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神様の御恵みの中でシオンの民として召された私たちは、数え切れないほど多くの罪と咎を赦されました。そのような御恵みを受けたので、私たちの生涯は完全なる悔い改めを成す人生にならなければなりません。救いの日がだんだん近づいている中で、いまだに罪の習性と頑なさを捨てられず、悔い改めない心で神様の御心に逆らっていたとしたら、罪を赦された意味が色あせてしまいます。 私たちは、元々天で凶悪な罪を犯してこの地に降りてきた罪人です。この事実を忘れず、いつも謙虚な心で神様の前に自分を低くしなければなりません。聖なる犠牲の功労で、私たちの罪を贖ってくださった神様の愛を裏切らず、全てのことに感謝して、完全なる悔...
いつか、「家庭は、父親の王国であり、母親の世界であり、子供たちの天国だ」という、家庭について定義された文を見たことがあります。このように、家庭が父親の王国、母親の世界、子供たちの天国になることができるのは、家族の間でお互いに対する深い配慮と愛が存在しているためです。 私たち天国の家族も、このように互いに愛でつながっていなければなりません。神様は、争いと憎しみとねたみ等、この世で身につけた私たちの性格を、家庭という「るつぼ」の中で溶かして愛の結晶体として作っておられます。愛が溢れる魂として私たちを新しく創造されるために、霊肉間に家庭という垣根を作っておかれたのです。 「愛」の反対...
夢は叶うといいます。夢を見ないので叶わないのであり、夢を持ってその夢を成すために努力すれば必ず成し遂げられます。それで、西洋の格言にも「志のある所に道がある」という言葉があります。 2千年前、「あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。 父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタ28:19)と言われた時、イエス様は何の条件もつけられず、志のある人は皆行くことができるように道を開けておかれました。神様を絶対的に頼る信仰さえあったら、誰でも神様の驚くべき御業に参加できます。 自分の力不足あるいは至らなさを考えて躊躇するよりも、貧しいもので偉大...
最近、シオンにうれしい便りが毎日届いています。福音がどんどん加速され、韓国でも毎月多くの魂たちが新しい命を得て、海外福音も活発に成し遂げられており、神様がシオンに祝福された預言どおり、新しいエルサレム母の栄光が日ごとにはっきりと現れ、シオンの民も名誉と名声を得ています。 この全てが、預言された御業を速やかに成し遂げられる神様の御恵みであり、シオンの家族が神様の御言葉に従順に従った結果だと考えられます。聖徒の皆さんが、天の母が悟らせてくださった教訓の御言葉に従順に従って、日々笑顔で家族たちと隣人に接したので、神様が喜ばしいことをより多く与えてくださいました。 キリストの福音は、私たち...
魂を救うことへの熱い情熱を身につけたシオンの家族たちが、心を合わせ天国の福音を伝える所々で、恵み深い実が結ばれています。 私たちが霊的な実を結ぶためには、何よりも神様の御心どおり実践しなければなりません。より多くの実を切に求めすがる私たちに、神様は私たちの品性が神様から見て相応しい姿に変化した時、より多くの良い実を結ぶことができるとの教えをくださいました。このような教えを繰り返し考えながら、実をよく結ぶ秘訣について御言葉を見ながら考えていきたいと思います。 神様につながっていなさい
天の母は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(一テサ5:16–18)と言われた聖書の御言葉を強調されながら、たくさん感謝する人が天の父から大きな祝福を受けると言われました。 シオンの家族の皆さんは、天の母の御言葉どおり、神様にいつも感謝し栄光を帰す福音の生活をされていると信じています。すべての御業は神様が導いて行かれ、福音も神様が成就され営まれることを信じ、どんなことにも神様に感謝と栄光、賛美を帰す私たちになるならば、神様は離散した全ての天の家族を早くシオンに導いてくださ...
神様の経営によって、世界福音の御業が迅速に成されているこの時代に、神様が私たちに願われる信仰は、どんなものなのか考えてみましょう。 ほとんどの人は、神様を信じていなくても、自分が弱いと感じる時には、本能的に神様を求め、頼るようになります。しかし、自分が強いと考える時には、神様を尋ね求めるより、自分の能力と力に頼ろうとする傾向があります。「弱い時に強い」という言葉は一見、矛盾しているように見えますが、信仰生活をするにおいて自分が弱いと感じる時、初めて神様を尋ね求めるようになり、一番強い神様の御力が働きかけるので、私たちが弱い時、より強くなることができるのです。 福音の道を歩んでいくと...
この世を生きながらすばらしい師匠に出会うということは、本当に幸せなことだといえます。そういう面で考えると、真の生涯の師匠となられ、永遠なる天国に導いてくださるエロヒム神様に出会った私たちは、この上なく大きな祝福を受けた者たちといえます。 私たちの真の師匠であられる神様は、ひたすら子供たちの魂の救いのために、この地まで来られ苦難の道を歩まれました。ひどい目に遭われ、苦しい時も、声を上げられず、人々のあざけりや蔑視、侮辱を黙々と耐えられた神様の忍耐と犠牲の代価として、私たちの魂が癒しを受け、救いを得られました。その御恵みに心から感謝しキリストの道に従う私たちが、どんな信仰をもってこの道を歩む...
天国を望み、信仰の道を歩んでいる聖徒において、神様の御言葉を知ることも重要ですが、実践することはもっと重要なことです。この世の人たちはキリスト人に対し、神様を信じている人なら何かが違うだろうという肯定的な期待を持っている反面、キリスト人を自称する人々が悪いことをしたときには「信じているという人も何一つ変わらないんだ」と失望し、キリスト教の信仰自体に不信を抱いて、顔を背けてしまう傾向があります。 真の聖徒なら、言葉一つ行動一つにおいても、細心の注意を傾け慎重に行わなければなりません。自分一人の些細な言動が周りの人々を天国に導くこともあれば、滅亡に導いてしまうこともあります。この点を考えると...
この世に生まれて一生の間、一度も試験を受けたことがない人は多分いないでしょう。原始生活をする人でなければ試験という過程なしに、よりよい生活を営むことはできず、ひとつの試験に合格しても、よりよい生活を志向するためには、またほかの試験を受けて、その試験に合格しなければなりません。 同じように、私たちも永遠なる神様の御国で御父様と御母様に仕えて、世々限りなく栄光と永遠の命の祝福を受けようとするなら、必ず試験を受けなければなりません。私たちは、そのすべての霊的な試験の過程を勝ち抜かなければなりません。試練と試験という過程を超えた人に、神様のすべての祝福が臨むようになっています。 <...
人々は、神様がこの地に登場される時に、想像もできないほどの栄光に満ちた姿で来られると考えています。しかし聖書は、神様がとても平凡な姿で来られるため人々が見極めることができず、かえって神様が彼らには罠となり、落とし穴になるだろうと預言しています。 このように人々の常識とは違う姿で、私たちのもとに来られる神様を、どのように受け入れることができるか、聖書の歴史を調べながら、私たちに向けられた神様の御心を理解する時間を持つことにします。 密かに来られる神様 朝鮮王朝時...
神様は、すべてのことを知っておられる全知全能なる方ですが、人はそうではありません。神様が人類の救いのために人の姿でこの地に来られる時、人が自分の知恵で神様を見極められないので、聖書はキリストを知ることは神様の秘密であり、キリストの中に知恵と知識のすべての宝が隠されていると説明しています。 神様の秘密であるキリストを受け入れようとしたら、神様の知恵が込められている聖書を調べてみなければなりません。すべてを知っておられる神様が記録された聖書の御言葉を完全に信じる人だけが、救い主である神様を正しく見極め、受け入れることができます。 <...
東方から西方まで福音が宣べ伝えられている今、天の御父様が時さえ決められれば神様の御業は速やかに成就されるでしょう。その時と時期(最後の日)が間近に差し迫るほどサタンの妨害はより激しさを増すので、神様の聖徒には今よりも甚だしい迫害と試練と試みで苦しみにより苦痛と困難を経験することが増えるかもしれません。 聖書で、サタンがどのように神様の真理を妨げるのかその様子を調べ、またヨハネの黙示録18章に記録されたように、結局サタンに勝つ方は神様であると言われたので、神様の勝利についても調べ、確信と喜びをもって信仰の道を勝ち抜いて行ける信仰になることを願います。 サタンの妨害から神様が勝ち抜かれ勝利する...
この世の多くの人たちが、神様を信じていると自負していますが、神様の御言葉に完全に従おうとしてこそ初めて、神様を信じる人だということができるでしょう。彼らの中には、言葉では信じても、行いでは否認する場合もたびたび見かけます。彼らは、「神様の御言葉にはそうなっていても、自分の考えではこうするほうがいいと思う」と主張します。 神様を信じるには信じますが、これだけは自分の思い通りにして、後で気に入った神様の御心には従うような行動は、神様の御心に委ねる信仰ではなく、委ねることを後回しにする信仰だと言えます。委ねることが信じることであり、後回しにすることは信じることとは言えません。 神様は、新しい契約...
「大地は主を知る知識で満たされる」と仰せになられた祝福ある栄光の預言が、刻々と現実に現われています(イザ11:9参考)。皆が悔い改めて救いに至ることを願われる神様の御心を奉じて、全世界を救おうとする運動が加速されていくこの時に、私たちが今すべきことは果たして何であるか考えてみましょう。 聖徒たちは神様の掟とキリストに対する信仰を守る人々です(黙14:12)。「掟」といえば、シオンの家族たちは、新しい契約の掟を先に思い浮かべますが、掟の中には聖徒として基本的に守るべき掟と共に、心構えに対して教えられた御言葉も含まれています。神様に栄光を帰し、お互いに愛しながら気配りする等、聖徒として備えるべき...
聖書の預言に従って、全世界から多くの人々がシオンに集まって来ています。その中には、罪の習性と習慣を捨て、天の品性を身につけて以前とは変わった生活を送っている家族もいますし、まだこの世の罪の汚れを落とし切れないでいる家族もいます。 先に召された私たちは、真理があるシオンの中に入って来たとはいっても、まだ角立つ性格をもっているシオンの家族たちに、神様が願われる恵み深い言葉と品性についてのよい手本を見せなければなりません。シオンの子供たちが身につけるべき愛の属性の中で、一番重要な柔和という品性について、神様の御言葉を通して学んでみたいと思います。 貧しい夫婦の柔和な愛 貧しいけれども幸せな...
夢は叶うといいます。夢を見ないので叶わないのであり、夢を持ってその夢を成すために努力すれば必ず成し遂げられます。それで、西洋の格言にも「志のある所に道がある」という言葉があります。 2千年前、「あなたがたは行ってすべての民をわたしの弟子にしなさい。父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタ28:19)と言われた時、イエス様は何の条件もつけられず、志のある人は皆行くことができるように道を開けておかれました。神様を絶対的に頼る信仰さえあったら、誰でも神様の驚くべき御業に参加できます。 自分の力不足あるいは至らなさを考えて躊躇するよりも、貧しいもので偉大なる御業を起こして来られた神様の権能を忘れ...
私たちが永遠なる神様の御国に行こうとするなら、いつも自分の信仰を顧みて、天の父と母の御心を繰り返し考える必要があると信じます。いまだに神様の御言葉に従順に従えない部分があれば反省し、完全に従順に従えるようならなければなりません。 私たち個々人は、この時代の福音の預言者として、最も重要な一人一人です。自分一人の不従順で神様の福音の御業に莫大な支障をきたすこともあり、自分一人の従順で神様の祝福と御恵みの中、福音の御業を一瞬で成すこともあります。 アダムの不従順 聖書には、一人の従順と一人の不従順が人類にどれだけ大きな影響を及ぼすのか、具体的な実例を挙げて説明されています。 ロマ5:...
神様が私たちに全ての労苦から解かれて安らぎを得なさいと言われる日、私たち各自は、過ぎし日の労苦を顧みることでしょう。私たちが残した福音の足跡は、天国に全て記録され、これによって天国の祝福を受けるだけの信仰の道を歩んできたのかを目にすることになるでしょう。 時間がもみ殼のように飛び去る前に、私たちが天国に入るにおいて、いまだに準備できていない部分は何かを顧みなければなりません。10人の乙女の譬えを見ると、5人は準備をして花婿を迎えましたが、5人は準備ができておらず、結局婚宴の席に入ることができませんでした(マタ25:1–13)。 天国に入る為には、果たして私たちの心が神様に完全に仕えているか...
私たちが与えられた生涯を一日一日生きている間、神様の御国はそれだけ近づいています。天国は日に日に近づいているのに、いまだに自分の魂に不純物が多くついていたら、そのような姿では神様の御国に入ることは難しいでしょう。 神様の聖徒たちは、神様が聖なる御姿であるように、聖なる群れです(一ペト1:15–16、2:9参考)。天の父と母の永遠なる国に入ろうとしたら、神様が喜ばれない不純物を取り除かなければなりません。魂の全ての不純物を取り除いたら、天から降ってくる神霊なる御恵みをいただいて、天国の故郷に帰る資格を得ることでしょう。 銀から不純物を除け 以前は、伝統的な祝日...