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命の真理メディア説教 テキスト説教 真理の書 聖書に関する質疑応答
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神様のお召しを受ける時は、神様が共にいてくださり働ける能力もくださるので、まずは神様のお召しに対する信仰を持ち、御言葉どおりに行えばいいです。信じる者には何でもできます。 神様のお召しを受ける時私たちは「私がその資格があるか」、「私がそんなことをする能力があるか」と自分の能力をまず点検する場合が多いです。私たちの能力でもって、神様がお召しくださったその位置でその仕事をうまくできるかできないかを計算するなら、誰でもできないと言うしかありません。 神様が召される時には「アーメン」という心で従って行けばいいです。それでは、神様の能力で救いの御業が一つ一つ進められていきます。神様のお召しには、私たちの能力で神様の御業を成そうとされるのではなく、私たちの信仰の土台の上に、神様が神様の能力で私たちを助けられ、動かしていかれると言う意味が含まれています。 神様がモーセを召された時 イスラエルの民が400年余りの間、エジプトで奴隷生活をしていた時、神様がモーセを指導者として立て民を救い出してくださいました。モーセが自分の学問や知識や能力で、イスラエルの民を救ったのではありません。神様の言われたとおりに、神様の道具の役割をしただけです。 最初、神様にお召しを受けた時、モーセはこの事実を悟れませんでした。 出3:10~12 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連...
一日、一日が過ぎ、一年また一年と時を過ごしながら、天国を懐かしみ天の父を恋しく思う心もますます大きくなるようです。 過去、失ってしまった永遠の天国への懐かしさと、天の父がこの地に早く来られることを渇望し待つ気持ちが、シオンの家族たちの心の中で一つになる時間が、今この時ではないかと思います。望みが叶うことを忍耐し待ちながら、聖なる信心深い生活を送り、永遠の故郷である天国を切に待ち望み、日々生きがいを感じ価値ある人生を送られるよう願います(ロマ8:15、二ペト3:11-13)。 懐かしい故郷、天国 人々は、誰でも自分が生まれ育った故郷に対して本能的な懐かしさを感じるものです。聖書は、私たちが天使の世界で罪を犯してこの地に生きる霊魂たちであって、その魂の故郷は天にあると教えています。それゆえに、人には霊的にも永遠の世界を懐かしむ本性があります(コヘ3:11)。 古今東西の詩人たちも異郷暮らしの寂しさと苦しさの心情を吐露したり、故郷の懐かしさを訴える内容を盛り込んだ多くの詩を残しました。その中で、韓国社会で広く愛されている詩、李殷相氏が書いた「カゴパ(行きたい)」という作品があります。故郷を懐かしむ切ない気持ちがよく表現されたこの詩を一度味わってみましょう。 わが故郷、南の海、あの青い水、目に浮かぶ。 夢にも忘れようか、あの穏やかな故郷の海。 今もあの水鳥が飛ぶだろう、行きたいな、行きたい。 幼い頃、共に遊ん...
聖書は、神様を愛であると記録しています(一ヨハ4:8)。今日私たちがこうしていられるようになるまでには、犠牲により命の真理である新しい契約を立ててくださった父なる神様と、今この瞬間も苦労を惜しまれず私たちを永遠の天国に導いてくださる母なる神様の存在がありました。 天の父の愛も測り知ることができませんが、天の母の愛はさらに測り知れない限りなく深い愛です。シオンの家族が互いに助け合い、愛で和合することができる力も、母なる神様から出てきたと言えます。天の母の無限なる犠牲と愛が、目に見えない霊的な世界においてサタンのすべての妨害を退け、子供である私たちを勝利へと導いているという事を、聖書を通して確認してみることにします。 惜しみなく与える愛 昔、ある師匠と弟子たちが悟りを得るために旅に出たそうです。彼らは世界で最も偉大な愛は何なのか論じながら歩いていて、ある町に到着しました。しかし、突然の災難が町全体を襲ったのか、その町には人の骨が山積みになっていました。 多数の人骨が絡み合う光景を見ていた師匠は、急に何か思い出したように、弟子たちにこの中から女性の骨を見つけられるかと尋ねました。弟子たちはお互いに顔を見合わすだけで、女性の骨をすぐに選び出すことはできませんでした。 その時、師匠は一本の骨を拾って、これが女性の骨だと言いました。弟子たちがたくさんの骨の中からどうしてそう簡単に女性の骨を見い出すことができるのか、と尋ねま...
約束とは、あることについてどのようにするか前もって定めておいて、お互いに守るよう心に決めることを言います。また約束は、双方の間で成立するものであって、約束を結ぶ対象が存在します。 新旧約66巻で構成されている聖書は、神様と私たち人間との間で結ばれた、神様の約束が込められています。聖書の中で旧約は、神様が人類にくださった古い契約、つまり古い約束であり、新約は神様が新しくくださった約束、つまり新しい契約です。この約束は人間が一点一画でも、勝手に手を加えたり、他のものと換えたりはできません。そのため、神様と私たちの間でお互い約束したその御言葉に、絶対加えたり取り除いたりしてはいけない、と言われました(黙22:18-19)。 今日、私たちがこの世の万民に伝えようとするのがまさに神様の約束です。神様が人類にくださった祝福の約束、永遠なる天国に対する約束、聖書に記録されたこのような神様の約束を教え、知らせてあげることが宣教だと言えます。 現在多くのシオンの家族が福音を宣べ伝えるために韓国全土と全世界に歩を進めています。福音を宣べ伝えようと出て行く時も、神様が私たちにどんな約束をくださったのかを考え、その約束を信じて行えばよいのです。聖書に表された神様の約束を詳しく調べてみながら、約束に対する確信を持ち、信仰の道を歩んで行くようにしましょう。 「わたしがあなたを助ける」 私たちが行うバプテスマと礼拝の儀式、宣教、祈り、新しい...
シオンの家族たちが聖書の預言に従って、全世界を救い、神様に喜びを差し上げようという信仰を持って10タラントン運動に心と思いを尽くしている今日、父なる神様を信じ母なる神様を信じる信仰の中で、世界が恵み深く変わり行く姿を見ることができます。 神様は全てが預言どおりに成し遂げられるということを、私たちに確めさせてくださいました。神殿が狭く感じられるほど多くの家族が祭りを守ったという知らせがあちこちから届き、世界の各地から神殿を広げてくださいという要望が寄せられるほど、多くのシオンの家族が真理の内に波のように押し寄せて来ています。 私たちは御言葉どおりに、行って福音を伝えただけなのに、短期間のうちに数多くの家族たちが真理の内に入ってくるのを見ると、神様が全ての福音の御業を迅速に成し遂げてくださっていることがわかります。信仰で世界がだんだん聖書の預言どおりに変わって行き、神様が予定された全てのことが成し遂げられて行っていることを聖書を通して確認してみましょう。 信じる者にはできないことはない 福音を伝える働き手に必須項目として要求されるものは信仰です。信仰を省いた状態で進められる業は、何の変化も起こすことができません。 母は、大きな働き手は大きな信仰を持っていて、大きな信仰が大きな奇跡を呼び起こせるのだとおっしゃいました。父がくださった預言の中でも、「共産主義、民主主義がこの世を騒がすことになるだろうが、終わりの全世界の...
聖書に記された多くの災いが、今日世界のあちこちに降りかかっています。私たちが生きているこの時代は、いつの時代よりも神様の助けとご加護が必要な預言の時期ではないかと思います。 災いがあふれる時ほど、神様の民には何より神様の救いの御手が必要です。そんな意味で神様の救いに対する教えを聖書を通して共に調べてみることにしましょう。 神様を自分の助けとみなす者、災いが襲うことはない 神様は私たちの牧者であり、救い主であられます。私たちが依り頼み、頼れる対象は神様しかいらっしゃいません。 詩91:1-11 『いと高き神のもとに身を寄せて隠れ/全能の神の陰に宿る人よ。主に申し上げよ/「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と。神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。…あなたの傍らに一千の人/あなたの右に一万の人が倒れるときすら/あなたを襲うことはない。あなたの目が、それを眺めるのみ。神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。主はあなたのために、御使いに命じて/あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。』 これは神様の約束の中にいる子供たちにくださった労りの御言葉です。聖書は神様が子である私たちを極めてひどい疫病 (伝染病)からも救われるし、天使たちを遣わして、私たちの...
聖書は、私たち人間をすぐに消えうせる朝露のようだと表現しています。神様の偽りのない御言葉のように、過去の人生を振り返ってみると、月日の経つのは本当に早いと思います。 人間はどれだけ儚く空しい日々を送り、風前の灯のように人生の最期を迎えるのか考えてみながら、シオンの家族の皆さんはそれぞれに与えられた時間、神様がお許しくださった、真実であり未来がある事に、情熱と真心を尽くされるようお願いいたします。空しいことにしがみつき一生を送るつまらない人生ではなく、私たちには永遠なる天国があることを聖書を通して調べながら、心に生きた望みを抱く恵みの時間を持たれるよう願います。 明日のことを誇るな ある漁師が海岸で偶然アラジンの魔法のランプを手に入れました。ランプをこすると巨人が出てきて願いを一つ聞いてやると言いました。漁師は1年後の新聞を持って来てくれと言いました。彼は新聞を受け取りどんな株を買っておけばお金を多く儲けて大金持ちになれるかと、株式相場を見ていました。そして、幸せな気持ちに浸って紙面をあちこち見ていた彼は、しばらくして大きな衝撃を受けました。新聞の訃報欄に自分の名前が載っていたからです。 1年後を考え株式に投資して多くのお金を儲けようと思っていましたが、訃報欄に出ていた自分の名前を見て、唖然として生気を失ってしまいました。これが私たちの人生です。 このように私たちの周りには、突然死去する方が多いように思います。年齢が...
神様は人類に旧約は旧約どおりに、新約は新約どおりにそれぞれ違う方法で救いの教えをくださり、天国に行くことができる道を開いておかれました。旧約の中心になる内容は、神様が霊の状態で救いの摂理を働かれた記録だとしたら、新約は、肉体をまとわれこの地に来られた神様にどのように対するべきか、に関する教訓で満たされています。 聖書を調べると、時には霊でおられた神様のことさえ知らなかった人々もいれば、神様が肉をまとわれこの地に来られた時、見分けられなかった人々もいます。その反面、霊の姿である時も、肉体で来られた時も、正しく仕え受け入れて、祝福を受けた人々もいました。 私たちの魂の救いは、神様を知ることにあり、全ての救いの御業は神様が導かれるということを、この時間、聖書の御言葉を通して共に調べてみることにします。 神様を知り、畏れ敬うことが知恵の初め 聖書は人類に「神様を知り、畏れ敬い、仕える中で救いがある」ということを悟らせてくれています。聖書の全ての教えは、「私たちの魂の救いのためには、救い主である神様について正しい信仰を持つ必要がある」という内容に帰結します。 箴9:10 『主を畏れることは知恵の初め/聖なる方を知ることは分別の初め。』 聖なる神様を知ることが知恵であり、分別だとおっしゃいました。旧約時代、霊でおられた神様は、新約時代に肉体をまとってこの地上の万民と共に生きられながら、私たち人間の全ての荷を御自ら担わ...