この世でも、秩序と平和のために立てられた社会的な約束が重要なように、安息日、過越祭、祭り、新しい名、シオン、ベールなど、神様が人類の救いのために立ててくださった「約束」を破る者は、「神様とは関係のない人たち」として、決して天国に来ることができない。 バビロンとシオンの違いは、「母なる神様」の存在の有無にある。 母なる神様は人類を天国に導く最も重要な鍵として、「永遠の命」の約束を成し遂げるために、6000年の終わりに登場される。
聖書のあちこちで証しされている神様の御姿は、男性の姿と女性の姿である。 神様が創造された万物が「母」を通じて命を授かるように、 神様の子供たちだけに特別に与えられる「永遠の命」の贈り物も 唯一「母なる神様」を通してのみ授かることができる。
私たちにとって最も大切な方は、まさに 「神様」であられる。 また心を尽くし、精神を尽くし、命を尽くして神様だけを愛することを学ぶために、来るのが 「シオン」である。 神様は私たちを御自分の最も貴重な存在であると考えてくださり、天国の霊的な死刑囚である私たちを救うために、人の姿で来られて、酷い十字架の苦難を代わりに受けられた。 神様に仕えることでなく、他のことに心を奪われ、信仰の他の世界に興味を持つようになると、「神様を愛しなさい」という第一の戒めを犯す最大の罪人にな...
安商洪様がくださった真理の御言葉の中 「神様を知ることが、春の雨の聖霊を受ける条件」と言われた。 既成教会でも神様を知っていると言い、聖霊を受けたと言うが、彼らは教会の伝統と歴史を誇り、神様を「一人」だと主張する。そうしたら、聖書は神様を何人だと証ししているか? 聖書に2,500ヶ所以上「神々(エロヒム)」と記録されていて、万物を通しても母なる神様の存在をすべて知らせておかれたので、最後の裁きの座の前で誰も言い訳できないのである。
「神様を信じることで良いことは何なのか?」私たち人間が天国への望みを抱けるようになるから良くて、霊的にも肉的にも祝福を受けるから良くて、罪の赦しを授かるから良いのです。何より最も良いことは、災いを免れるという神様の約束にあずかれる点ですが、その内容について詳しく調べて見ましょう。
人類の救いのために与えられた聖書66巻は、母なる神様の存在を明らかに証ししているので、聖書の御言葉を加減すれば、天国に入る特権を取り除かれる。 すべてのキリスト教の源が、人の姿で来られた神様を信じることから始まっても多くの教会が神様は 「人の姿で来ることができない」と話す。 聖書の2500カ所に神様が「単数(エル、エロハ)」ではない、「複数(エロヒム)」で記録されていて、ヨハネに黙示で示された「婚宴」の比喩でも救いを受ける人々には、父なる神様だけでなく、母なる神様も必...
命がある天地万物には、その命を誕生させた母親が存在する。 これは、神様の贖いの摂理の中で、許可された不変の理であり、母親がいない世界に命は有りず、 どこでも命があるところで母親の存在を発見することができる。 私たちが進むべき天国は死がなく、永遠の命が存在するところである。 これは、天国にも私たちに永遠の命を吹き込んでくださる「魂の母が」存在されることの証しではないか。
母から命を受けることが、万物を創造された神様の摂理。 3500年前、モーセも創世記の記録を通して、母なる神様を証明した。 「終わりの日に復活させる」というイエス様の御言葉も、終わりの日に命である母なる神様が来られるという意味である。 神様から与えられた聖書の御言葉を加減せずにその通り守るのは、唯一「母なる神様」を信じる神様の教会一箇所だけである。(黙22:17-19)