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テキスト説教

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テキスト説教は、印刷及び配布を禁じています。受けた恵みは、心に刻んでシオンの香りを放ってください。

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神様の教会が なぜ正統教会なのか?

하나님의 교회가 왜 정통 교회인가

世の中には様々な宗派の多数の教会がありますが、初代教会の姿をそのまま残し、キリストの教えを継承している正統教会は、なかなか探すのが困難です。それにもかかわらず、多くのキリスト教徒がこれを悟ることができず、自分が通っている教会が正統であり、そこに救いがあると無条件に信じています。 神様が建てられ、使徒たちが通った教会は、まさに「神様の教会」です。今日、私たちが通っている神様の教会は、聖父時代と聖子時代を経て、終わりの聖霊時代に、神様が人類の救いのために建てられた唯一の正統教会です。神様の教会が、イエス・キリストが2千年前に建ててくださった新しい契約の真理をそのまま継承している真の教会であるということを、聖書の預言と歴史の記録を通じて確認してみます。 真理が変えられてしまった歴史 西洋では、イエス様の誕生を起点に、紀元前と紀元後を分けて年代を表示してきました。紀元前を意味するB.C.(ビーシー)は、英語「Before Christ(ビフォークライスト)」の略で、「キリスト以前」という意味を持っています。紀元後を意味するA.D.(エイディ)はラテン語の「Anno Domini(アノドミニ)」の略であり、キリスト誕生の年」を意味します。学者によっては、イエス様がそれより4年前に誕生なさったと推測することもあります。 教会史の流れを大まかに見てみると、2千年前、この地に来られたイエス様が聖書の預言に基づいて30歳でバプテスマを...

魂の救い、永遠の命を求めよ

영혼의 구원, 영생을 찾으라

聖書は、信仰の目的は魂の救いにあると知らせています(一ペト1:8)。神様を信じても、魂の救いを得られなければ、それこそ空しい信仰であり、最も憐れな者と言えるでしょう。救われない人が行く所は永遠の地獄のほかないと言われたので、私たちは救いに関 する問題を真剣に調べてみなければなりません。 何よりも、魂の救いを下さる神様について知る必要があります。2千年前も、神様を信じるという人々は大勢いましたが、彼らは神様を知ることができませんでした。彼らが考える神様の姿と、預言に従って肉体となり来られた神様であるイエス・キリストの姿には、大きな違いがあったからです。信仰があると言いながら聖書の預言に注目しないとしたら、まるで、過去ユダヤ人が自分の地に来られた神様を十字架で処刑したように、今日も、人類の救いのために二度目に来られる神様を再び排斥することになるでしょう。 救いは神様にかかっています。神様が救いを下さるという事実は認めながら、神様の教えである聖書を否定してはいけません。神様は救いに関するすべての原則を、聖書を通して公開されました。 神様の証しがあればこそ入る天国 聖書が述べている本質的な内容は魂の救い、すなわち永遠の命です。私たちが熱心に聖書を研究して調べるべき理由も、まさにこのためです。 ヨハ5:39-40 『あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをす...

善を行う者になれ

선을 행하는 자 되라

神様は聖徒たちのことを、世の中の光と塩だと言われました。世の中の光と塩の役割を果たすには、私たちが神様の目に正しい、善い行いと善良な心を身につけなければなりません。 聖書は「この世に倣ってはなりません」(ロマ12:2)という言いつけと併せて、善を行う天の子になりなさいという教えを下さっています。神様を信じていない人たちも「善いことを行えば天国に行き、悪いことをすれば地獄に行く」とよく言います。私たちの信仰だけでなく、善い行いも、天国か地獄かを裁かれる際の重要な要因であるということを、誰もが記憶しておかなければなりません。 神様の栄光を現す聖徒たち イスカリオテのユダは、神様を信じるとは言いましたが、正しい心を持つことができませんでした。それゆえに、この世を救うためにこの地に来られた救い主を、銀貨三十枚で売ってしまうという恥知らずな行為をしでかしました。問題は、自分の中に良いものを積み重ねて来れなかったため、善良な習慣がないことにより発生します。善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出して、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出します(マタ12:35)。何かもう少し利益になることはないか、たとえ人に害を与えても、何か自分の心を満たせることはないかという考えが、結局、キリストを十字架に釘づけにするという悪事の主動者の役割をさせる要因となりました。 善を行えば天国に行き、悪を行えば地獄に行くしかない判決が...

決断の時

결단의 시간

人生の道においても、信仰の道においても、人には決断すべき時があります。 そんな時、まごまごして決断を延ばせば、どうなるでしょうか?ああでもない、こうでもないと悩んでばかりいては、少しも前に進むことができず、結局はいつも定位置です。むしろ状況に左右されて進むべき方向に進めず、誤った道に迷い込みかねません。 ロシアの文豪ツルゲーネフは、人間の類型を小説の主人公の名前をとって、ハムレットタイプとドンキホーテタイプに区分しています。ハムレットタイプは優柔不断で、考えを行動に移すことを躊躇する熟慮思索型人間を指し、ドンキホーテタイプは、ためらうよりは思ったことを果敢に行動に移してみる、行動型人間を指します。 神様の御言葉の前で、今私たちはどんな姿でしょうか?決断の時が与えられたら、それが神様の御心であり、私たちが当然やるべき善良で正しいことなら、躊躇したり悩んだりする必要はありません。聖書には決断の時が与えられた際、ためらうことなく正しい道を選択したことで神様に祝福された多くの信仰の先祖たちの歴史が記録されています。 キリストの召命に従った使徒たちの決断 2千年前、イエス様がガリラヤ湖のほとりを歩きながら弟子たちを呼ばれました。当時、ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネが、漁に熱中していたときのことでした。 マタ4:18-22 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを步いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟...

神様についてどれだけ知っているか?

하나님을 얼마나 알았는가

世の人々は、神様についてそれぞれ自分なりに考え、判断します。霊の存在である神様についても、その神性と権能が、人間の想像の枠を超えているため、到底推し量りにくいばかりか、神様が肉体の姿で来られようものなら、なおさら人間の知恵によって悟ることができないため、神様に対する見解は、人によってまちまちです。 初臨当時の状況を見ても、「まさか、神様が人の姿で来られるはずはないだろう」と考えていたため、イエス様のことを「気が変になっている」という者もいれば「ナザレの異端だ」(使24:5)という者もいて、神性を冒涜する者だから十字架につけるべきだと主張する者もいました。ある人は「預言者ではないか」、またある人は「エリヤなのでは」と考え、使徒ペトロやパウロのように「キリスト」であられ「神の身分、神と等しい者」であられると悟る場合もありました。 神様は、人々が神様についての知識を得て、救いに至ることを願われて、神様を証しする本である『聖書』を人類に与えてくださいました。聖書を通して神様についての正しい知識を得、正しい悟りと信仰の中で、世界万民に神様について証しできる、シオンの家族の皆さんになられるよう願います。 キリストについて、それぞれ異なる解釈をした人々 2千年前、人類にとって最も大きな喜びの知らせが、野原で羊の群れを飼っていた羊飼いたちに伝えられました。まさに人類を罪から救ってくださるキリストが、人の姿でこの地に来られたという知ら...

安息日の 意味

안식일의 의미

美しい陶磁器が完成するまでには、土をこねて焼き、釉薬を塗って乾かしてから再び窯に入れるなどの様々な過程を経なければなりません。一人の命が生まれるまでにも十月十日(とつきとうか)という長い時間、お腹の中で命が形造られる過程が必要です。 目に見える肉の世界においても、苦労する過程があってこそ一つの完成体が作られるように、神様も目に見えない霊の世界で苦労されながら、私たちを完成品へと造り上げておられます。天の市民として欠けたところのないように、毎週安息日ごとに私たちに祝福を下さり、新しい力を吹き入れてくださる神様の愛を考えながら、安息日の意味を改めて心に刻みなおしたいと思います。 霊的な罪人たちを聖なる姿に変えてくださる安息日 私たちがこの地に生まれたのは、天国で罪を犯したからです。イエス様は失われた者を捜して救うために、この地に来られました。 マタ9:13 「…わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」 ルカ19:10절 「…人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」 イエス様は朝早くから祈られ、失われた者を捜すため、休むことなく宣教されました。(マコ1:35-39)。キリストの生涯の究極の目的が、人類の救いにあったからです。 「失われた者」と言われたように、私たちは本来、イエス様と一緒に天国にいた天使たちでした。イザヤ書の記録は、私たちが天...

安息日と創造主であられる神様

안식일과 창조주 하나님

神様が定められた祭りを守る聖徒たちは、祭りの中に込められた神様の摂理と、子供たちの魂を救うためなら 苦労を惜しまれない神様の愛を悟ることができます。神様の掟を純金よりもっと愛し大切に守るのは、そのためです(詩119:127、詩50:5参考)。 聖書に記録された祭りのうち安息日は、天地万物を創造された創造主の神様を記念し、敬拝をささげる日です。六日間の創造の御業を終えられ、第七日目に安息された神様は、第七日の日を祝福され、聖別されました。また、モーセの時代には、十戒の第四番目の戒めとして「安息日を心に留め、これを聖別せよ」との命令を下さいましたが、これは安息日が、神様が祝福を下さる日であり、創造主の権能を記念する日であるからです(創2:1-3、出20:8-11)。 聖父時代のみならず聖子時代にも、イエス様や使徒たちが安息日を掟として守る姿を、聖書のいたるところで確認できるように、安息日はキリスト教の信仰において、決して見過ごすことのできない重要な要素です。神様に仕える民はこの日を神聖に守ることによって聖別され清くなり、すべてにおいて創造主である神様の摂理を悟ることができるようになります。 天地万物を創造されたエロヒム神様 創世記からヨハネの黙示録まで、聖書のすべての内容は、神様がなさる肉的創造と霊的創造の過程を説明しているものだと言っても過言ではありません。まず、ソロモンが聖霊に導かれて記録した箴言を通して、神様が天地...

神聖な礼拝を神様にささげよう

거룩한 예배를 하나님께 드리자

礼拝は、神様を畏れ敬い仕える上で、絶対に欠かせない重要な要素です。神様の民は礼拝を通してすべての罪を赦していただき、神聖になる祝福を受け、神様とさらに近づけるようになります。 時々、礼拝を、ただ儀礼的に教会に出席して説教を聞く程度に考える方がいます。しかし、礼拝は説教者の流暢な話を聞くために参加するのではなく、私たちが悟るべき霊的な意味がその中に明らかに含まれています。すべての説教者は、聖徒と神様との出会いを仲介して、神様の御言葉を通して神様の御心を届ける役割をするだけです。神様にささげる礼拝の重要性と意味を、聖書の御言葉を通してもう一度確かめてみましょう。 旧約の祭祀の中に込められた礼拝の意義 旧約の律法は、将来の良いことの影であり、実体として登場する新約を予め示しているものです(ヘブ10:1)。旧約時代、イスラエルの民が神様にささげた祭祀は、新約になってから礼拝の儀式に変更されました。それゆえ、旧約時代の祭祀を研究してみると、新約時代に私たちが神様にささげる礼拝の意味を悟ることができます。 旧約の祭祀は、概ねその特徴に応じて、いくつかに区分することができます。羊や山羊のようないけにえの献げ物を焼いて、その香りで祭祀をした、焼き尽くす献げ物の祭祀(燔祭)があり、穀物を砕いて細かい粉を作り献げ物をささげた穀物の献げ物の祭祀(素祭)があります。和解の献げ物(酬恩祭)は、罪を赦してくださった神様の恵みに感謝したり、願いを...

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