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反逆とは、一般的に王の統治方針や政策に従わず、謀反を企てることを意味します。 霊的世界においては、私たちの王であられる神様の掟を守らないことが「反逆」です。神様の掟を守る人は、神様の側に立つので、絶対に神様に逆らったり、反逆することはありません。そのため、聖書は終わりの時代、霊的大戦争が繰り広げられる時に、神様の側につく人々は「女の子孫の残りの者たち」であり、「神様の掟を守り、イエス様の証し を守り通している者たち」だと教えています(黙12:17)。 今号では、掟と反逆の関係について正しく理解し、神様の律法と掟と法の重要性を、心に深く刻み込む時間を持ってみたいと思います。 ...
信仰生活をしながら、私たちは神様が下さった様々な掟と教訓を実行しています。神様が導かれる道は全て、私たちを幸福にしてくださるための祝福の道であると信じているからです。 聖書に記録された神様の御言葉には、「しなさい」という御言葉もあれば、「してはならない」という御言葉もあります。「しなさい」とおっしゃる時はすれば祝福され、「してはならない」とおっしゃる時には、しないことが私たちにとって祝福となるため、そのように仰せになったのではありませんか?たとえ私たちが、今はすべて理解できなくても、従順な心で従えば、用意されたすべての祝福を受けることができます。このような神様の御心を、聖書を通じて再び確...
神様は人類に「私を尋ね求めよ」とおっしゃいました。神様を尋ね求める、つまり神様を探すためには、神様について知らなければなりません。神様がどこにおられるのか、どんな真理を持ってこの地に来られるのか、聖書に記されているすべての手がかりを見つけて初めて、神様を探し出し正しく受け入れることができます。 神様が御自らこの地にお越しになったにもかかわらず、未だ世の多くの教会では、神様を知ることも、探すこともできずにいます。聖書に、神様はシオンにおられると記されていれば、シオンがどこなのか調べるべきであり、シオンで新しい契約の真理を宣布なさる方が神様だとあれば、新しい契約を立ててくださる方を探さなけれ...
神様は私たちを愛していらっしゃいます。2千年前天の父は、子供たちを救うために栄えある天国を後にされ、肉の衣をまとってこの地に来られました。数多くの嘲りや侮辱にも耐え忍ばれ、凄まじい鞭打ち、そして十字架の刑を受けられることによって、私たちの罪の代価を代わりに支払ってくださいました。それほどまでに、私たちを深く愛してくださいました。 今も天の母が、この地で私たちと共にこの道を歩んでくださり、愛を施してくださっています。天の栄光の御座を惜しげもなく捨てられるほど、私たちのために御自身の命を差し出してくださるほど、私たちを大切に思い愛してくださっています。この世のどんなものよりも私たちを愛され、...
天の母が、秋の祭りに、「春の雨の聖霊を受けて行われる今後の宣教は、以前とは異なるはず」と言われました。全世界のシオンの家族がこの御言葉に力を得て、福音を伝えたところ、多くの天の子供たちが戻ってきているという良い知らせが続々と届いています。同じ人に、同じ場所で御言葉を伝えても、以前とは画然とした違いがあるという嬉しい知らせもありました。 このような状況を見ていると、聖書の預言が御言葉通りに成就されているということが実感できます。一年を終え、また新年を迎えながら、天国の福音がサマリアと地の果てまで宣べ伝えられると言われた御言葉に頼って、世のすべての人々に神様の教えを伝えながら、天国に向かって...
世の中には様々な宗派の多数の教会がありますが、初代教会の姿をそのまま残し、キリストの教えを継承している正統教会は、なかなか探すのが困難です。それにもかかわらず、多くのキリスト教徒がこれを悟ることができず、自分が通っている教会が正統であり、そこに救いがあると無条件に信じています。 神様が建てられ、使徒たちが通った教会は、まさに「神様の教会」です。今日、私たちが通っている神様の教会は、聖父時代と聖子時代を経て、終わりの聖霊時代に、神様が人類の救いのために建てられた唯一の正統教会です。神様の教会が、イエス・キリストが2千年前に建ててくださった新しい契約の真理をそのまま継承している真の教会である...
全知全能なる神様は、人生のすべての生と死と祝福と呪いを司つかさどられます。御言葉に従う人々に祝福を下したり、そうでない者には懲罰を下したりもされます。神様を宝とみなし、その教えにそのまま従う者には、祝福が約束されています(申30:15-16、ヨブ22:21-28)。 約束された御言葉どおり、神様の予定されたすべてのことが、うまくいくことを確信しながら、熱心に天国を襲い、神様がくださる祝福をすべて享受する天の子供たちになりましょう。さらにまだ祝福の道を知らず、神様の恵みの中に出て来られずにいる70億の人類に、先に祝福を受けたシオンの家族たちが祝福の便りを伝え、祝福をたくさん分けてあげられた...
習慣のことを、よく第2の天性だと言います。なぜなら、誰でも本来生まれ持った天性があるものですが、それに劣らず人に大きな影響を及ぼすのが、長い間繰り返されながら自然に身についた、この習慣だからです。 人が持つ多様な習慣の中でも、良い習慣と悪い習慣があります。良い習慣は、信仰生活に役立ちますが、悪い習慣は、福音の道を阻む障害物になります。それで、神様は誤った古い人を脱ぎ捨てて、天国の人が持つべき習慣を新しく身に着け生まれ変わってこそ、天国に行くことができると教えてくださいました。聖書を通じて、悪い習慣と良い習慣について、深く考えてみながら、良い習慣は育み、もしかして誤った習慣があるなら、すべ...
人が世の中を生きていきながら周囲の人々との対話なしに過ごすことほど、苦痛で大変なことはないでしょう。刑務所でも重罪人は、人と意思疎通ができない独房に監禁されるといいますが、神様との対話が断絶した信仰生活であれば、霊的にもそのような状況と別段変わりありません。そんな生活の中では、喜びを得ることができず、神様の御心に完全に仕えることができません。 私たちが神様の御心を成すためには、何よりも神様との対話が必要になります。例えば「行って、すべての国民を弟子にせよ」と言われた神様の御言葉に従うには、私たちはいつ、誰のもとに行って、どのような方法で弟子にし福音を伝えるのか、具体的な部分について神様に...
歴史を調べてみると、偉人の中で誰の助けも借りず独りで偉大な業績を残した人は誰もいないようです。聖書の歴史の中に登場する偉大な信仰の先祖たちも、誰かの助けなしに自分一人でその位置に立った人はいません。 助けとは、人から受ける助けもありますが、全宇宙の万物を創造され、時代と歴史を導いていかれる神様の助けが最も力強い助けです。人々の助けは失敗することもあるし、むしろ誤って失敗させる要因になることもありますが、神様の助けは、いつも私たちを永遠の救いと勝利の道に導いていきます。神様に助けてもらって行うことには、決して失敗がありません。 天が助けたら、人の力でどうすることもできない...
イスラエルの民の荒れ野生活40年の歴史を振り返ってみると、神様の御心にふさわしくない生活を営むことにより、20年や30年、あるいはカナンの地に入る直前まで厳しい荒れ野を歩いて来ても、結局その群れから離脱したり、脱落した場合が多くありました。この時代、私たちの信仰の荒れ野においては、一人も落ちこぼれず、全員が天のカナンまで無事に到着するように願います。 今は信仰生活をする上で、様々な条件が以前よりもはるかに良くなったことは間違いありません。しかし、そのような外的な環境に反比例して、忍耐する心はますます減る傾向があるようです。シオンの家族たちは忍耐する信仰を持ってくださるよう心からお願いしな...
神様が造っておかれた森羅万象には互いに引き寄せる力が働いていると言います。これを万有引力というのですが、人と人との間もそうですし、机の上に置かれた鉛筆と消しゴムの間にも、本やパソコンとの間にも、私たちはよく感じられませんが、微力ながら、互いに引き寄せる力が働いているそうです。科学者ニュートンは、その力が両者の間の距離の二乗に反比例し、質量の倍に比例するという「万有引力の法則」を発見しました。 ニュートンは神様が造っておかれた原則を少し理解したにすぎず、神様はすでにそのような物理学的要素を含ませ、天地万物を創造されたのです。人が、神様が造られた法則を一つ発見しても偉大な科学者になるのなら、...
聖書の真理の御言葉の中には、救いを受ける跡継ぎである私たちを、真理の道、義の道に導かれ、神様の人として完全な者にならせようとする神様の御心が込められています。 その中で二千年前、人の姿で来られた神様を恵み深く受け入れた聖書の人物たちの行跡は、今日を生きる私たちのための良い教訓だと言われました。彼らを通して神様を正しく受け入れる信仰の姿勢について学びながら、この時代に登場されたエロヒム神様を受け入れよという救いのメッセージを、全国と海外の各所に早く伝える神様の子供になりましょう。 神様を受け入れた人たちに...
一年、一年、信仰の時間が経てば経つほど天の父と母の御恵みによって美しい天使の姿に変えられる預言の瞬間が近づいています。 このような時に、約束の子供として召されたシオンの子供たちは、聖書の預言に従ってこの時代の福音を導かれるエルサレム母について正しい眼目を持ち、外に現れた姿の裏に隠された天の母の犠牲を悟らなければなりません。そうしてこそ救いを受ける神様の跡継ぎとしてふさわしい信仰の姿勢を持つことができます。 天の母が導かれる最後の福音の御業が、どのような状況の中で日ごとに進行されているのかを、聖書の預言を通して調べてみながら、天の母の偉大なる犠牲を悟る時間を持ってみましょう。 女と...
聖書の預言に従って、エルサレムの栄光が全世界に迅速に伝わっているこの時代、世界のあちこちから、シオンの子供たちがエルサレムに集まって来ているという知らせが続々と届いています。このような兆と徴を見る時、神様が預言なさったとおりに、エルサレムの栄光がサマリアの全土と地の果てに至るまで、世界すべての民族に伝わる日が遠くないようです。 全世界に栄光が伝えられているエルサレムの実体と、エルサレムの栄光に集まる者が受ける祝福について、聖書の御言葉を調べてみることにしましょう。 聖なる都エルサレム
御母様の教訓の御言葉のように、海のような広い心で他の人を理解して受け入れることを指して「徳」といいます。聖書のところどころに徳についた教えが多く記録されているのは、全世界に天の母の栄光を現すため、召された者が必ず持つべき徳目の中の一つが、まさに徳であるからです。 シオンの子供なら、真理のうちで心と魂と力を尽くして神様の掟を守り、神様を畏れることが当然ですが、神様はこのすべての事を行う時、必ずその内に徳を高めることを願われています。このような御心に従って、これまで前だけを見て息を切らして走ってきた私たちの信仰の道を振り返ってみて「徳を高めなさい」と言われた神様の御言葉を心に刻む時間にしたい...
聖書を見ると、神様が終わりの救いを受ける民を種とされ、御自分を償いの献げ物としてささげることによって、その種(子孫)と見なされたという御言葉があります。 神様が造られた自然の万物の中で、種は妙な特性を持った存在です。種はその中で命がある程度育つと、母体である本来の植物の形態にそのまま似るようになります。そして、種は実を結ぶ特性を持っています。どんな植物でも種から発芽し、固有の形態になると必ず多くの実を結ぶようになります。 神様が私たちを種(子孫)と見なされたという御言葉には、私たちが真理のうちで新たに生まれて育つなら、私たちの姿が必ず神様に似なければならず、また必ず実を結ばなければ...
永遠なる天国を思い慕って進み行く信仰の旅路の中で、私たちは「神様に属した自分」と「私に属した自分」のうち、どちらに属している姿をしているでしょうか。振り返ってみたら、「神様に属した自分」より、「私に属した自分」のほうに偏っている場合が少なくなかったように思われます。心では当然、「神様に属した自分」の姿でなければならないと思うのですが、実際にはそのような生活ができていない瞬間が多かったようです。 そのような意味で、果たして自分は「神様に属した自分」として生きているのか、そうでなかったら「私に属した自分」として生きているのか、神様の御言葉に照らし合わせて確認する時間を持つことにしましょう。 ...
私たちの周りを調べてみると、人々は本当に大切なものがそばにあっても、いつも身近に接していると、その重要性を忘れて疎かにする場合がよくあるようです。神様が私たちに教えてくださった多くの真理の中でも、安息日がまさにそうだと言えます。 神様は初めに天地を創造される時、六日の間働いて七日目の日に安息なさりながら、この日を特別に神聖な日とされました。3500年前律法を頒布する時は「安息日を心に留め、これを聖別せよ」という御言葉を十戒の石の板に御自ら手で記されました。安息日は救いと密接な関係があり、私たちの救いに絶対的な部分を占めているといっても過言ではありません。 それにもかかわらず、今日多...
一日の日課を終える夜や、一年を終える年末になって、過ぎ去った時間を振り返ってみると、皆に同じ時間が与えられても、その時間を忠実に生きた人もいれば、そうでなかった人もいることでしょう。その違いは目標の有無にあります。目標を設定して、実現させるために誠実に努力した時、その事柄を成就して、やりがいが得られるため、個人でも団体でも仕事を始めるとき目標から設定するようです。 私たちの信仰生活も同じです。同じ時間が流れる間にも、その生活の中に霊的な目標のある人は、天国で享受する栄光と祝福を見つめて、日々忠実な生活を送ることができ、そうでない人は、ただ一日を迎え過ごす無意味な日常の繰り返しの中で、生き...