エリヤの使命として来たバプテスマのヨハネがイエス様を完全に信じられなかったように、 今日も使徒ヨハネを通して明らかに示された救い主"聖霊と花嫁"を信じない人が多い。 「来るべき方はあなたです」(ペトロ) 「彼は根本的な神の身分(パウロ)」と証しした使徒たちのように 「天のエルサレムは、私たちの救い主・天の母」と言うことができる私たちにならなければならない。 エルサレムから流れ出る命の水が、全世界に流れるので、 母なる神様を知る知識が全世界に満ちてあふれることに...
神様を信じるという人々が神様を知る知識がなくて、 救いに来られた神様を受け入れず滅びに至る。 「わたしの民はわたしの名を知るであろう」と言われたので、 石の上に記録された新しい名前は、神様の民でない者が決して知ることはできない。 最後の時代ダビデの名で、メルキゼデクの位で、 命の木の実としてこの地に来られた新しい名前である安商洪様の名前を受け入れる時、 神様がお許しくださる救いの恵みを受けることができる。
神様が名前を変えて来られても、根本は絶対に変わらない。 新しい名前で来られた安商洪様は 取り壊した新しい契約過越祭の真理を再び探していただき、 聖書の預言者たちのすべての証しを受けた神様である。 安商洪様はまた「私は御母様に従う」と言われ、 最後の時代に登場される天の母を聖書の教えで証しされた。
バプテスマのヨハネさえも「来るべき方は、 あなたでしょうか」質問するほど、 神様が平凡な人の姿で 来られた理由は何だろうか? 神様は天から失われた子供たちを捜す過程の中で、真の民と偽りの民を区別され、 自分を平凡な姿に下げられ、何もできないような肉体の姿で シオンの礎の石と、試みの石になって来られた。
地球に起こる数々の災いを通して終わりの日に裁き主として臨まれる神様の足音を 悟らなければならないのに、いまだに多くの人々はノアの時のように、時代を分別できずにいる。 聖書は、毒麦のたとえを通して、神様の時と法が変化することと、 それによって世の中で、神様の御言葉がなくなることを預言された。 救いと罪の赦し、永遠の命の約束が込められている過越祭の真理だけでも、 誰が神様の側に立つか明らかに分かる。
神様の御言葉を加減せずに、くださった御言葉どおり行わなければならない理由は、すべての御言葉の中に、私たちの救いのための、神様の御心があるからだ。 安息日は6日間天地万物を創造され、安息された創造主の記念日。天地万物を創造された創造主である神様は 「エロヒム」、すなわち父なる神様・母なる神様であることを聖書は証ししている。神様はこの事実を知らされようと安息日を心に留め聖別せよと言われた。 安息日を聖別して守ることは「神様の民」だというしるしになり、安息日を汚す者は神様の...
全世界に臨む、最後の大災害から救いを受ける者は、誰か? 神様がヨハネを通して、災いを受ける者と、救われる者を区別してくださった。 - 神様が近い未来に怒りの7災害を下されると預言(黙16:1-20)。 - 第2次世界大戦(イスラエル民族の抹殺)以後、日が昇る東の地の果てに、神様の刻印を押す御業として、救いの道が開かれることを預言。 「神様の刻印」は、守ればすべての災いを超えていくと約束された「過越祭」である。 過越祭は、神様が私たちの内にとどまられることがで...
人類に永遠の命を賜るため、模型として立ててくださった旧約の逃れの町の制度と、 メルキゼデクと過越祭は、どんな関係におかれているのか? 逃れの町に閉じ込められた殺人罪人たちは、大祭司の死があればこそ、 罪の赦しを受けて、故郷に帰ることができた。 このように天で罪を犯し、逃れの町である地球に閉じ込められた人類は、 メルキゼデクの祭祀制度に従う大祭司イエス・キリストが、死に至るまで 犠牲になられ立ててくださった過越祭を通してだけ、永遠なる天の故郷に帰ることができる。...