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魂を救うことへの熱い情熱を身につけたシオンの家族たちが、心を合わせ天国の福音を伝える所々で、恵み深い実が結ばれています。 私たちが霊的な実を結ぶためには、何よりも神様の御心どおり実践しなければなりません。より多くの実を切に求めすがる私たちに、神様は私たちの品性が神様から見て相応しい姿に変化した時、より多くの良い実を結ぶことができるとの教えをくださいました。このような教えを繰り返し考えながら、実をよく結ぶ秘訣について御言葉を見ながら考えていきたいと思います。 神様につながっていなさい イエス様は実を結ぶ原理について、ぶどうの木の譬を話され神様につながっている時に、実をたくさん結ぶことができると教えてくださいました。 ヨハ15:1–8 『…わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。…あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。』 実をたくさん結ぶという信仰的な結果は、神様から見て、美しく恵み深い事です。私た...
天の母は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」(一テサ5:16–18)と言われた聖書の御言葉を強調されながら、たくさん感謝する人が天の父から大きな祝福を受けると言われました。 シオンの家族の皆さんは、天の母の御言葉どおり、神様にいつも感謝し栄光を帰す福音の生活をされていると信じています。すべての御業は神様が導いて行かれ、福音も神様が成就され営まれることを信じ、どんなことにも神様に感謝と栄光、賛美を帰す私たちになるならば、神様は離散した全ての天の家族を早くシオンに導いてくださることでしょう。福音の御業は、決して人の能力では成し得ないことを悟り、いつも感謝する心と喜ぶ心を持ち、祈りに勤しみ、神様から託された福音の使命を完全に遂行されるよう願います。 指揮者と指揮棒 ある音楽家が、聖歌発表会で大聖歌隊の指揮をすることになりました。 多くの人々の前で発表する大きな行事なので、彼は公演を控えて聖歌隊を集め熱心に練習をしました。そうして、発表会前日リハーサルをしてみると、ハーモニーもよく合い、皆が満足するほどの音色が出るまでになっていました。指揮者は満ち足りた気分で指揮棒を下ろし、しばらくの間休憩時間を取りました。 すると、指揮棒がころころ横に転がって舞台に声をかけました。 「舞台、舞台!今日、君は、私が...
私たちは福音を伝えることで、神様の御名が栄光を受けられるようにし、善い行いで神様に栄光を帰すよう努力しています。これは結局、自分自身のための道でもあります。天の母も、神様に栄光を帰せば、その栄光は結局、自分自身のものになると教えてくださいました。 神様の栄光を現すことは、神様の民として大変重要な事柄のうちの一つです。聖書の多くの預言は、私たちが神様の栄光のために、創造された民であるという事実を悟らせてくれます。私たちがどんな存在であり、どのような信仰の道を歩む時、神様の栄光を最も大きく現すことができるのか、聖書を通して知恵を授かることにしましょう。 人生は故郷に向かう旅人の旅路 父親と息子が歩いて長い旅をしていました。道端には、いつしか絵のような美しい風景が広がって、長い旅路に疲れた旅人の目を楽しませてくれていました。 周辺の風景に魅了された息子は、目的地まで行かず、もうここでテントを張って住もうと父親にねだり始めました。息子の強い要望に答え、父親は何日かだけ休んでから行くことを許可しました。すると、調子に乗った息子はテントを張るだけでなく、周囲の木を折って垣根を作り始めたのでした。 「息子よ、あまりそうして心を注ぐ必要はないぞ。私たちは2、3日経てばここを発ち、目的地の故郷に帰らなければならないのだから、ここにあまり心を奪われてはいけないよ。」 しかし、息子は父親の言葉にはお構いなしに、がっしり木で...
「美しい言葉で話してこそ、返って来る言葉も美しい」といいます。人から美しくない言葉を聞かないためにも美しい言葉を使うべきですが、日常生活で他人との円満な関係を維持するためにも、また正しく美しい言葉が絶対的に必要です。 ある人は、神様が人を創造された時、口を一つ作られ耳を二つ作られた理由が、「話すことより聞くことを倍しなさい」という御心からだといいます。 神様も聖書の多くの部分で、聖徒たちが「備えるべき言語」について教訓を下さいました。 自分の考えを主張して欲深かった過去の姿を脱ぎ捨てて、天の父と母の教訓で教えを受け、天の父と母が願われる美しい姿に変わらなければなりません。たくさん祈り求める中で、広く慈悲深く柔和な神様の品性に似て、周りの人を救うことができる知恵ある天の子になりましょう。 すべての悪意を捨て善い言葉で話そう この肉体の世を追う人々の間では、言葉尻で互いに争い、不和が生じることが多いです。聖書でも、舌を制御しなければ不義を行うようになるので、ただ人を造り上げる德を高めるのに役立つ善い言葉を話しなさいと何度も強調しています。 エフェ4:26–32 『怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません。悪魔にすきを与えてはなりません。盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるように...
神様の経営によって、世界福音の御業が迅速に成されているこの時代に、神様が私たちに願われる信仰は、どんなものなのか考えてみましょう。 ほとんどの人は、神様を信じていなくても、自分が弱いと感じる時には、本能的に神様を求め、頼るようになります。しかし、自分が強いと考える時には、神様を尋ね求めるより、自分の能力と力に頼ろうとする傾向があります。「弱い時に強い」という言葉は一見、矛盾しているように見えますが、信仰生活をするにおいて自分が弱いと感じる時、初めて神様を尋ね求めるようになり、一番強い神様の御力が働きかけるので、私たちが弱い時、より強くなることができるのです。 福音の道を歩んでいくとき、たまに「自分は知識が多くて、聖書も良く知っている。自分は誰よりもこの分野に一見識を持っている」と考える時があります。そうなると、神様に頼るのではなく、自分の記憶力と口弁に頼って福音を伝えるという愚かなことを犯すようになります。 世界福音の御業は、私たちの能力にかかっているのではなく、神様の御手にかかっています。どれだけ神様を求め頼るのかによって、福音の成敗が左右されるのです。 謙遜な心で神様を求め頼りましょう ソロモン王の息子レハブアムは、父から強大な国を相続し王位につきました。ソロモンの時代は、イスラエルが富国強兵を成し遂げ、周辺国家を属国化し、貢ぎ物まで受ける立場でありましたし、ソロモンの知恵と見識を学ぶために多くの人々が...
この世を生きながらすばらしい師匠に出会うということは、本当に幸せなことだといえます。そういう面で考えると、真の生涯の師匠となられ、永遠なる天国に導いてくださるエロヒム神様に出会った私たちは、この上なく大きな祝福を受けた者たちといえます。 私たちの真の師匠であられる神様は、ひたすら子供たちの魂の救いのために、この地まで来られ苦難の道を歩まれました。ひどい目に遭われ、苦しい時も、声を上げられず、人々のあざけりや蔑視、侮辱を黙々と耐えられた神様の忍耐と犠牲の代価として、私たちの魂が癒しを受け、救いを得られました。その御恵みに心から感謝しキリストの道に従う私たちが、どんな信仰をもってこの道を歩むべきなのかを考える時間にしたいと思います。 深い泉 心が広い人のことを指して、「懐が深い」と表現することもあります。懐が深い人は、落ち着いていて理解する心があり、あまり過ちを犯すこともなく、共にいる人も力が出るため周りに自然と人が集まります。 いつだったか「深い泉」という文を読んだことがあります。泉がどれだけ深いかは、その中に向かって石を投げ入れてみれば、すぐ分かるといいます。浅い泉は、投げた石がすぐ泉の底に当たって大きな音を出す反面、深い泉は、泉に投げた石が底に沈むまで時間がかかるだけではなく、大きな音もせず、泉の深さと同じくらい深い響きと余韻を残します。 これと同じく、人の心も他人が投げかけた言葉一つを通して、深さを測...
天国を望み、信仰の道を歩んでいる聖徒において、神様の御言葉を知ることも重要ですが、実践することはもっと重要なことです。この世の人たちはキリスト人に対し、神様を信じている人なら何かが違うだろうという肯定的な期待を持っている反面、キリスト人を自称する人々が悪いことをしたときには「信じているという人も何一つ変わらないんだ」と失望し、キリスト教の信仰自体に不信を抱いて、顔を背けてしまう傾向があります。 真の聖徒なら、言葉一つ行動一つにおいても、細心の注意を傾け慎重に行わなければなりません。自分一人の些細な言動が周りの人々を天国に導くこともあれば、滅亡に導いてしまうこともあります。この点を考えると、私たちは神様に召された天の子供として、神様が模範となり教えてくださった道に一途に従い、周りの人が神様を信じたくなるようにさせる美しい模範にならなければなりません。 聖徒らしい行動の重要性 次に挙げるのは、イギリスの支配から独立するために、先頭に立って行動した民族主義者ガンディーの逸話です。ガンディーは青年の頃、クリスチャンになろうとしたことがあるそうです。その頃、彼は神様を信じている家庭で下宿生活をしていたのですが、下宿の主人が3日に一度は夫婦喧嘩をしていたようです。互いに仲良く平和に生きなさいというイエス様の教えとは違い、イエス様を信じているという人々が、いつも争いながら生きている姿を見て大きく失望したガンディーは、その後、自分がキ...
この世に生まれて一生の間、一度も試験を受けたことがない人は多分いないでしょう。原始生活をする人でなければ試験という過程なしに、よりよい生活を営むことはできず、ひとつの試験に合格しても、よりよい生活を志向するためには、またほかの試験を受けて、その試験に合格しなければなりません。 同じように、私たちも永遠なる神様の御国で御父様と御母様に仕えて、世々限りなく栄光と永遠の命の祝福を受けようとするなら、必ず試験を受けなければなりません。私たちは、そのすべての霊的な試験の過程を勝ち抜かなければなりません。試練と試験という過程を超えた人に、神様のすべての祝福が臨むようになっています。 シオンの礎と試みの石 神様はひとつの石をシオンに置かれて試み(つまずき)の石にすると同時に、シオンを築く基盤の礎にされると言われました。 イザ28:16 『それゆえ、主なる神はこういわれる。「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石/堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。信ずる者は慌てることはない。』 建物を建てる時、基盤になる石がなかったら崩れるしかないように、この石によらなければ決してシオンが存在することはできません。私たちが信仰を築くにあたっても、試みの石を通過しなければ、信仰の基礎をつかむことができず、永遠なる神様の御国も、救いと永遠の命も望むことはできないでしょう。 預言者イザヤは神様がこの地に来られる時、御自...