한국어 English 中文简体 Deutsch Español हिन्दी Tiếng Việt Português Русский ログイン加入

ログイン

ようこそ

神様の教会世界福音宣教協会ウェブサイトをご訪問くださり、ありがとうございます。 このウェブサイトは、聖徒だけが接続できます。
ログイン
WATV ID
パスワード

パスワードを忘れましたか? / 加入

テキスト説教は、印刷及び配布を禁じています。受けた恵みは、心に刻んでシオンの香りを放ってください。

大きい器になりましょう

神様の刻印を押す御業が東方の朝日が昇るところから始まって、豊かなる取り入れの結実を導いているこの時、神様の預言の御言葉どおり諸国の民族が集まって来て、シオンから出る真理の御言葉を切に慕っているという恵ましい便りを聞いております。

国内で福音活動が活発に熱くなって、海外福音を物心両面で助け合い五大洋六大陸どの一個所なり欠けるところなく、初臨当時より七倍も勝る真理の光が速やかに宣教されているようです。神様の福音の息吹がすみずみまで届いたことをみると「サマリアの全土と地の果てまで」という御言葉に実感が湧きます。

マタ24:14 『そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。』

使1:6-8 『・・・聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。』

国内には海外から来られた家族も大勢います。真理を悟って燃える心で神様の御言葉に秘められた御旨を悟りたいと願う海外の家族を通して私たちは喜びを得、御恵みにあずかって神様に感謝を献げるようになります。この方たちが帰国されたら、御言葉を宣べ伝える預言者の使命さえも立派に果たし得ることと思います。

すでに帰国した家族が福音を宣教して、多くの魂を神様のふところに帰したという便りもありましたし、また未知の地アフリカ大陸までも福音が上陸したという喜ばしい便りも伝えられているので、サマリアの全土と地の果てまで福音が宣教されるその日も遠からぬことでしょう。海外から来る天国の家族の疲れも気にせぬ熱情と燃える心で神様に出合い真理にあずかる姿にわたしの心も熱く燃えます。

このように福音が宣教される過程をみると、聖書に記録されてある預言の時代が身近に差し迫ったことと感じます。福音の根を下ろすには荒れ果てた地であるアメリカ地域でも福音が活発に普及されているのをみると、神様は遠からず聖書に記録されてあるすべての預言を成し遂げて下さるようです。


飼い葉桶に気遣うよりは畑を耕すのに心を置こう

福音が速やかに成就されるとシオンに向かって馳けつける群衆が雲のように鳩のように増えるでしょう。この家族を迎えるには私たちがまず温かくふくよかな安息の場所を準備して、また帰って来る家族をみんな包容する大きい器にならなければなりません。
大きい器になる方法として聖書が提示する一番基本的な教えは小さなことにこだわってはならないということです。

箴14:4『牛がいなければ飼い葉桶は清潔だが/豊作をもたらすのは牛の力。』

牛がいなければ当然飼い葉桶はきれいです。汚れる要素がないから飼い葉桶を掃除しなければならない煩わしさもありません。聖書で牛は福音の働き手に譬えたりします。福音を伝える家族がいなかったら、教会内ではいかなる摩擦も問題もないはずです。しかしシオンには十四万四千人の大勢の家族がいます。枝の多い木に風の止む日がないように、家族が増えるほど様々なことが比例して起こるに決まっています。

牛がいなければ、まちがいなく飼い葉桶はきれいなはずですが、牛によって得られるものも放棄しなければなりません。だとすれば、どちらがもっと重要なことですか。牛の力で得られる物が重要ですか。そうでなければ汚れる飼い葉桶の掃除がもっと重要ですか。

目先に直面した小さな事にこだわって、福音のために本当に重要な内容は悟れずに通り過ぎてしまったり、無視してしまったら決して世界福音は成就できません。私たちに何か問題が差し迫った時その解決方法が福音のための道か、自分のためだけの道かをまず考える大きい器の広さや深さを合わせ持たなければなりません。

イエス・キリストは、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハ13:34)と仰せになりました。

ヨハ13:34-35 『あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」』

十四万四千人の家族が初めから完璧なる性質や品格を持ってシオンに入って来たのならイエス・キリストが何のためにお互いの咎を隠し、互いに愛しなさいと仰せられたでしょうか。罪人である私たちはみんな欠けて乏しく弱く欠陥の多くの状態で神様に召されたのです。そのような家族たちの欠陥が受け入れられなかったらいつ福音が伝えられるでしょうか。

エフェ5:1-2 『あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい。』

家族が大勢いたら成すべき仕事と、助け合う仕事も多くなるでしょうが皆協力して励めば福音は速やかに成し遂げられることでしょう。たとえ欠けていて角が立つ部分があっても長い間堪え忍んで寬容で包み隠して行けば神様の御言葉でだんだん整えられ、少しずつ新たに変わりながら神様の性質や品格を身につけるようになり、見習って最後の瞬間には愛で完全に一つになることができます。それが神様の救いの御業であり、摂理だと思います。

今まで私たちの視覚が牛に留まっていたので、汚れた飼い葉桶にだけ気をとられていたのではないかと思われます。このような視覚は、長所よりも短所に多く目が行き、それにより諍いを生む言葉を発するようになり、またその言葉が不和の種になる言葉を生むようになる等、あるべきでない事を派生させ、シオンの愛を冷めさせてしまいます。世間の人々は、汚れた飼い葉桶には手一つ付けずに汚れた状態についてのみ甲論乙駁しながら問題にしようとしても、特別に選ばれて神様に仕えているシオンの子らだけは飼い葉桶の清潔、不清潔には気を取られることなく、牛が畑を耕してこそ得る結果に心をおいて、その牛が楽に喜んで働けるようにしなければなりません。


空船を見て心を空ける心構えを見習いましょう

いつか「空船」という題目の本を読んだ覚えがあります。ある人が川を渡ろうとして船に乗り、櫓を漕ぎながら川を渡って行きました。ところが、川の中ほどに近づいた時、反対側から近寄って来た空船と衝突してしまいました。抗議をしようとして船の中を見ましたが人の乗っていない空船でしたので誰かに怒りを放つわけにもいきません。彼は、ただ気を取り直して一生懸命櫓を漕いで前方に進んで行きました。

ところがまた他の船にぶつかってしまいました。今度は船に人が乗っていました。今度は争って揉めて激しい口争いは勿論血を流す結果にまで至ったのです。

相手側の船にたとえ人が乗っていてもそれを空船だと思ったら何も問題にならなかったはずです。わたしたちも人を見ないで空船を見るように心を空にして超然とした心構えでいたら間違いなく大きい器になれるはずだし、十四万四千人が愛で一つになる堅固たる麗しき連合体として神様の喜びになることができるでしょう。

前に調べてみた飼い葉桶の内容も、飼い葉桶そのものだけを見ないで飼い葉桶がなぜそこにあるか、牛のためにあるのではないか。だとすれば牛はなぜ存在するのか、牛があってこそどれだけたくさんの仕事ができるのかを考えられる広い眼目をもつようにする教訓であり、神様の御旨だと思われます。

海外から多くの家族が訪れて来ています。神様から直接教えにあずかった私たちは空船を眺める心と、また牛を理解する心情で彼らを包容しなければなりません。でなければ魂の住処を尋ねて来る家族といっても決して平安な安息の喜びを享受することができません。

一ヨハ4:7-11 『愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです・・・神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。』

愛したことのない人、心から兄弟を愛することができず、また霊の御父様・御母様である神様を愛せない人は、決して神様を知っているといえません。失われた十四万四千人の家族を早く探すためには、私たちの心の中に自分自身を大事にする心よりも、兄弟姉妹を助け重んじる心をより多くもつように努めなければなりません。


兄弟が連合して同居するシオンを造りましょう

神様の真理に出会ってあまりたっていないシオンの家族の内、大多数は罪悪の世の習わしに慣れたまま真理を受けたので、角張った性分と言行等が整えられる過程にあります。事実、先に導かれた私たちの姿も初めて真理にあずかった時には別段違った点はありませんでした。私が先に兄弟に仕え、兄弟の咎までかばえる大きい器になりましょう。

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び」(詩133:1)と仰せられた御言葉から私たちは神様が望み願われることを悟ることができます。残念な思いをする心や高ぶろうとする心などで神様の教訓を忘れず、ひたすら福音だけを考えて兄弟姉妹を愛しながら真理を伝えましょう。そうすれば、神様の愛と祝福が豊かに臨むことでしょう。

ヨハ8:47 『神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。』

「兄弟同士互いに愛しなさい」というのは神様の御言葉です。私たちはある部分においては御言葉によく従いますがまたある部分においては世の習わしから抜け出せないこともあります。神様御自ら賜われた教訓の御言葉を、心から受け入れられぬ時、その瞬間だけは神様に属していないということを悟らなければなりません。

神様に属した者たちは神様の御言葉に聞き従うとおっしゃっていますから、兄弟同士仲良く愛する麗しい連合を成して天の離散家族を速やかに呼び集めるのに必要な愛の住み処を造って行きましょう。まだそこまで達していないと思われる方はこれからでも神様から賜った教訓の御言葉で生まれ変わりますよう願います。心の中の罪悪なる本性は皆切り棄てそこに神様の御言葉と愛を満たして聖書の教訓どおり生きていきましょう。

今まで聖書の教訓どおり生きるために努めて来ましたが、もし疎かにして通り過ぎてしまった部分があったら、すかさず実践に移して神様の御旨に従う大きい器になって下さるよう願います。大勢の家族を導いてその家族と和合し、犠牲になることができる神様の願われる大きい器になって、新しい契約の福音をサマリアの全土と地の果てまで、そして世界に伝えるシオンの家族になられるよう望みます。