언어
ようこそ
申し訳ございません
パスワードを忘れましたか? / 加入
IDを保存
ホーム » 命の真理 » テキスト説教
命の真理メディア説教 テキスト説教 真理の書 聖書に関する質疑応答
ページ »
霊的に秋を迎えたシオンでは刈り取りの真っ最中です。神様は愛する子供たちに、命の御言葉を伝え魂を救う福音の働き手としての使命を託してくださり、鎌も預けてくださいました(マコ4:29、ヨエ3:13参考)。 豊かな良い実を刈り取るためには、種を蒔く努力がまずなされなければなりません。蒔いて刈り取る努力なしに、ただ良い実を望んでいるだけでは決して得られはしません。福音という種を人々の心の畑に勤しんで蒔いてこそ、それが成長し実を結ぶのではありませんか。 神様が種という存在を創造される時、作っておかれたプログラムがそのようになっています。「自分の蒔いたものを、また刈り取ることになる」という御言葉のように、蒔けば必ず成長し実を結ぶようになっています。福音の種を勤しんで蒔き、刈り取り、「収穫の主」(ルカ10:2)を喜ばせて差し上げられる働き手に皆さんなってみましょう。 努力する者が取り入れる 韓国のある大学で、以前実際にあったことだそうです。英語の講義室で中間テストが行われていました。平素ならば、筆記テストだったのですが、この日に限って急に教授が会話のテストに変えたせいで、学生たちは大変緊張していました。 教授が出題した問題は、二人ずつ組んで、外国旅行に行った時起こりうる状況を仮定し、一人は旅行者、一人は現地人の役割になって会話するというものでした。教授は最初にすることになった学生たちに、それぞれアメリカ現地人と外国人の旅行者...
聖書では、その時代ごとに世を目覚めさせる声で、多くの魂たちを救いの道に導いた歴史を見ることができます。ヨナ預言者の呼びかけがそうであり、ペテロの宣教がそうでした。 鶏の鳴き声が夜明けを告げ、寝ていた人々を目覚めさせ起こすように、神様の福音を伝える聖徒の声が、暗黒の闇であるこの世を目覚めさせる声にならなくてはいけません。暗黒の霊的混沌時代に、私たちが世を目覚めさせる声を発しなくては、人々は霊的な時刻がどの辺りまで至ったのか誰も知りえないでしょう。深い眠りに落ちている魂たちを、はっきりとした声で正しく目覚めさせ、地獄に向かって進んで行くしかない足を全て天国に導かなければなりません。 「あと40日すれば、ニネべの都は滅びる」 ニネベを目覚めさせたヨナの宣教 ヨナ1:1-17、2:1 『主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」しかしヨナは主から逃れようとして…折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった。…彼らがヨナの手足を捕らえて海へほうり込むと、荒れ狂っていた海は静まった。…ヨナは三日三晩魚の腹の中にいた。』 神様はアッシリアの首都であったニネベの都にヨナを送られ、行ってニネベの人...
キリストの最後の瞬間に照明を当てた「パッション」(原題:The Passion of the Christ、キリストの受難)という映画が、世界的に上映され好評を得たことがあります。この映画は、過越祭から始まり、キリストの受難を描いた後、復活の場面で締めくくられるのですが、内容を簡単にまとめると、命を生かすためにイエス様が一粒の麦になられる過程を生き生きと描写したものだと言えます。 私たちもキリストのように一粒の麦になって、命を生かす仕事に力を注ごうという意味で、多くの人の命のために犠牲になられたキリストと、その血によって立てられた新しい契約について、聖書を調べてみることにします。 私たちの罪のため血を流されたキリスト 一コリ15:3-4 『最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、』 肉が裂け、血が四方に飛び散る残酷な鞭打ち、肉を貫き手と足を貫通する惨忍な釘打ち。 映画を通して、私たちの罪のために苦難を受けられ十字架で亡くなられるキリストの姿を見ながら、「私たちの罪がどれだけ大きく重かったがゆえに、このような壮絶な代価なしには、罪の赦しを受けられなかったのか」と思いました。 キリストは聖書のとおりに、私たちの罪のために犠牲になられました...
地球のある所ではテロと戦争で数多くの人命が犠牲になっているかと思えば、またある所では各種新型の伝染病が発生して世界中に広がっています。「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。」(マタ24:6)と仰せられた御言葉どおり災いが横行する時代にも、われわれ子供たちを慰め護って下さる神様の御恵みに感謝をささげます。 福音が全世界に伝えられている今、遠くの国で起こる災いや災難だとしても、もう他人事とは思えません。 天の母は、「現地にいるシオンの家族だけでなく、災いによって苦しむ多くの人々を思い、世界平和の為に祈りましょう」と言われました。命を大切に思われる神様の御心を考え、シオンの家族のみならず、戦争で苦しんでいる世界各国の国民や、災いの中で苦痛に苛まれている全ての魂の為に、多くの祈りを献げるシオンの家族になってくださることを願います。 裁きの火が準備されている 聖書は大いなる恐るべき最後の災いについて預言しています。聖書の預言を調べて、私たちがどうすれば世界平和の為に、最も恵み深く有力な祈りをささげられるのかを一緒に見ていきたいと思います。 二ペト3:3-13 『…当時の世界は、その水によって洪水に押し流されて滅んでしまいました。しかし、現在の天と地とは、火で滅ぼされるために、同じ御言葉によって取っておかれ、不信心な者たちが裁かれて滅ぼされる日まで、そのままにしておかれるのです。…主の日は...
聖書は「恐れ(畏れ)」について二種類の御言葉を記録しています。ひとつは「神様を畏れなさい」であり、もうひとつは「恐れるな」という御言葉です。神様を畏れなさいというのは、神様を恐怖の対象としてではなく、私たちの創造主であられ、救い主であられるので畏敬の念を持ちなさいという御言葉です。そして恐れるなというのは、神様でないほかのどんな対象についても、恐れない信仰を持ちなさいという意味で下さった御言葉です。 イエス様がくださったタラントンのたとえの中でも、1タラントンをもらった人は恐れによってそのタラントンを地に埋めて隠しておきました。神様は私たちにそのような恐れを持たず、堂々とした信仰を持ちなさいと言われました。 恐れと人生 人は生きていきながら、いろいろな恐れに直面します。この世の人はたいてい完全でないことに対する恐れを多く持っていると言います。また些細なことについても恐れを感じると言います。 潔癖症の人は細菌に対する恐れを持っています。そのような人はバスなどの公共交通機関を利用する時は、手すりなどをつかむことも避けて、それをつかむなら、まずハンカチを出してきれいに拭いた後つかんだりします。 また失敗に対する恐れが人を躊躇わせたりもします。そのほかにも他人からの批判に対する恐れ、自分の生活に対する変化の恐れ、成功に対する恐れ、度が過ぎた責任感に対する恐れ、終えることについての恐れ、拒否されることについての恐れ、間違...
御父様は「軍隊はラッパの音で動き、信仰の聖徒は預言の声で動く」という御言葉をくださったことがあります。 ところで、今日わたしたちが耳を傾けなければならない預言の声は何でしょうか?神様がくださった預言の中で、私たちが成就すべき残りの部分があるとしたら、互いに助け合いながら終わりの福音を成しなさいという御言葉だと言えるでしょう。聖書を参照しながら預言の中に込められた神様の御心に、より一歩近づいていく私たちになるようにしましょう。 キリスト・イエスに倣って 神様は私たちがイエス・キリストに倣って、互いに志を共にすることを願っておられます。 ロマ15:5-6 『忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。』 私たちの先生であられるイエス様は「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである」と言われ、キリスト教徒が当然行うべきことを、いつも実際に教訓として模範を示してくださいました。多くの模範の中でも、何よりイエス様は朝早くから夜遅くまで宣教を休まぬ模範を示してくださいました(マコ1:35-39)。 罪によって死ぬしかなかった魂を救おうと、この地に来られたキリストの生涯は、日々宣教の連続でした。またこの地での福音の働きを終えられ...
人が心を一つのことに継続して集中させるなら成せないことはないと言い、昔の言葉にも「精神一到、何事か成らざらん」という言葉があります。 新年になると人々は様々な計画を立てますが、実際のところ年末までにその計画を全て成就させるようなケースは珍しいようです。あれこれと全てしようとする人は、結局一つも成し遂げることはできません。しかし、一つの目標に向かってたゆまず邁進する人の場合は、ある時自分の目標を成し遂げている姿を見ることができます。 心を尽くせば不可能なことはない 海辺に住む「砂蚕」は、身体構造上、道具として使えるような硬い部位はありませんが、穴を掘るのが上手です。けれど、ゴカイに比べより良い身体的条件を持っているカニは、他人が作った穴の中でだけ住むと言います。 これは、一つのことに没頭するゴカイと、色々なことをしようとして奔走するカニの生活習性の違いから生まれるものだと言います。カニは強いハサミを始めとして良い道具を色々持っていますが、片方では敵と戦い、片方ではえさを食べ、また片方では這い回るなど、多様な事柄に心が奔走するために自分の家をもつことができないのです。 精神を集中させ、心を尽くせば成せないことはないという意味で使われる「中石没鏃--石に当りて鏃を没す」という故事成語があります。これは中国の漢の時代、将軍李広の故事に由来する言葉です。 李広は弓術と馬術に長けた勇将だったと言います。彼がある日、暗...
人には誰でも価値のある重要な仕事をしたい欲求が内在していると言います。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブ9:27)と言った聖書も、人類にこの世で生きていく間、神様の義を求め新しい人として生まれかわった生涯を生きて行くように忠告しています。 それでは、人生を生きていくうえで、最も意味深く重要な仕事は何でしょうか?シオンの家族たちは、すでにその答えをご存知のことと思います。エロヒム神様がこの地に来られ、全ての模範を見せてくださり、私たちにその仕事を任せてくださったからです。 神様が私たちに任せられた仕事が、どれほど価値ある仕事なのかをもう一度考えて見ながら、私たちが授かったこの時代の召命を滞らせることなく遂行し、神様を喜ばせて差し上げられる天の子に皆さんなってください。 「三つの疑問」 ロシアの大文豪トルストイの短編小説の中に「三つの疑問」という作品があります。その筋書を簡単に述べると次のとおりです。 ある国に王がいましたが、彼は国政を運営していて、三つの疑問を持つようになりました。その三つとは、第一に、ある仕事を図るにおいて、もっとも適切な時期はいつか?第二に、どんな人物がわたしに最も重要な人物か?第三に、もっとも重要な仕事は何であるかでした。王は臣下たちを呼び、答えを得ようとしましたが、臣下たちも意見がまちまちで、満足できるだけの答えを出すことができませんでした。 ...