언어
ようこそ
申し訳ございません
パスワードを忘れましたか? / 加入
IDを保存
ホーム » 命の真理 » テキスト説教
命の真理メディア説教 テキスト説教 真理の書 聖書に関する質疑応答
ページ »
聖書の中に現れた過ぎし日の御業を通して、私たちは神様が御自ら御自分の子らを召され、また彼らを通じて大いなる御業を成就される御力の息を感じることができます。天地万物を創造された神様は各時代ごとにヨシュア、サムエル、ダビデ、ペトロ、ヨハネなどの信仰の先進達を召されて、神様の御言葉のともし火が消えないようにし、信仰の脈をつながせられました。 今日、私たちは神様が偉大なる御業を任せるためにお召し下さった時それにふさわしい者になるため、いかなる心構えで神様の御前に立つべきか、聖書に記録されてある御業を通して、教訓にあずかるようにしましょう。 すべての御力は神様にある 神様が福音に仕える者を召される時は、その人の能力や容貌等外形的条件を基準になさりません。神様が何か欠けるところがおありで、福音に仕える者を召されるのではないからです。神様は水一滴ない荒れ野で、岩を打って泉の水がほとばしるようにされ、葦の海を開いて、愛する民をエジプトの軍隊から救い賜われた全知全能なる方でいらっしゃいます。 堅固たるエリコ城壁を民が吹き鳴らした七つの雄羊の角笛の音と、イスラエルの民の鬨の声で崩れ落ちるようにされ、敵対していた群衆を神様の御前で雪のように、朝露のように、消え去らせた御力の神様であられるゆえ、福音に仕える者として召された私たちの力の大小は神様にとっては何等関係がありません。 神様に召されたことが確かなら、心配する必要は全然あ...