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テキスト説教

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テキスト説教は、印刷及び配布を禁じています。受けた恵みは、心に刻んでシオンの香りを放ってください。

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宣教の祝福

전도의 축복

シオンの聖徒なら宣教の使命が極めて重く、その祝福がどれだけ大きいのか、よくご存じのことと思います。もし神様のお召しを受けて遣わされた聖徒たちがいないなら、世の中はどうなるでしょうか。 アメリカの作家ローワン·ジェイコブセンの著書に『ハチはなぜ大量死したのか(原題:Fruitless Fall-実りのない秋-)』という本があります。タイトル自体が意味深長で、多くのことを考えさせられます。霊的世界における宣教者の使命は、この地に結実をもたらすミツバチの役割と同じです。もし福音を伝える人がいなければ、この世は救いの結実を期待できないようになるでしょう。神様が世界を救える権威を私たちに与えてくださったということが、どれほど大きな祝福であるか、一緒に考えてみましょう。 ミツバチのない生態系、宣教者のいない霊的世界 私たちが山や野原の随所で目にする多くの実は、自然に結ばれるのではありません。その大部分は神様が送られたミツバチが深い山の中や、遠い野原まで飛んで行って、受粉してくれた結果です。このように小さな生命体たちも造り主のお申し付けに従い、一生懸命花々の間を飛び回って果物や穀物がよく実るようにしてくれています。 たとえ小さな生物とはいえ、それによって実をつける植物にとっても、食べ物を得る動物にとっても、ミツバチは非常に大切な存在です。もし地球上からミツバチが消えてしまったら、実も種も一つずつ消滅し、生態系に大きな影響を与える...

神様と私たちの関係

하나님과 우리의 관계

神様が私たちのことを「わたしの民」、「わたしの子」と呼ばれたということは、実に大きな意味を持っています。海の中に住む魚たちの世界で、知識や知恵にあふれ、度量も大きく、他の魚たちをうまく治められる魚がいると仮定してみましょう。いくら才能に長け、うまく統治し、その世界で地位が高く、とても尊敬される魚だとしても、人間の私たちから見れば何の関係もないはずです。同じように、神様の霊の世界から人間の世界を眺めるとき、私たちが神様と何の関係もないならば、どんなにこの地で、徳があり、慈しみ深く、知識が豊富で、他人が持とうにも持てないほどの卓越した才能を発揮する者だとしても、いと高き神様にとっては何の意味もないのです。 神様は『虫けらのような人類』を憐れんでくださり、契約と律法と法を通して、私たちを神様の民とされ、神様の子どもにしてくださいました。その結果、私たちには救いと永遠の命が与えられたのです。ですから、この世の何ものも、神様の愛から私たちを引き離すことができないように、神様との関係をしっかりと保持していかなければなりません(ヨブ25:4-6、ロマ8:35参照)。 「あなたはわたしと何のかかわりもない」 外国で戦争が起こったとき、そこにもし自分の家族や知り合いが住んでいるとなると関心を抱きますが、たいていの場合、多くの人命が犠牲になっても、人々があまり関心を払わない理由は、「自分とは関係ない」と思うためです。それと同様に、神様との関係...

天国の門を開く過越祭

천국 문을 여는 유월절

天国の門を開く過越祭 今日、世界には神様を信じるという数多くの教会がありますが、救いの約束が込められている神様の祭り、新しい契約の過越祭を守る所は、唯一神様の教会のみです。 「わたしの民は知識がないために滅ぼされる」と言われたとおりに(ホセ4:6口語訳)、多くの人々が聖書を正しく知らずに、過越祭を守る必要のないものと決めつけながら、神様を信じさえしていれば自然に天国に入られると思い込んでいます。聖書の御言葉を通して、私たちが守っている過越祭の意味をもう一度心に刻み、真と偽りを分別してみましょう。 天国の門を閉ざす者たち 2千年前、イエス様がこの地に来られた時に、当時の宗教指導者たちは神様の教えに従うどころか、多くの群れを間違った道に導いていました。 マタ23:13  律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。 書記官とファリサイ派の人々は、当時主流となっていた宗教指導者です。ところが、イエス様は人々を天国に導くべき彼らが、むしろ人々の前で天国の門を閉ざし、自分も入らないのはもちろん、入ろうとする人をも入らせないと責められました。 人々が天国に入られないように妨害した者たちの結末は、火を見るよりも明らかです。イエス様は彼らに重々厳しく警告されました。 マタ23:32-33  蛇よ、蝮の子らよ...

どこに行っても共におられる神様

어디를 가든지 함께하시는 하나님

どこに行っても共におられる神様 2016年に入りながら、シオンの家族たちが70億の全人類に福音を宣べ伝えようと、エロヒム神様の御前で決意しました。天国の福音が全世界の万民に必ず伝播されると言われた御言葉を信じてエルサレムの栄光の光を発している所々から、多くの魂が神様の懐に帰ってきたという福音の勝報を伝えてきています。 神様は、御自分の貴い御旨を奉じて行っている所はどこでも共におられながら、勝利を得ることのできる栄光の道を準備しておられます。どこに行っても共におられると約束され、恐れることなく思いっきり福音を宣べ伝えなさいと言われたので、サマリア全土と地の果てまで福音を速やかに伝播して、皆が実を豊かに結ばれるよう願います。 エリヤがどこに行っても同行された神様 最近、全世界のシオンから聞こえてくる便りを見ると、天の父と天の母の御心を忠実に奉じて熱心に福音を伝えている所に、今まで私たちが経験したことのないほどのたくさんの良い実を、神様が豊かに結ばせてくださっておられることが分かります。神様の貴い御言葉である聖書を通して、神様の律法と掟を遵行する者たちに、このような御業が起こるという事実を確認してみることにしましょう。 王上17:8-16 また主の言葉がエリヤに臨んだ。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる。彼は立ってサレプタに行った。町の入り口まで来ると、一...

最も偉大なこと

가장 위대한 일

この世にはいろんな仕事と職業があります。その中には人たちに利益を与え、時代精神を悟らせて、歴史に一線を画すに値する偉大なことも多いです。それでは、何が最も偉大なことでしょうか? 神様はとても偉大です。偉大なる神様が経営なされ、導かれるすべての事も確かに偉大なことです。ところで、神様がなされる偉大なことの中で私たちに任せて下さったことがあります。 まさに「全世界のあらゆる民に御国の福音を宣べ伝えなさい」(マタ24:14)と言われた宣教です。 この世の仕事もそれなりにやりがいと価値があるでしょうが、その栄光はしばらくすると消えてしまいます。しかし、神様が私たちに委ねられた「福音を伝えること」は永遠に輝く使命です(ダニ12:3)。この仕事は、天の天使たちや霊物たちがやりたがってもできないことであり、ただ神様の肉と血を受け継いだ子供たちにだけ許された特別で、貴い職務です。 最も偉大なこと、宣教 神様がこの地に来られて行われたことが何なのか聖書を通して調べて見ます。 ルカ19:10 人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。 イエス様が天からこの地まで来られた目的は、失われた者を捜して救われるためでした。最も偉大なる神様が肉体の衣を着られてまでこの地に来られて成し遂げようとされた最も偉大なことは、天で罪のために失われた子供たちを捜して、その罪を赦し、永遠の命へ導かれることだったのです。 最も偉大...

大贖罪日の意味

대속죄일의 의미

聖書に記録された安息日や3次の7つの祭りなどの神様の祭りは、単なる旧約の律法 ではなく、人類が救いを受ける上での重大な意味を内包しています。神様は祭りを守る シオンの民を救われ、祭りの祭祀(礼拝)によって神様と契約を結んだ者を聖徒と称さ れました(イザ33:20-24、詩50:1-5)。また、終わりの時代にも、祭りを守るために苦労し 力を尽くす子供たちを呼び集められ、地上のすべての民の中で、その者たちに誉れを与 え、名をあげさせると言われました(ゼファ3:14-20)。 聖書に約束された御言葉通り、神様の定めと掟と法を大切にして、神様の祭りを守 る民たちに、すべての祝福と栄光が与えられるのです。この時間は、神様の祭りの中で も、大贖罪日の意味について調べてみることにします。 大贖罪日の由来 聖暦7月10日に迎える大贖罪日は、3次の7つの祭りのうちの一つで、旧約当時はこの日、大祭司が一人で一年に一回、至聖所に入って民のすべての罪を贖いました。 大贖罪日は他の3次の7つの祭りと同様に、モーセの行跡に由来しています。イスラエル の民がエジプトから解放されてから、荒れ野に出て行った時、神様は民に必要な律法を 下さろうとモーセをシナイ山に呼ばれました。御召しを受けたモーセは、40日間断食をし た後、神様が自ら石の板に記録してくださった十戒を受け取り、携えて下山しました。 しかし、山の下にいたイスラエルの民は、モー...

私は盲人であったが、今は見える

나는 소경이었다, 그러나 지금은 본다

生まれた時から、すべての事物を見ることができる人は、あまり認識できないでし ょうが、目が見えない不自由さをいつも抱えて生きて来た視覚障害者ならば『見る』 ことの価値については、誰よりもよく分かるはずです。一生涯、闇の中にいた人が、あ る日目が開いて、明るい世界が見えるようになったとしたら、その瞬間の喜びは、と ても言葉では言い表すことができないでしょう。 同様に、霊的な暗闇の中にいた私たちの魂が、神様に会って霊的な目が開き、真 理が見えるようになった時は、とても嬉しくて飛び跳ねたのではないかと思います。 感謝があふれたはずです。しかし、命の御言葉をいつも見聞きしているうちに、時間 が経てば経つほど、これらすべてが日常のことになってしまいます。 私たちが信仰の道を歩いていきながら、時には神様が下さった祝福に対して感謝 することを忘れるときがあります。最初は大きな感動をもたらした命の真理の御言 葉が、時間が経過するにつれ、日常のことのように変わってしまうという残念な状況にはならないようにすべきです。真理を見ることができるようにしてくださったエロヒ ム神様に、毎日より多くの感謝と栄光を帰すシオンのすべての聖徒の皆さんになら れることを願います。 見せて、信じさせる神様 ヨハネによる福音書には、生まれつき盲人だった者が、イエス様に出会って見える ようになった事件が記録されています。イエス様は泥をこねて彼の目に塗られ、シ...

行いと実践の信仰

행함과 실천의 신앙

行いと実践の信仰 聖書にはこの世に住んでいるすべての民族に天国の福音が述べ伝えられると記録されています(マタ24:14)。福音の便りが全地に響き渡ることと神様の御言葉が世界の果てにまで及ぶこともまた明確に証しされています(ロマ10:18)。 預言の御言葉を聞いて目覚めた家族たちが大胆に全世界すべての民に向かって神様の福音を伝えているというシオンの香りが全世界のあちこちから舞い込んでいます。ところが、未だに躊躇する心で宣教に加わることをためらう方々もたまにいるようです。 聖書の預言どおり福音が今日70億人類に全部述べ伝えられるためには必ず行いと実践が必要です。皆が一致した心で加わる時福音の御業が完成されるのです。行いと実践の重要性を聖書を通して調べて見ましょう。 行いで成し遂げた奇跡の御業 聖書の中には神様の御言葉を信じ、その御言葉どおり行って偉大なる御業を成し遂げた多くの信仰の先祖たちの行跡が記録されています。その中でヨシュアも神様の御言葉どおり信じて行うことにより奇跡の御業を目撃した人物です。 ヨシュ6:1-5 エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を堅く閉ざしたので、だれも出入りすることはできなかった。そのとき、主はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄...

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