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テキスト説教

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テキスト説教は、印刷及び配布を禁じています。受けた恵みは、心に刻んでシオンの香りを放ってください。

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命の道と天の母

생명의 길과 하늘 어머니

道は、初め誰かが目的地に向かって行ったり来たりしながら残した痕跡によって、自然 に形成されていきます。もともとは存在しなかったのですが、そこを初めて通り過ぎた一 人の人から始まって、少しずつ作られていき、多くの人々が往来することのできる道にな るのです。 霊的な理を見ても、私たちの魂が行くことができる道は、二つに分かれています。一つ は、神様が天国からこの地に、この地から再び天国へと私たちの救いのために行き来さ れながら形成された天国の道です。一方、サタンが手下を率いてこの地に来て、多くの魂 を惑わして地獄に連れて行きながら形成された地獄の道もあります。 道を間違えると、方向を見失い、迷って、全く別の目的地に到達するものです。私たち は必ず天国の道に進んで行かなければなりません。この道から脱線し、他の道に行って はなりません。正しい目的地である天国に至るためには、「来てください」と言われる神様 の御声に付いて行き、神様が開いてくださった天国の道を見つけなければなりません。 聖書を通して、私たちが行くべき天国の道がどこなのか、明らかに悟る時間を持つことに しましょう。 ペトロが見た幻が与える教訓 天国に向かう道は、その道を作られた神様が最もよくご存知です。それで、イエス様は 「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない」(ヨハ14:6)...

私たちの運命を変え てくださった天の母

우리의 운명을 바꿔주신 하늘 어머니

全世界に神様の福音が迅速に伝えられています。失われた天の家族を捜す救いの御業が、預言の御言葉どおり、この世を騒がせて、聖徒たちが出て行く所にはどこでも、神様がシオンを建設してくださっています。このすべてのことは、天の母の教えに従って、シオンの子供たちが連合し、一つの心で、情熱を持って福音に臨んだ結果と思われます。 私たちには明るい未来が予定されています。エルサレム母の栄光が宣べ伝えられると、国々が集まって来て、神様に帰って来るようになり、聖徒たちは、永遠の天国で世々限りなく統治する祝福を享受するようになるという約束の御言葉があります。これが私たちの運命です。私たちの運命が、誰のゆえに変わったのか聖書を通して調べてみて、自分の駆けて行くべき道を終えて、準備された義の冠を眺めた使徒パウロのように、天国の望みの中で悔いを残さぬように、福音の職務を果たしていきましょう。 死ぬ運命が永遠に生きる運命に 昔、ある乞食がいつも自分の運命を嘆いたそうです。そんなある日、ある賢者に会いました。乞食は彼に自分の身の上を嘆き、自分も金持ちや有名な英雄たちのような運命だったらよかったのにと話しました。話を聞いた賢者は、あなたも彼らと同じ運命だと言いました。困惑した乞食が、どういうことかと問うと、賢者が答えました。 「彼らも死ぬ運命を持って生まれ、あなたも死ぬ運命をもって生まれたじゃありませんか?」 金持ちも、乞食も、偉人も、平凡な人も...

新しく生まれ変わった人々

거듭난 사람들

最近、国内や海外を問わず、悔い改めに対する悟りと美しい連合の知らせが、シオンに殺到しています。天の母の善良な模範と教えにより、多くの家族たちが悟りを得て、自分から先に謝罪し、涙で和解し、悔い改めの人生を生きようと覚悟を新たにしたというエピソードが、世界各地から届けられ、お互いに「ごめんなさい」、「すみません」、「赦してください」と言う表現が、私たちの心に深い響きをもたらしてくれています。 天国が近づいて来れば、聖徒の心が一つになって、固くなった心を神様が柔らかな心に変化させてくださると言われました(エゼ36:24-27)。こうした御業が成されるのを見ると、天国が真に近づいて来たという感じがします。天の父と母もお互いに連合するシオンの子供たちの姿を満足げに眺めておられることと思います。 これまで一つの空間で過ごしながらも、心は遠く離れていた家族がいるなら、今この瞬間、先に近付いて行き、互いの手を取り合いながら、赦しを求めてみましょう。私たちが本来罪人であったという事実を正しく認識して、高められるより、先に自分自身を低めなさいと言われた神様の教えに従えるようになってください。 私たちは、過去天国で神様に背き、悪い者の反逆に知らぬ間に加担して、この地上の世界に追われて来ました。サタンに誘惑された後、私たちの心の中では、もともとなかった罪の性質がどんどん育ち根付くようになりました。そんな罪の性質から立ち帰ってはじめて、失われた私...

浸礼とは何なのか

침례란 무엇인가

人生において新しい出発と言える結婚をする時、新郎と新婦はお互いを配偶者にして、一生の間苦楽を共にするという誓約をします。それと同じく浸礼は私たちが神様に進み出る第一歩で、神様と私たちの間に契約を結ぶ儀式です。 浸礼を通して神様が私たちのすべての罪を赦して下さり、私たちも罪で染み付いた過去の生涯から離れて、これからは神様の民として神様だけを畏れ敬いながら生きて行くという約束が成立します。過ぎ去った人生の中の罪と咎はすべて赦され、私たちが天国に行くその日まで神様の教えに従って新しい人生を始めるターニングポイントになるのです。 このように神様と結ぶ契約の儀式、浸礼について聖書はその意味と重要性を詳しく教えています。 イエス様が模範を示して下さった浸礼 イエス様も浸礼を受けられて福音を伝播し始められました。 マタ3章13~17節 ”そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼(浸礼)を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「わたしこを、あなたから洗礼(浸礼)を受けるべきなのに、あなたが、わたしのところへ来られたのですか。」しかし、いえすはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼(浸礼)を受けると…” 浸礼は罪人が罪を赦されるため...

神様の御心どおりに進められていく福音の御業

하나님의 뜻대로 진행되는 복음의 역사

神様は私たちにいつも雄々しくあれと勇気を吹き込んでくださいます。しかし、私たちは福音を伝えていて困難にぶつかると、時々恐怖に包まれ、心と体が凍ってしまうこともあります。 「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神」(イザ41:10)と仰せられる神様の御言葉を聞きながらも、裏に隠れた理よりは、目の前に繰り広げられた状況に気を奪われて、慌てることがあります。 真理を証しする人がためらったり、迷ったりすると、福音の御業は成就し得ません。私たちが、私たちの神様がどれほど偉大なる方なのかを悟り、神様が御自ら福音の御業を導いて行かれるという事実を確信してはじめて、大胆な心を持つことができ、すべての福音の業がうまく行くようになります。 全宇宙を経営なさる神様 宇宙から見下ろしたら、地球は一点の埃に過ぎません。存在自体を論じることもできないほど微々たるものです。反対に、無限なる宇宙の世界は想像すらできないほど広くて美しいです。雄壮で巨大な天体の数々は、神様が定められた法則どおりに均衡を保ちながら動き、宇宙いっぱいに満たされている無数の星たちは、一寸の狂いもなく神様の摂理に従って、精巧にかみ合って回っています。 このような大宇宙を経営なさり、時には天体の運行まで変化させることができる、全知全能なる方が神様であられます。過ぎ去った歴史の記録を通して、神様の偉大なる神性について確認してみましょう。 ヨシュ10:12-13 ...

必ずこうなると書かれている聖書

이런 일이 있으리라 한 성경

今日、世の中には多くの教会があり、それぞれ、自分たちの信仰が正しいと主張しています。しかし、信仰の基準は、神様の御言葉であって、人の考えや思想にはなり得ません。ひとえに聖書の御言葉を信仰の中心とみなした時、永遠の天国に向かって正しい信仰の道を歩いて行くことができます。 聖書は、これから成り立つことが、あらかじめ言われた神様の預言で構成されています。それゆえ、聖書を詳しく見ることで、真の信仰の道を見つけることができます。天のエルサレムである母なる神様の懐へと、悔い改めて帰ってきた子供たちに、救いが約束されているという事実を聖書ではっきりと確認してみて、私たちの信仰を確固たるものにする時間を持ってみましょう。 必ず成就する聖書の御言葉 預言の御言葉である聖書は、預言者たちが聖霊に導かれて神様からの御言葉を記録した本です(二ペト1:20-21)。神様はこの御言葉に付け加えても取り去ってもいけないと命じられました。 申4:2 『あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。』 聖書66巻は、神様が下さった御言葉なので、一言も加減してはなりません。個人の哲学や思想のような人為的な人の考えで解釈してもならず、聖書にあるままを見てはじめて、正しい救いの道を見つけることができます。ですから、聖書に記録されている神様の御言葉のほかに、付...

何を神様に差し上げようか?

무엇을 하나님께 드릴까

私たちは生活の中で、誕生日、入学や卒業、結婚記念日など、家族間で特別な意味を持つ日を迎えることがあります。そんな時には、誰でも、その日の主人公のためにどんな贈り物を用意すべきか、心をときめかせながら悩むものです。 それなら、永遠の故郷である天国に帰る時、霊の両親である父なる神様、母なる神様に何を差し上げれば一番喜ばれるでしょうか? 子供である私たちは、今まで、神様に命も、愛も受けるだけの立場でした。 これからは神様に何を差し上げるかを、何で神様を喜ばせて差し上げるか考えて実行する成熟した信仰を持ってみましょう。 神様が喜ばれること 子供のすべてを喜ぶのが親の心というものですが、祝日や両親の誕生日を迎えた時に贈り物を準備する子供なら、両親が最も喜ぶものが何なのか悩むはずです。そのように、聖書も、神様の子供たちに、何が神様に喜ばれるか考えてみなさいと教えています。 エフェ5:6-11 『何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。実を結ばない暗闇の業に加わらないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。』 ミカ6:6-8 『何をもって、わたしは主の御前に出で/いと高き神にぬかずくべきか。焼き盡くす献げ物として/当歳の子牛をもって御前に出るべきか。主は喜ばれるだろうか/幾千の雄羊、幾万の油の流れを。…人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと...

死から、永遠なる命の体に

사망에서 영생의 몸으로

シオンの家族は過越祭を神聖に守ることによって、神様が施される命の宴に与っています。新約の福音書を見れば、イエス様は過越祭を新しい契約として立てられながら「苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた」(ルカ22:15)と言われました。 なぜイエス様は、弟子たちと過越祭を守ることを切に願われたのでしょうか?その理由は、死に縛られていた罪人を永遠の命の体にする贖いの経綸を、過越祭新しい契約を通して成されるためです。人々は天からマナが降ってきたり、死んだラザロが生き返るようなことを奇跡と言いますが、実は永遠に死ぬしかない私たち人類を過越祭により永遠に生かしてくださる、このことほど大きな奇跡はありません。私たちを死に定められた体から永遠の命の体に変化させて下さる神様の驚くべき奇跡と、それに関する約束の御言葉を調べてみましょう。 死の奴隷になった人類 人はこの世に生まれて、死を免れることはできません。人間は万物の霊長と言いますが、結局のところは死の力に屈するようになるので、万物の霊長ではなく死の奴隷というしかありません。 ヘブ9:27 また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、 ロマ7:24-25 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。 ローマの信徒への手紙の御言葉は...

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