聖徒になり、教会の外に出たら聖徒の道理から離れるような見かけだけの信者は、神様を喜ばせることはできません...